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【GK対談/前編】南雄太×松本拓也:交錯する運命の糸。20年の時を超えて結ばれた信頼関係

2024.02.03

松本拓也は南雄太が高卒ルーキーとして柏レイソルへ入団したため、ユースからトップチームへの昇格が叶わなかった。南雄太はキャリアの晩年に差し掛かった頃、松本拓也から今までになかったような新たな発見を数多く提示された。不思議な因縁に彩られながら、大宮アルディージャで選手とGKコーチとして濃厚な時間を過ごし、強い絆で結ばれた同い年の2人が、自分たちの職業である“GK”について言葉を交わした今回の対談。前編ではその出会いや関係性、松本流の練習が持つ効果について、大いに語ってもらう。

高校3年生の冬。2人の運命はこの時から交錯していた

――そもそもお二人の出会いはどこになるんですか?

松本「雄太は覚えてないでしょ?高校の時なんて」

「ああ、レイソルの練習に行った時?」

松本「僕がユースにいた18歳の時に雄太がレイソルに来るって聞いたので、3日間ぐらいトップの練習を見に行ったんですよ。その時にロビンソンというGKコーチが『オマエ、ユースの選手だったら入れよ』と言ってくれて、少しだけトップの練習に混ぜてもらったんです。そうしたらトップのコーチに『もう南が決まってるんだから、ユースのキーパーが勝手に来るな』と言われ、ユースの監督にも『なんで勝手に行ったんだ』と怒られて(笑)。こっちはもちろん代表に入っている雄太のことは知っているわけで、『なんだよ、南』って(笑)。もう自分の年代のナンバーワンとして認識してましたね。雄太はそんなの全然知らないもんね?」

「全然知らないね(笑)。そうすると会ったのはいつ?」

松本「高3の1月だね。キャンプの前にちょっと喋ったかな」

「じゃあ、もうプロになってからか」

松本「そうそう。日立台に雄太が来た時だね。もう肩で風を切っているような(笑)。自分の方が一方的に知っていました。それでトップに上がれないことはわかっていた中で、人と同じことをやるのは好きじゃないというマインドは昔からあったので、『じゃあこのまま海外に行ったらどうなるのかな?』とドイツに行ったんです。そこで向こうのキーパーの凄さを目の当たりにして、すぐに選手としての限界を感じた時に、それこそ『雄太が現役を引退して指導者を始めるよりも、それまでに指導者として経験を積んでおけば、雄太たちみたいなキャリアの人たちにも太刀打ちできるんじゃないかな』ってドイツでの2年間で思ったんですけど、帰国して最初は一応プロのセレクションを受けに行ったんですよ」

――川崎フロンターレのセレクションですよね?

松本「そうです。当時は前田秀樹さん(現・東京国際大監督)がフロンターレアカデミーのダイレクターをやられていて、自分の知り合いが前田さんを知っていたので、2000年の6月にセレクションを受けたんですけど、『即戦力しか獲れない』と。その時に『将来は指導者になりたいんだろ?GKコーチ、やってみるか?』と言われたのに対して、その場で『やります』と即答したんです」

「へえ。そうなんだ」

松本「その時には指導者としての覚悟も何となく決まっていて、そういう話になった時に『これが運命なんだな』と思って指導者を始めました。そこから6年間フロンターレでやって、レイソルにアカデミーのGKコーチとして戻ってきたのが2007年ですね。その時にトップでバリバリやっていたのが雄太で、自分も1週間に1回はトップの練習の手伝いをしていたんです」

「それは覚えています。僕はそこが拓也を認識したタイミングですね」

松本「自分は2015年からトップのGKコーチになったんだけど、練習試合でも会ったよね?」

「横浜FCにいた時に会ったね。それがレイソルの時以来か」

松本「その時に『拓也、出世したなあ』みたいな感じで言われて(笑)」

「いや、そんな上から言ってないでしょ(笑)」

松本「その時は深い付き合いじゃなかったよね」

「そうだね。でも、もうその時はもちろん拓也のことは知ってたし、良いGKコーチだということも他の人から聞いていましたからね。それこそ拓也が指導していた(中村)航輔がああいう選手になって、代表まで行っているのを見ていましたし、「良いGKコーチがいる」と名を轟かせていましたから(笑)。あとは拓也がスクールみたいな形でキーパーの小学生を教えていると聞いたので、『どんな練習するんだろう?』って1回見に行ったこともありましたよ。自分もGKスクールをやってみたい気持ちもあったので。だから、拓也の指導に興味は持っていました。本当に親交ができたのは大宮に行ってからだよね」

松本「もうその頃には中村航輔のおかげもあって、レイソルのアカデミーからプロになったキーパーも増えてきていましたし、それなりに日本の中で認知されるようになってきた感じはあったんですよね」

「本当にレイソルのキーパーは優秀ですからね。それは間違いなく拓也と敬太(井上敬太・現柏レイソルGKコーチ)が作ったものですよ。あとは同い年というのもありますね」

柏レイソル時代の中村。左はレイソルで指導者としてのキャリアをスタートさせた大谷秀和

今明かされる大宮移籍の意外なキーマン

松本「大宮の監督がシモさん(霜田正浩・現松本山雅FC監督)だった時に、ケガ人が多くてキーパーを緊急補強しないとダメだと。それで第一候補は20歳ぐらいの若い選手1本だったんです。ただ、もうほぼ決まりかけていた前日ぐらいに、コーチだったキタジさん(北嶋秀朗・現クリアソン新宿監督)に雄太から電話があったんだよね」

「そうそう。ちょうど横浜FCにブローダーセンが来ると聞いていて、そうするとキーパーが6人になっちゃうから、誰か出ないといけない感じはあったんです。若手を出したいという話は聞いていたんですけど、早く動いたら自分にも移籍のチャンスがあるんじゃないかなと思って、いろいろ考えた上でエージェントとも話して、『大宮はキーパーのケガ人多いな』と思ったので、とりあえずキタジに『どんな感じなの?』って電話したら、『ちょうどGK探してるよ』と言っていたので、『ここがチャンスかも」と』

松本「キタジさんに『拓也さあ、雄太ってどう?』と言われて、最初は正直『え?』って思ったんです。育てるなら若い選手の方がいいなと思いながら、『でも、この状況でチームを救う選手ということを考えたら、そこじゃないかもな』と。本当に降格しそうなチーム状況だったので、僕もどうなるんだろうなと思っていたら、シモさんから『拓也、オレはオマエを信頼しているから尊重する。キーパーはどっちだ?』と言われて、『うーん……、雄太にしましょう』って言ったんです」

「それは初めて聞いたなあ。大宮に行けたのは拓也のおかげなんだ」

松本「若い選手もいいんですけど、僕はレイソルで雄太やスゲ(菅野孝憲)も見ているし、みんなにも言うけど“自分もやるベテラン”の凄さも知っていたから、この状況でチームを救うのは雄太だろうなと」

――そのタイミングで初めて同じチームになったわけですね。20年ぐらい前に因縁のあった2人が(笑)

松本「因縁と思っているのは自分だけですけどね(笑)」

「高校生の頃から20年以上の時を経てね(笑)」

松本「不思議な縁ですよね」

お互いに抱いていた印象について

――松本さんから見ていた“南雄太選手”の印象はどうだったんですか?

松本「全部正直に言いますけど、レイソルの時の雄太はシュートを打たれて、ポコッとゴール前にこぼして、そこを詰められる失点が多かった印象があったんですね。逆にスゲは大きく弾くのでそういう失点がほとんどなかったんです。その中で雄太がスゲにポジションを取られていくところも見ていたんですけど、熊本に移籍してからはなかなかプレーを見る機会はなくて。そこから横浜FCに移籍して、下平さん(下平隆宏・現V・ファーレン長崎ヘッドコーチ)とやっていた時に試合を見たら、ビルドアップは上手くなっていたし、シュートの反応も速くなってたからね」

「いや、自分じゃわからないけど(笑)」

松本「雄太で勝った試合も結構あって、『この歳になっても進化しているな』という印象があったんです。チームとしても若手がのびのびと躍動している一方で、コンディションも良さそうな雄太が後ろからチームを支えて、シュートも止めてるなと。そのあたりからまた印象が良くなりましたね。30代後半になってもスピードは衰えていないなと」

……

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Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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