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「カタールは世界からの批判を受け止めることにした。10年後を見てみよう」――W杯開会式クリエイティブディレクターが語る舞台裏

2022.12.17

それは世界にカタールを紹介する、そして彼らが「より良い国になる」ための格好の機会だった。ホスト国がW杯を通して発信したいメッセージが詰まった開会式(11月20日)を、クリエイティブディレクターとして手がけたのが、これまでオリンピック・パラリンピック17大会に携わってきたイタリア出身の60歳、マルコ・バリッチ氏だ。「カタールの人々にプライドを与え、アイデンティティを育むものになった」というセレモニーの舞台裏、様々な批判の中で開催された今大会の意義などを大いに語ってくれた。

世界中の人々と手を取り合って歩んでいく、というメッセージ

――まずは、今大会の開会式を終えた時のお気持ちから聞かせてください。

 「こうしたセレモニーはこれまで、オリンピックとパラリンピックで合わせて17回、手がけてきましたが、FIFAのワールドカップは今回が初めてでした。なので、とても感慨深かったですね。と同時に、カタールの人々が誇りに感じられて、この大会に意義を与えられる何かを達成できたことに、最高の気分を味わっています。なぜならセレモニーというのは、そもそもアイデンティティを与えるためのものだからです。これまでFIFAの大会ではこのようなセレモニーは行われず、アーティストがダンサーと一緒に歌い踊るといった程度のものでした。

 今回のセレモニーには、世界にカタールを紹介する、というメッセージが込められていました。いろいろな批判の声もあった大会ですが、国を挙げて世界のみんなを歓迎し、平和な場所となり、東西を結びつける架け橋となる、というメッセージを送りたいと彼らは願っていました。この開会式ではそれを実現できたと感じています。個人的にも、世界中の知人や友人たちからメッセージを受け取りました。その誰もが、私たちが伝えたかったメッセージをしっかり理解してくれていました。それを実現できたことが、私は一番ハッピーですね」

――盛大な祭典で客人をもてなす、というのは彼らアラブのカルチャーでもありますね。

 「そうですね。イメージとしては、砂漠でテント暮らしをする種族が客人をもてなす、というシチュエーションです。宗教も信仰も性別も関係なく、誰もが温かく迎えられる。その様子を、あのテントを模したスタジアムを舞台にしたセレモニーで表現しています。カタールは世界中の人々と手を取り合ってともに歩んでいくのだ、というメッセージを発信したいと彼らは考えていたのです」

――具体的に大会の組織委員会から打診があったのはいつ頃ですか?

 「1年前ですね」

――たったの1年前ですか!?

 「そうなのです。我われはすでにオリンピックのセレモニーで多くの経験がありました。オリンピックの開会式といえば、盛りだくさんの内容が詰め込まれた本格的なセレモニーで、通常のワールドカップの開会式とはまったく異なります。例えば前回のロシア大会では、第1試合の前にロビー・ウィリアムズが何曲か歌っただけでした。

 でも彼らは、なんとしてでも本格的なセレモニーを行いたいと願い、開幕戦を1日前倒しにすることを決めました。それにより、こうして私たちがカタールでこのような機会に携わることができたわけです。とてもうれしく思いますね。これは、ある種のアドベンチャーでした。ご存知の通りカタールは小さい国です。なので、ロジスティックの部分でもいろいろな難題がありました。しかしそれらすべてを含めても、素晴らしい旅路だったと感じます。非常に理解を示してくれたカタール政府や組織委員会にもとても感謝しています」

――あのような大がかりなセレモニーの準備をわずか1年で?

 「そうなんです(笑)!」

モーガン・フリーマンとジョングクが「距離を埋める」

――メインテーマは『Fill the distance』(距離を埋める)というものでしたね。

 「そうです。そこでまず、モーガン・フリーマンと、この大会のアンバサダーを務めている下肢がない活動家のガニム(・アル・ムフター)が2つの異なる世界を表現しました。ガニムはこう言います。『世界中のみなさんを歓迎します』と。そしてモーガン・フリーマンは、どこか知らない国からここを訪れ、思いがけず我が家のような歓迎を受ける旅人を表現しています。そうして2人が出会い、距離が埋められる、というのがコンセプトです」

――モーガン・フリーマン氏が起用された理由は?

 「彼は著名な俳優であり、西側の世界を象徴する顔として彼ら(組織委員会)が選びました。西側の顔として、誰もが納得する重要な人物を選びたかったという主催者側の意図において、とても妥当な人選だったと思います。それになんといっても声が素晴らしい。彼が横たわってガニムと手を触れ合わせたシーンは、とても感動的でした。人々に感動を与えるというのは、まさに我われがやろうとしていることです。多くの人々があの瞬間、涙を誘われていました。

 それから韓国のBTSのシンガーが、中東を代表するアーティストであるファハド・アル・クバイシと手を合わせ、身を寄せ合うシーンもとても素晴らしかった。西側を象徴する人物と、カタール人の大会アンバサダーのふれあいがあり、さらにアジアを代表する世界的なスーパースターと、地元のアーティストが称え合ったわけです」

――BTSを選んだのも組織委員会が?

 「そうです。彼らのチョイスです。的確だったと思います。彼は世界的に人気がありますし、とりわけアジア圏での人気はすさまじい。西側を代表するモーガン・フリーマンと東を代表するジョングクがカタールに集結した、というシーンでした」

――開会式の後、ネット上のリアクションをチェックしたらBTSの反響はすさまじかったです。たくさんの人が話題にしていました。ところで、モーガン・フリーマン氏のあの感動的なスピーチは誰が書いたのですか?

 「あれはハリウッドで活動している著名な脚本家によるものです。名前は覚えていないのですが。しかしあのメッセージは、カタールの指導者たちから伝えられたものです。『このメッセージは、セレモニーの重要な要素である』という説明を我われは受けました。委員会からはアラブ語で伝えられ、それを脚本家に素敵な言葉で表現してもらいました。あのメッセージをこのセレモニーで世界に伝えることは、彼らが切に願っていたことでした」

――ミュージシャンやダンサー、振付師なども、世界中からトップクラスの人々が集められたそうですね。

 「ええ、世界中から多くの国の人々が集結してくれました。残念ながら日本の方はいませんでしたけれど。私は東京オリンピックの時には日本で仕事をしていたんですが(笑)」

――個人的には、出場32カ国のチャントのメドレーはとても好きでした。

 「あのシーンはフットボールへの賛辞を表現したのですが、とてもナイスだと思いました。それから、現首長の父であるかつての首長が20歳の時にサッカーをしていた映像もすごく良かったですよね」

――砂の上でサッカーをしていた古い映像ですね。ノスタルジックで良いシーンでした。歴代のマスコットを登場させたのは? 過去の大会のレガシーに敬意を表したものでしょうか?

 「世界中のマスコットたちが、この新しいFIFAチャンピオンシップを祝うためにやってきた、というシナリオです。この大会は史上初めて冬に開催され、中東で行われるのも初めて。それから、女性審判の起用も大会史上初めてのことです。なので『すべてのマスコットたちを集結させてこの歴史的な瞬間を祝おう!』というのがコンセプトですね」

――なるほど、そういう意図があったのですね。とても楽しいシーンでした。技術的に苦労されたのはどういったことでしょうか?

 「美しいプロジェクションと素晴らしいダンスを組み合わせるという凝ったショーでしたが、プロジェクションの正確な位置でダンスをするというのが非常に難しい部分でした。なぜなら、試合のためにグラウンドを最高の状態にしておく必要があったため、会場となったスタジアムでリハーサルをすることができなかったからです。なので、プロジェクションとダンスは別々に練習して、本番の2日前に初めて2つを組み合わせました。プロジェクションを合わせた時にズレてしまわないよう、ダンサーたちはぴったりと正確な位置で動く必要がありました。ダンサーが光るスティックを持って踊るシーンです。一番のチャレンジは?と聞かれたら、やはりあのシーンを挙げるでしょうね」

――ということは、たった1度のリハーサルで本番に臨んだわけですね。本番はさぞかし緊張したのでは?

 「ちょっと緊張しました(笑)。すごくというわけではないですが」

批判に直面することで、彼らはより良い国になれる

……

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カタールW杯

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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