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柳沢、鈴木、小笠原、中田浩、秋田、曽ヶ端らに対するは中山、高原、名波、藤田、福西、田中誠…Jリーグ史に刻まれる、鹿島と磐田の“2強時代”

2021.11.16

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

1993年の創設から数々のドラマを生み出してきたJリーグの歴史の中で、“ライバル関係”と聞いて思い起こされるのが、1990年代後半~2000年代前半にかけて激しいタイトル争いを演じた鹿島アントラーズとジュビロ磐田ではないだろうか。日本サッカー史にその名を刻む名手たちが躍動し、名勝負を繰り広げた2強時代に思いを馳せる。

Jリーグ第2章のライバル

 Jリーグが開幕した1993年、優勝候補はヴェルディ川崎と横浜マリノスだった。93、94年とヴェルディが年間王者となり、95年はマリノスが優勝している。日本リーグの読売クラブ、日産自動車の頃からのライバル関係が続いていたわけだ。

 Jリーグ開幕当時、各クラブはそれぞれ大物外国籍選手を加入させるなど大幅な強化を行っていたが、土台がしっかりしていたのがヴェルディとマリノスだ。しっかり後方からビルドアップできる2チームでもあった。

 そして、次の時代を担ったのが鹿島アントラーズとジュビロ磐田である。

 先に優勝したのは鹿島。アタランタ五輪やアジアカップで日程調整に難航し、初の1シーズン制となった96年の年間王者だった。ブラジル代表のジョルジーニョ、レオナルド(シーズン途中でパリ・サンジェルマンへ移籍)、マジーニョを擁し、秋田豊を中心とする守備陣も安定感抜群だった。

 2ステージ制に戻った翌97年、ジュビロ磐田がチャンピオンシップで鹿島を破って初優勝する。闘将ドゥンガの存在感が際立っていたが、名波浩、藤田俊哉、服部年宏、鈴木秀人が経験を積んでチームの中核を担うようになっていた。

 それぞれが初優勝した96、97年から、鹿島と磐田が覇を競う時代が続いていく。

ブラジル式[4-4-2]の安定感

 フランスワールドカップに日本が初出場を果たした1998年、鹿島は年間優勝を勝ち取る。両SBにフランスでの大舞台を踏んだ名良橋晃と相馬直樹、ジョルジーニョとマジーニョも健在、さらにビスマルクが加わっている。3年目の柳沢敦がエースに成長していた。

 ところが、次の99年はファーストステージ9位、セカンドが6位と急降下、一時は降格の危機に直面したほどの落ち込みだった。ジョルジーニョとマジーニョが退団し、2度の王者となったチームがピークアウトした結果だろう。ただ、小笠原満男、中田浩二、本山雅志が加入していて、次のサイクルへの準備期間だったと見ることもできる。

 2000年、鹿島はリーグ、天皇杯、ナビスコカップの3冠を達成。前年の落ち込みからのV字回復だった。これ以降、トニーニョ・セレーゾ監督の下で「勝負強い鹿島」が君臨していくことになる。2001年はリーグ優勝、2002年はナビスコカップ優勝と3年間で5冠を獲った。

 鹿島のフォーメーションはほぼ一貫して[4-4-2]で、これは現在も受け継がれている。ゾーンの4バック、ボランチが2枚、左右に攻撃的MFを置き、2トップという典型的なブラジル方式である。

 完全な左右対称で、バランスが崩れにくいのが特徴だ。片側が開いたら、もう一方は絞る。同じポジションのチームメイトの動きを見てポジショニングを決めていけば、だいたい間違えない。小笠原は、反対サイドのビスマルクを見て学んだものは多かったに違いない。この2人はパスワークと創造性で攻撃の原動力だった。

 トニーニョ・セレーゾ監督は小笠原について「中へ入るのが早過ぎる」など、たびたび苦言を呈していたが、その才能を高く買っていた。ピタリと収まるボールコントロール、右も左も旋回がスムーズで、すべてのプレーが自然体。シュートも正確、壁が出来上がる前にFKを打ち込む狡猾さも備えていた。足が速いわけではないが判断が速く、ナチュラルに頭脳的なプレーができる逸材だった。

 ボランチに定着した中田はクレバーで戦術理解度が高く、左足のフィードは精度が高かった。代表では3バックの左を任されていて守備もできる。スーパーサブとして流れを一変させる本山はキレのあるドリブルが武器だが、ラストパスのセンスが抜群。小笠原、中田、本山の3人は1999年のワールドユースで準優勝したU-20代表でも活躍していて、若手を代表するトリオでもあった。

 若い才能を獲得するリクルート能力が効いている。特異な戦術は採らず、プレーのディテールを詰めることで強化していく鹿島にとって、素材の良さは決定的に重要だった。ブラジル人選手に頼っていた時期を脱し、日本人の若手を成長させて着々と強化を図っていた。

写真は2004年のもの。前列左から内田潤、青木剛、新井場徹、小笠原満男、本山雅志。後列左からバロン、岩政大樹、中田浩二、大岩剛、鈴木隆行、曽ヶ端準

特異だったN-BOX

 1998年、磐田はファーストステージ優勝。セカンドは2位、年間最高勝ち点を挙げながらチャンピオンシップで鹿島に敗れて優勝を逃す。

 中山雅史は世界初の4試合連続ハットトリックを達成するなど驚異的な得点力を示していた。機敏で獰猛、いかにもストライカーらしく得点意欲をみなぎらせた中山は、ベテランの域に入ってからDFを外してパスを受ける術を体得してピークを迎えている。

 99年、2度目の年間王者。持ち前の攻撃力に守備の安定感が加わっていた。ただし、名波がベネチア(イタリア)へ移籍したセカンドステージは12位と大失速。清水エスパルスとの静岡対決となったチャンピオンシップはPK戦での勝利と際どいものだった。

 磐田がチームとしてピークに達したのは2002年だ。史上初のファースト、セカンドの完全制覇を成し遂げた。その前年には「N-BOX」と呼ばれた独自の戦術でも注目を浴びている。

 N-BOXのNは名波のNだ。西紀寛、福西崇史、服部年宏、藤田俊哉のMF4人が名波を取り囲むように配置されていた。もともとは世界クラブ選手権のために考案されたシステムだ。当時、「銀河系」と呼ばれたレアル・マドリーとの対戦を想定し、あらゆる局面で数的優位を作るにはどうしたらいいかという発想で考えられたという。

 名波の動きに連動して全体がアメーバーのように変形するシステムの基礎になったのは、トレーニングでよく行われる5対2などのパス回しだった。このシステムを完成させるための特別なトレーニングをしたのではなく、どのチームでも行うような練習を極めていった結果だった。ただ、やはり名波なしには成立しえなかったと言える。

 トップ下とボランチを兼ねた独特の役回りは、名波の正確な長短のパスと的確な状況判断があってこそ。同時に、名波を取り巻く選手たちとの「阿吽の呼吸」も不可欠だった。

 鈴木秀人、田中誠、大岩剛の3バックにN-BOXを形成する5人、中山と2トップを組んだ高原直泰がボカ・ジュニオールから戻ってきたのも大きかった。外国籍選手がGKヴァン・ズワムだけという編成で圧倒的な強さを見せていて、その点でもJリーグ史上稀有な王者だった。

史上初となるファーストシーズンとセカンドシーズン完全制覇を遂げ、喜びを爆発させる2002シーズンのジュビロの面々

2強から群雄割拠へ

 オーソドックスな[4-4-2]で攻守に安定感抜群の鹿島、N-BOXという独自の戦法と鮮やかな攻撃力が印象的だった磐田。2000年代初めのJリーグを牽引した2強は対照的でもあり、似た者同士でもあった。

 鹿島は一貫したシステムとトニーニョ・セレーゾ監督の長期政権だったのに対して、磐田は外国人監督と日本人監督が交互に指揮を執っていて、システムも試行錯誤を続けている。福西にボランチと3バックのセンターを兼任させる可変式もやっていて、戦術的な引出しは豊富だった。それがN-BOXを生み出す背景にあったかもしれない。

 両雄の対決は個と個のライバルとしても際立っていた。中山と秋田のバトルは見物の1つだ。プライドをかけた激突は幾多の好勝負を生み出していた。

Jリーグ公式YouTubeチャンネルにアップされた、2001シーズンのチャンピオンシップ第2戦のハイライト動画

 ただ、やはり時の流れには逆らえず、ともにサイクルを終えると、横浜F・マリノス、浦和レッズ、ガンバ大阪がトップグループに加わりJリーグは群雄割拠の様相を呈していく。どこが優勝するか予想がつかない状態がしばらく続いていくわけだが、世界的には珍しい部類のリーグだったと言える。ヨーロッパでは2つか3つのビッグクラブが競うのが普通だ。財政規模に格差があるからだが、どちらが良いと思うかは好みによるだろう。近年は川崎フロンターレの1強状態なのでバイエルンの支配するブンデスリーガに近づきつつあるのかもしれない。

 とはいえ、鹿島と磐田のようなライバルが鎬を削る構図はわかりやすさという点で理想的だったかもしれない。

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常勝軍団アントラーズの一員としてそれぞれの持ち味をチームの勝利へ捧げる献身的なプレーで魅せた小笠原満男、中田浩二、鈴木隆行と、華麗な攻撃サッカーで相手を圧倒したジュビロ磐田において主力を担った中山雅史と福西崇史の5人に加え、1990年代後半~2000年代前半の日本サッカーを彩った三都主アレサンドロ、市川大祐、戸田和幸、宮本恒靖、森岡隆三、楢﨑正剛のレジェンド総勢11人が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

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<商品情報>

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ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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