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4度の靭帯断裂からカムバック。富山の「不屈のシンボル」椎名伸志インタビュー

2021.04.12

フットボール人生の中で実に4度の前十字靭帯断裂を経験している、カターレ富山のMF椎名伸志。高校時代は青森山田高校で柴崎岳とともに中盤を牽引し、キャプテンとして高校サッカー選手権決勝を戦った。その高校、大学時代に1回ずつ、さらにプロ入り後は2度、前十字靭帯を断裂。しかし、不屈の精神でピッチに舞い戻った。チーム最古参として、カターレ富山の「J2復帰」に奮闘するMFに、オンラインインタビューで今の想いを聞いた。

「自分のサッカー人生はここで終わったな……」

――まず、最初の怪我について教えてください。

 「高校3年時の高校サッカーフェスティバルでの試合でした。そのときに初めて左膝の前十字靭帯を断裂しました」

――前十字靭帯断裂がどういったケガなのか、どのような感覚になるのか分かりづらいですが、椎名選手にはどのように感じられましたか?

 「膝が外れるような感覚というか、亜脱臼のように『ゴキッ』というような音がして、そのまま崩れ落ちる感覚でした」

――すぐに歩けなくなるような感じですか?

 「はい。全く身動きが取れない状態になりました」

――全治はどれぐらいかかったのでしょうか?

 「前十字靭帯断裂は全治6ヶ月から8ヶ月ほどと言われているのですが、冬に選手権があったので、どうしても大会に出たい思いが強くて、半ば無理やりというか、4〜5ヶ月で選手権のピッチに立ちました」

――2度目の前十字靭帯断裂は、大学時代でしたね?

 「そうですね。3年時の冬に、シーズンが終わってからのトレーニングで、2度目の左膝の前十字靭帯断裂を負いました。4年時の大学のリーグ戦はほとんど棒に振ることになり、復帰したのが翌年の10月頃。大学選手権には出場して2回戦か3回戦で敗れた記憶があります」

――3年時の冬での怪我になると、プロを目指す上で難しくなるように思われますが、椎名選手はどう捉えていましたか?

 「当時の記憶をはっきりと覚えているわけではありませんが、プロを諦める選択肢はなかったです。怪我から復帰すれば、必ずどこかが声をかけてくれるのではないかと、かすかな望みを信じてリハビリに励みました。ありがたいことに怪我が治った後、松本山雅の練習に参加できることになり、卒業後に(松本山雅へ)入団することになりました」

――松本で1年半プレーした後、カターレ富山へ期限付き移籍しました。その直後の試合(2015年7月29日 FC琉球戦)で3度目の大怪我を負いましたね。頭を抱えながらタンカで運ばれている姿を今も覚えています。

 「1回目と2回目は自爆というか、ドリブルしている最中に怪我をしましたが、3回目に関しては、GKとの接触だったので、ショックが大きかったです」

――その怪我で3度目の左膝前十字靭帯断裂と内側側副靭帯を損傷して、復帰まで1年かかりました。

 「その時の治療行程は1回の手術ではなく、骨移植を行い、骨が固まるのを待つ時間があったので、復帰まで1年かかりました。3回目の大怪我だったので『時間をかけて戻そう』と考えました」

――リハビリ期間中でしたが、シーズン終了後にカターレ富山へ完全移籍しました。

 「自分を救ってくれたクラブであり、怪我している状況でも契約してくれた感謝の気持ちが大きかったです」

――4回目は2018年11月11日のアスルクラロ沼津戦で、今度は右膝前十字靱帯を断裂してしまいました。

 「負傷した瞬間に大きなケガだと分かったので『終わったな』と感じました。4回目だったので……。『自分のサッカー人生はここで終わったな……』という心境になったのは強く覚えています」

――結果として4回、前十字靱帯断裂を経験されましたが、それぞれの怪我に対する受け入れ方に違いはありましたか?……

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J3リーグカターレ富山椎名伸志

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シェフケンゴ

ベルギーサッカーとフランス・リーグ1を20年近く追い続けているライター。贔屓はKAAヘントとAJオセール。名前の由来はシェフチェンコでウクライナも好き。サッカー以外ではカレーを中心に飲食関連のライティングも行っている。富山県在住。

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