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茨城ダービー4ゴールの裏にあった、水戸に宿る歴史。初代社長・石山徹が残した夢がJ1で現実になった日

2026.09.08

水戸ホーリーホック昇竜伝#13

J2の中でも少ないクラブ予算ながら一歩一歩積み上げてきた水戸ホーリーホックは、エンブレムにも刻まれている水戸藩の家紋「三つ葉葵」を囲む竜のようにJ1の舞台へたどり着いた今も、さらに高みを見据えている。困難な挑戦に立ち向かうピッチ内外の舞台裏を、クラブを愛する番記者・佐藤拓也が描き出す。

第13回は、J1で初めて迎えた鹿島アントラーズとの茨城ダービーを通して、水戸ホーリーホックの原点に迫る。試合前、選手たちが見たのはクラブが1999年にJ2参入を決めるまでの苦闘を記録した映像だった。アルバイトをしながらサッカーを続けた選手たちと、私財を投じてクラブを支えた初代社長・石山徹。「鹿島とJ1で戦う」という、当時は夢物語にも思えた願いは、ついに現実となった。歴史を背負って挑んだ一戦で、水戸が刻んだものとは何だったのか。

「鹿島とJ1で戦う」。すべては、そんな夢から始まった

 9月2日。鹿島アントラーズとのJ1初の茨城ダービーに挑む前、いつも通り、食事会場に集まった。そして、そこで流れた映像が選手たちの闘志に、より一層大きな火をつけた。

 映し出されたのは、水戸ホーリーホックが1999年にJ2参入を決めた際の映像。アルバイトをして生計を立てつつ、サッカーに打ち込む選手たちと、それを支える故・石山徹初代社長の姿だった。過酷な環境の中でも、Jリーグという夢の舞台に立つことを信じて、誰もが死に物いで戦い続けていた。そして、悲願達成の瞬間が訪れ、歓喜する光景を見て選手たちは気持ちを高めた。

 「J1で鹿島アントラーズと茨城ダービーを戦う」

 水戸ホーリーホックはその思いを原動力にして創設されたクラブだ。

 1993年に発足したJリーグ。茨城県からは鹿島アントラーズが参戦した。そして、同年のファーストステージで元ブラジル代表MFジーコを中心とした鹿島が快進撃を見せて、ステージ優勝を成し遂げたのだ。日本中にサッカーブームが巻き起こる中、茨城県でも鹿島人気が爆発していた。

ジーコとマテウス・レイリア

 そうした喧騒の中、水戸市で新たな動きがうごめき始めていた。

「水戸のような小さな町にも、地域に根差したクラブを」

 「水戸市にJリーグチームを作ろう」

 立ち上がったのは石山を中心とした水戸商業高校サッカー部OBの4人。中でも旗振り役として引っ張ったのが故・榎本良三だった。

 駒澤大学卒業後、サッカー指導を勉強するためにドイツのケルン体育大学に留学した榎本はヨーロッパのスポーツ文化に触れて、大きな感銘を受けていた。そして、他の3人にこう伝えた。

 「日本サッカーのためにも、93年にJリーグに加入した10チームのような大きなクラブだけでなく、水戸のような小さな町にも地域に根差したクラブができることが重要だ」

 Jリーグ自体、初代チェアマンの川淵三郎が1960年に日本代表の一員として訪れたドイツのデュイスブルグのスポーツ施設「スポーツシューレ」の環境を見たことがきっかけで立ち上げられた。日本全国に「地域に目指したクラブ」を作り、「世界で通用する選手を育てること」を目標に、プロサッカーリーグが誕生したのだ。

 水戸はそうした理念に基づいて立ち上げられたクラブであった。

……

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Profile

佐藤 拓也

1977年生まれ。神奈川県出身茨城県在住のフリーライター。04年から水戸ホーリーホックを取材し続けている。『エル・ゴラッソ』で水戸を担当し、有料webサイト『デイリーホーリーホック』でメインライターを務める。

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