佐野海舟の4年前と2年間。冒険の中の日進月歩と揺らがぬ覚悟
遣欧のフライベリューフリッヒ#27
「欧州へ行ってきます」。Jリーグの番記者としてキャリアをスタートさせ、日本代表を追いかけて世界を転戦してきた林遼平記者(※林陵平さんとは別人)はカタールW杯を経て一念発起。「百聞は一見にしかず」とドイツへの移住を志した。そんな林記者の現地からの情報満載でお届けしてきたこの連載は、今回で最終回となる。
林記者が最後に選んだ題材は、ドイツでの挑戦を最初から目撃し、W杯での活躍を予想していた佐野海舟。オーバートレーニング症候群と診断されてサッカー自体できない状態だった4年前から、ヒューストンでのブラジル戦へ。4年前のあの日に佐野が感じたものと、この敗戦の記憶が、“次”への覚悟につながっていく。
特異かつ確かな歩みを目撃して
ヒューストン、ブラジル戦。90分の激闘にピリオドを打つように、ピッチ上に試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
呆然と立ち尽くし、頭を抱えて座り込み、ユニフォームで顔を覆って涙を流す。カタール大会から3年半、それぞれがそれぞれの場所で戦い続けてたどり着いたW杯。その集大成となる日本代表の挑戦が終わった瞬間だった。
筆者自身も約3年間、ドイツに住みながら取材を重ねてきた。日本から飛び立った理由は、いかなる結果で終わろうが、北中米W杯へのプロセスを見たかったから。多くの選手たちを現地で追い、彼らが欧州の最前線でどんな変化を遂げていくのかを間近で感じたかった。「百聞は一見にしかず」。できるだけ自分で見て、経験して、その上で答えを出すために向かったわけだ。
その中でも、佐野海舟という選手の歩みは、際立って印象に残っている。
2024年夏、鹿島アントラーズで見せた圧倒的なボール奪取能力を武器に、マインツへ移籍。それさえあれば欧州でも通用する。そんな自信を胸に飛び込んだブンデスリーガは、想像をはるかに超えるインテンシティで彼を迎えた。忘れもしない開幕戦、ゴール前で相手に入れ替わられ、決定的なシュートを沈められる場面を、スタジアムで目にしていた。
「正直、スピード感についていけていなかった。自分でも『なんで試合に出られているんだろう』って思うくらい、自分のレベルがまだ追いついていないと感じていました」
時間がかかるかもしれない。そう思ったのを今でも覚えている。ただ、佐野の順応スピードは周りと比べてもピカイチだった。求められていたのは、守備技術の修正ではなく、概念そのものの取り外し。抜かれないための待ちの守備を捨て、奪い切るためのアタックする守備へ。その転換を支えたのは日々の練習だ。
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Profile
林 遼平
1987年生まれ、埼玉県出身。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることに。帰国後、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。
