小菊昭雄監督と続けてきた「『もっとできる』の追いかけっこ」。西川潤がサガン鳥栖で実感する18歳からの変化
プロビンチャの息吹~サガンリポート~ 第18回
勝負の移籍だったことは間違いない。セレッソ大阪から期限付き移籍でサガン鳥栖へ“2度目”の加入を果たした西川潤だが、2年ぶりに帰ってきた古巣を率いるのは小菊昭雄監督。自身にとってはC大阪時代になかなか起用されず、当時から課題を突き付けられてきた指揮官だったからだ。それでも今の自分を見つめながら、鳥栖の地で確実に、一歩ずつ、前進している西川の現在地を、おなじみの杉山文宣が描き出す。
2度目の鳥栖加入。いわきとの古巣戦がターニングポイントに
評価を覆す。特に一度、“失格”の烙印を押された相手を再び、振り向かせるという作業は決して容易なものではない。しかし、西川潤はそれを成し遂げつつある。セレッソ大阪では振り向かせることができなかった小菊昭雄監督とのサガン鳥栖での再会は、西川の変化と努力の濃さを際立たせている。
今年1月、西川の期限付き移籍での加入が発表された。22年、23年に続き、鳥栖でのプレーは3シーズン目となるが、当時と違ったのは指揮官が違っていたこと。鳥栖は小菊監督の就任を発表しており、C大阪では守備の水準不足を主な理由として、西川を積極的には起用してこなかっただけに、西川にとっては厳しい環境になると見る向きは少なくなかっただろう。それでも西川は「ここで自分が成長した姿を見せて監督に『成長したな、変わったな』と思ってもらえるようになれればいい」と決意して、今季のスタートを切った。
しかし、そんな決意とは裏腹に西川はスタートからつまずいてしまう。新監督は[4-4-2]を採用すると、西川はサイドハーフあるいは2トップの一角がポジションとなったが、中央で一定の自由が与えられる環境を好む西川は“どっちつかず”の状況に陥ってしまう。「まだポジション自体は定まっていないと思うので、そのなかで自分の良さをどう出していくのかを意識しながら取り組んでいます」と沖縄キャンプ時に西川は話していたが、ほかの選手たちのポジションが固定されていたことを考えると、出遅れた感は否めなかった。
そんな西川にとって転機となったのはチームのシステム変更だった。開幕から3連敗スタートとなった鳥栖は、第4節・いわきFC戦から3バックへと舵を切る。シャドーという中央のポジションが生まれると、このいわき戦で初先発のチャンスをつかんだ。その舞台が昨季、期限付き移籍でプレーしたいわきという場所だったことは何かの縁だったのかもしれない。西川にとっていわきでの1年というのはプロ入りして以来、最も大きなターニングポイントとなっているからだ。
「最初の鳥栖(への移籍)のときはどちらかというと攻撃の部分で成長できた実感があって、いわきでは守備を強化できたという実感はあります。1年間をとおして試合に出続けられたことはプラスに捉えていますし、タフな1年間をしっかり過ごすことができたというのは自分にとっても成長につながっている」
いわきでの1年間をそう振り返った西川だったが、初めての古巣戦ではチームが不調に喘いでいたことに加え、ミラーゲームとなったことで対人守備の局面が頻発したこともあり、とにかく守備を意識して試合に入った。チームは今季初勝利こそ逃してしまったが、引き分けで初めての勝点をつかみ、「守備でやれたことに対してはポジティブにとらえて次また準備していければいい」と西川自身も一定の手応えを感じ取っていた。
愛媛戦翌日の練習試合出場に見る成長への強い意欲
実際にこの試合以降、西川はゴールデンウィーク時の連戦を除けば、すべての試合で先発している。小菊監督も西川の起用について「もともと、クオリティーのある選手。ただ、そういった選手がハードワークするのが世界基準では当たり前のこと。彼も徐々にその基準に近づいていると思いますし、何よりも彼がその基準を高めて日々のトレーニングから体現してくれていることがピッチ上で出ている」と18歳のころから知る背番号11の変化と成長について触れている。しかし、「はっきりと言いたい性格なのでダメなものはダメと直球で伝える」と自認する指揮官は妥協を許さなかった。
第18節・愛媛FC戦では西川を先発させながら前半だけで交代させた。その交代について小菊監督はこう話す。
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Profile
杉山 文宣
福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。
