スキッベ熱望の木下康介が加入。広島の前線に生まれる多種多様な組み合わせが楽しみ

サンフレッチェ情熱記 第25回
1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第25回は、6月に柏レイソルから移籍してきて即チームにフィットしている木下康介が加わったことで、前線の組み合わせがどう変わるのかについて様々な可能性を考察してみたい。
横浜FC戦(6月22日・ニッパツ三ツ沢球技場)は、奇妙な闘いとなった。
ゴール期待値、シュート数、ボール支配率、クロスの数、走行距離、スプリント回数等、あらゆる数字は横浜FCが上。だが、結果は広島が4-0で勝利した。
ただ見た印象では、本当の意味で「危ない」と感じたのは、60分のCKでユーリ・ララにバー直撃、ンドカ・ボニフェイスにポスト直撃弾を食らった2本だけ。一方の広島の得点シーンを振り返れば、もちろん相手のミスもあったとはいえ、それなりのクオリティを確保できている。4-0がフロックだとは全く思わなかった。
まるで3年前の横浜FM戦のような守備強度
どうしてだろう。そう考えた時、思い浮かんだのは「守備」である。
前線からの激しい守備が広島の生命線であるのは、もう誰もがわかっていること。だが、その「激しさ」のトーンが、ここ最近低くなっていた。
今から約3年前の2022年4月6日、横浜FM戦の後半スタートから広島はずっと前からプレッシャーをかけ続けた。それは「コース限定」などという生やさしいものではなく、ボールを奪いに行く気持ちが前面に出た、まさに火の玉プレスだ。
トップの永井龍(現北九州)がスイッチを入れ、森島司(現名古屋)と満田誠(現G大阪)が連動して圧力をかけ、ボール保持ではリーグトップのクオリティを誇っていた横浜FMを窮地に追い込む。
彼らはさすがの質でプレスを剥がし続けたが、そこは全て広島の予測が上回り、次々と圧力を受け続けて前に運べない。ならばと裏に蹴り出そうとするが、荒木隼人を真ん中に置いた3バックに回収される。
キックオフから13分間、ほとんどボールを持っていた横浜FMが自陣から抜け出すことができず、ボールを奪ってすぐに攻撃を仕掛けた広島は4本のシュートを放つ。そして後半5本目、満田のクロスを叩いた森島のシュートはネットを揺らした。ミヒャエル・スキッベ監督が求めるサッカーの凄まじさを初めて披露した瞬間だった。
その時のサッカーを久しぶりに思い出したのが、6月22日に行われた横浜FC戦だった。
14分、ルーズボールを拾おうとしたジャーメイン良を横浜FCのストッパー・山崎浩介が押し倒した。ファウルだと直感したが、荒木友輔主審は取らない。だが、ここで広島の1トップ=木下康介が素晴らしい反応を示す。
セカンドボールを拾おうとしたンドカ・ボニフェイスに強烈なプレッシャーをかけた。フィジカルに自信を持つンドカはボールを保持しようとするが、木下がそれを許さない。
CBがボールを離した。そこを狙っていた川辺駿がボールを奪回する。焦ったンドカは両足で蟹挟みのようなタックルを敢行し、川辺を倒した。ンドカには警告が示されたが、レッドカードでもおかしくないプレー。佐々木翔が猛烈な怒りをンドカに示したのも無理はない。広島の背番号6が負傷しなかったことが、幸いだった。
ここで注目したいのは、木下の振る舞いである。
セカンドボールを拾ったンドカ・ボニフェイスに対して、プレスバックを敢行し厳しく圧力をかけ続けることは決して簡単ではない。普通のストライカーであれば、味方にボールの回収を託して自分はカウンターに備えようとする。しかし、彼はボールホルダーを追った。追い続けた。
このプレーがあったから広島は相手陣内でセットプレーを得たし、その流れの中でのCKから木下自身が先制点を勝ち取った。自身の献身が自身のゴールにつながる。チームにとっても木下にとっても最高の結果を得たわけだ。
「このチームは強度が高いですし、前からプレスをかけることが求められている。前が行くことで後ろもついてくるので、そこを引っ張っていけたらと思っています」
試合前に木下が語っていたことが、まさに現実化したと言っていい。
横浜FCは前節の川崎Fに対しても、ボール支配率で上回っている。積極的にボールを奪いに行き、マイボールを大切にして闘おうという意思を感じる。広島のプレッシャーを何度かかわし、相手陣に縦パスを入れるシーンもあった。だが、木下と加藤の連続したプレッシャーが広島の守備陣にいい予測を与え、縦パスを入れられても決して慌てることがない。
22分もそういうシーン。加藤のプレッシャーを受けながらも福森晃斗が鈴木武蔵に縦バスを入れた。このパスそのものは素晴らしい質を持っていたが、予測していた広島の守備陣がしっかりと対応し、鈴木に前を向かせない。それでも打開しようとボランチのユーリ・ララがPA内な侵入してきたが、荒木隼人が対応してファウルを誘った。広島の守備が崩れる気配は、全くなかった。
前線全体に波及する「木下効果」
このシーンで得たFKを大迫敬介が蹴り出す。強い追い風が吹いていたことを頭の中に入れていた加藤陸次樹が一気に裏を取る。福森のコントロールミスを見逃さずにポジションを取っての股抜きシュート。まさに「何もない」ところからのゴールだった。
このシーン、DAZN中継で解説を務めていた水沼貴史氏が「前で木下が競っていた」ことを指摘していたが、さすがの視点である。
大迫のロングボールに対して木下は足を止め、競り合う意思を示した。このことによって、ンドカ・ボニフェイスは彼を捕まえ密着する必要が生まれた。必然的に横浜FCの後ろの守備は手薄になる。
「浮き球が来る時は、自分の後ろにいてほしい」
そういう言葉を加藤は、木下からもらっていたという。ハイボールに競る時、必ず裏を取っておく。それは、スキッベ監督のサッカー・コンセプトと一致するやり方であり、新加入のストライカーはそこを理解していた。そして加藤が木下の意思を実行したことによって、この2点目が生まれたと言っていい。
「それほど多く言葉をかわしていたわけではないけれど、思っていた以上に(やりたいことが)康介くんから伝わっているというか、共通認識ができている感じがして。練習では1回も組まなかったんだけど、本当にやりやすかった。距離感がすごくよかった」(加藤)

ジャーメイン良も決してポストプレーが下手な選手ではない。しかし、彼はずっとサイドハーフでプレーしていた選手であり、磐田でCFに定着した後も2トップでプレーしていた試合も少なくなかった。1トップとしてDFを背負うプレーもやってはいたが、前を向いて自身のスピードを活かす方が、破壊力は出る。
響いた「ポストプレーヤーの不在」
そういう意味では、今季の広島は編成の問題があったのかもしれない。
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Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。