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「生態系をつくるのが上手い監督」スキッベが広島にもたらした一歩進んだマネジメント術

2023.10.25

サンフレッチェ情熱記 第6回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第6回は、トレーニングを見学した片野坂知宏氏が「ちょっとエコロジカル・アプローチに似ている」と評したスキッベ監督のチームマネジメントについて掘り下げる。

 監督の指示・戦術を浸透されることを「仕込む」という。

 多くの場合、「仕込む」のミーティングとトレーニングで監督が細かい動きを選手たちに対して指導し、動き方も規定していく。例えば「ポジショナルプレー」を表現するためにピッチを縦5つのレーンに分け、「同じレーンに2人立たない」などのルールを細かく決めるやり方が、チームの成功を導く。一時は「ポジショナルプレー」を仕込んでいるから、そのチームの質が高く、監督の評価も高くなるという基準があった。

今まで見たことがないトレーニング風景

 そういう視点から見る人にとっては、ミヒャエル・スキッベ監督のトレーニングや試合を見て「結果が出せる」なんて想像できないと思う。

 練習中も試合中も、指揮官はずっと黙って選手たちを見ている。練習メニューの説明はあるし、「遠くを見ろ」とか「しっかりと繋げ」「クロスが入る時は1人、ニアに走れ」などという基礎的なことを指示することはある。試合では審判に対して激しく詰め寄り、ピッチの中に入ってしまって警告をもらったこともある。

 ただ。チーム戦術を整理してポジション取りを指導したり、プレッシャーの掛け方を実践したり、試合中にコーチングエリアで大声を張り上げて指示が行われたシーンを見たことがない。それはシーズン中も、キャンプの時も、同様だ。

 非公開練習を試合前日に30~60分間、行うこともある。だが、ここで戦術的に詳細な指示を出して動きを規定することもない。それは選手たちが、証言している。

 シーズン中の練習でも、「主力組」と「控え組」に分けることもなく、「控え組」が「主力組」のスパーリングパートナーになることは、前日練習しかない。その組み分けにしても、前日練習の時間内で選手をいく通りにも入れ替え、選手たちも「誰が出るか、わからない」と語るほど。実際、2トップにしたり4バックにしたりと、システムの変更も時に練習しないでいきなりやってしまうことも多々ある。しかもそれが、多くの場合、機能してしまうのだ。

 つまり、スキッベ監督は選手を固定してコンビネーションを磨くこと、チーム戦術を細かく規定して選手たちにやり方を細かく「仕込む」やり方に、重きを置いていないのだ。「主力」と「控え」を分けないスタイルを見たのは初めてだし、これほど黙って選手たちを見ている監督も見たことがない。寡黙だったヴァレリー・ニポムニシ監督も、例えば森﨑和幸に「この位置にいる時はターンをするな」とか、藤本主税にも「このラインよりも後ろに下がってくるな」とか、そういう指示は頻繁に出していた。

本人が語る「しっかり育成されている」広島の選手への信頼

 前線からのハイプレス、そしてハイライン。コンパクトゾーン。縦に速い攻撃。そういう「大枠」はあるが、その大枠の中で自由を与えられているのが、今の広島だ。「選手たちはきっと、サッカーを楽しんでいると思いますよ」と足立修強化部長や迫井深也ヘッドコーチは言う。

 確かに「サッカーを、人生を楽しもう」という声かけは、指揮官から頻繁になされている。自由はえてして放任につながり、調和は崩れ、方向性がバラバラになっていきがちだ。だが、スキッベ監督のチームに、そういう意識の不統一はない。彼が就任して以来、広島が残した戦績を見れば、それはわかる。

 昨年はルヴァンカップ優勝、天皇杯準優勝、リーグ戦3位。今年は満田誠や塩谷司らの長期離脱が響き、カップ戦は早期に敗退してしまったが、リーグは現在5位につけている。シュート数はリーグトップを記録し、ゴール期待値もトップクラス。平均失点も0点台。ピエロス・ソティリウのような点が取れるストライカーがシーズンフル稼働していたら、加藤陸次樹が開幕時から広島にいたら、満田の3カ月にわたる不在がなかったら、開幕戦で川村拓夢が放った「幻のゴール」が認められていたら。そういう「たられば」を言いたくなるほどの内容を見せてきた。指揮官が与えた自由が効果をあげている証拠であるが、どうしてそうなるのか、そのロジックが見えない。

 スキッベ監督に「細かい指示をされないのに、チームはどうしてまとまって戦うことができるのですか」とストレートに尋ねてみた。……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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