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サンフレッチェ生え抜きの“8番”。川村拓夢が乗り越えてきた「高い壁」

2023.05.18

サンフレッチェ情熱記 第1回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第1回は、アカデミー時代から成長を追ってきた川村拓夢の「高い壁」から逃げずに向き合い続ける挑戦の過程を伝える。

本当に川村拓夢は不調なのか?

 時折、「川村拓夢は不調だ」という言及を見かけて、正直、びっくりしている。

 その理由は「得点を決めていない」「シュートの決定率が悪い」ということだ。

 確かに、今季の彼は12試合に出場して1得点1アシスト。シュート25本を放っているのに決定率は4.0%。大迫勇也の33.3%(神戸)や町野修斗の19.4%(湘南)と比較すると、大きな差があると言っていい。

 だが、ここでぜひ思い出してほしいのは、彼はストライカーではないということだ。

 森島司や満田誠がケガをした時などではシャドーに入ることもあるが、基本的には彼はボランチ。いや「2.5列目」と彼自身も語っているように、アンカーを務める野津田岳人の前にポジションを取るケースがほとんどだ。

 そういう位置取りをする選手がJリーグのシュート数ランキングでトップ10に入っていること。平均シュート数2.27は大迫の2.25を上回っていることの方が驚きだ。

Photo: Kayo Nakano

 もちろん、サッカーはシンプルにゴールを争うゲームであり、シュート数によって判定勝利が得られるわけではない。しかし、シュートを打たないとゴールが取れないことも事実であり、2.5列目からまさに「凶暴」と言っていい選手が飛び出してシュートを打たれてしまうと、相手にとっては恐怖以外の何ものでもない。まして彼は昨年、J1ベストゴールを受賞した選手であり、天皇杯やルヴァンカップで強烈なゴールを連発しているタレント。今季、かなり警戒されていることは明白だ。

 もちろん、昨年の秋のような公式戦5試合で5得点、そのうち3得点が決勝弾という爆発から考えれば、現状は不満だろう。実際、川村は「自分がシュートを決めていれば、勝てていた」と何度も語り、責任を感じている。確かにその通りかもしれないが、だが他の選手は決して、そうは見ていない。

 野津田岳人のコメントを紹介しよう。

 「アイツはホントにすごいですよ。チームへの貢献度は計り知れないし、アイツがいてくれると、ホントに助かります。球際で勝ってチャンスを繋げてくれたり、ここ1番でアイツが打開してシュートまで持っていく。そういうシーンがすごくあるんですよ。シュートが決まらなかったからって落ちないでほしいなと思います。あそこまで貢献しているっていう驚きの方があるんで、そこは全然気にするなって言いたいですね。アイツは凄いっすよ、マジで」

 野津田が言うように、彼は球際の強さとボール奪取能力でチームに大きく貢献している。183センチの長身であるがゆえの足の長さを活かして身体を入れ、強靱な体幹を利してボールを奪取する能力はリーグでも屈指。川村の力強い守備なくして、相手陣内に押し込む広島のサッカーはあり得ない。

 運動量も豊富で、今年のリーグ戦初得点となった福岡戦でのシーン(89分)はその典型。越道草太のパスが少し緩くなったと感じた川村は身体を入れるようにして相手のインタセプトを防ぎつつ、前を向く。そのまま、一気にボールを運び、エゼキエウとのワンツーを経て、PA内まで侵入して左足の強烈なシュート。90分近くプレーを続けた上で50mを一気にスプリントし、強烈なシュートを叩き込む。そのスタミナは、細く見える身体のどこに潜んでいるのか。

 「あの時は、いつもだったら力んでたと思うんですけど、ちょっと足を打撲していたから、いい感じに力が入らなかった」と川村は笑う。そして。

 「開幕戦の幻のゴール以来、それはずっと考えていました」

2022シーズンのJ1ベストゴールに選ばれた清水エスパルス戦での川村拓夢のロングシュート

VARのミスで取り消された「幻のゴール」の幻影

 彼の言う「それ」とは、シュートを打っても打っても、ゴールが決まらないという現実である。開幕となった札幌戦、セットプレーから押し込んだはずのゴールが認められなかった。後にVARの判断ミスだったことが判明して扇谷健司JFA審判委員長が謝罪会見を開くという異常事態となったが、主役となったのが川村だった。

 判定ミスがわかった時、彼はこんなコメントを残している。……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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