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満田誠の復帰が求めていた「戦術的なきっかけ」。広島、「V字回復」のメカニズム

2023.09.15

サンフレッチェ情熱記 第5回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第5回は、公式戦8試合連続勝利なしから満田誠の復帰と同時に3勝1分と「V字回復」したチームで何が起きていたのかを伝える。

最下位・湘南に敗戦。クラブ周辺に漂った危険な空気

 平塚の夜が紫のブーイングに包まれた。

 リーグ最下位の湘南に0-1で敗戦を喫してしまった8月5日のレモンガススタジアム平塚。4月1日のG大阪戦以来、15試合も勝利がなかった湘南に敗れたという現実を見せ付けられ、サポーターが怒り、そして悲しむのは当然だろう。選手たちは、応援してくれているはずの人々が発する感情を、ただ黙って聞くしかなかった。

 感情をぶつけられた時は、感情でやり返すこともできる。

 「こっちだって一生懸命、やっているんだ」「必死に戦っているんだ」

 そういう想いをぶつけ返すこともできる。感情のぶつかり合いの中で、何かが生まれる可能性もゼロではない。だが、広島の選手たちの多くは、ただ聞くだけに終始した。

 どんなに感情が昂ぶり、言葉で何かを叫んだとしても、サポーターの心は本当の意味では癒やされない。2007年12月7日、広島が降格したその時に佐藤寿人が「一緒にJ1に帰ろう」と叫んだあの瞬間は、広島の歴史に残る名シーンだ。だが、それですべてのネガティブな想いが、水に流されたわけではない。試合後もサポーターの一部はスタンドに居残ってクラブを糾弾し、謝罪のため彼らの前に赴いた久保允誉社長(現会長)に対しても、厳しい批判や非難が飛び交った。

 しかし、そういう想いを吐き出しても、怒りを誰かにぶつけても、心を支配するのは悲しみと虚無感だけ。敗戦の痛みを癒やしてくれるのは結局、言葉ではない。結果なのである。

 「言葉ではどうとでも言える。大切なのは、やるか、やらないか」

 青山敏弘の口癖であり、名言である。

 試合後、長期間の負傷離脱からの先発復帰戦となったピエロス・ソティリウは、静かに言葉を発した。

 「今の自分の気持ちを言葉で表現するのは、なかなか難しい。この試合は、自分にとっても、チームにとっても、いい再出発にしなきゃいけないって思っていた。でも、結果は敗戦。どんな言い訳も通用しない。できるだけ早く、何が間違っていたのかを考えるべきだ。自分たちの足元をしっかり見て、新しいページを開かないといけない」

 そして、「申し訳ないんだけど、今日の試合に関してはもうこれ以上、何も言えない」と言いつつ、サポーターについて彼は言及した、

 「試合が終わった後、サポーターに挨拶に行った時にブーイングを受けた。でもそれは、当然のこと。彼らにはその権利がある。今日の試合に関しては、本当に、申し訳なかったという言葉しか出てこない。だからこそ、次の試合に向けて自分たちは、できる限りのことをやるしかない。これからも彼らと共に戦っていきたいし、彼らがしっかりとサポートしてくれるよう、自分たちがやっていくしかないんだ」

 広島に移籍してから初めての出場となった加藤陸次樹は、「自分の責任です」と言い切った。

 「僕のゴールでチームを勝利に導きたかったんだけど、逆に自分がビッグチャンスを決めきれなかったところから(カウンターを食らって)失点してしまった。本当に申し訳ない」

 彼の言うビッグチャンスとは、後半早々のシーンを指す。川村拓夢が左サイドに流れ、GKとDFの間に通したクロス。FWにとっては「触ればゴール」というシーンだったのだが、ここで加藤はボールにしっかり足を当てることができなかった。その後ろにいたDFに触られ、詰めていたピエロス・ソティリウもシュートできない。逆サイドから詰めていた中野就斗も、いいポジションを取ることができなかった。

J1第22節、湘南戦のハイライト動画。加藤が迎えた決定機は2:59から

 「ただここでガッカリしてもしょうがないので、次に結果で示すしかないと思って、シュートを打ち続けます」

 そして彼もまた、サポーターに言及している。

 「不甲斐ない結果は、もう出せない。サポーターの方たちもここまで足を運んでくれているし、どうにか結果で示したいし、プレーで示したい」

 ミヒャエル・スキッベ監督は常にポジティブであり、強気な監督でもある。だがさすがに、湘南戦敗戦後の彼はショックを受けていた。

 「今日の試合は湘南の(大橋祐紀選手が決めた)素晴らしいゴールが試合を決定づけた。自分たちはチャンスを多く作りながら、ネットを揺らすことはできなかった。ロスタイム終了の笛が鳴るまで諦めずにやり続けたが、同点ゴールを取れない。ここは、自分たちを批判しなきゃいけない。ここまで22試合24得点。この数字でみれば明白だが、(今の広島は)均衡した試合で勝つ力はない」

 6月11日、0-1で敗戦した川崎F戦を皮切りに、広島は公式戦8試合連続勝利なし。この間の平均得点は0.38で複数得点はなく、クリーンシートもない。天皇杯もルヴァンカップも敗退し、ミヒャエル・スキッベ監督就任以降、最大の苦境に立たされた。

久保会長来訪。「ミスや敗戦から学ぶことが多いんですよ」

 8月9日の朝、練習場に突然、久保允誉会長がやってきた。成績が上がっていない中でのクラブトップの訪問。チームに緊張感が走った。だが、久保会長は柔らかい表情で、時には笑顔や冗談を織り交ぜながら、監督や選手に語りかけた。

 「今日はチームをお祓いに来たんだよ」

 会長は笑った。

 「スポーツでも他のことでも、ミスや敗戦から学ぶことが多いんですよ。でもそこからが、改革のスタート。だからまずは前を向いて、しっかりとやってくれればいいと話しましたね」

 スキッベ監督は久保会長の来訪とスピーチを喜んだ。「本当にありがたい」と笑顔を見せた。それは湘南戦ショック直後の沈痛な表情とは、全く違っていた。

 「会長からは、これまで(経済の最前線での)百戦錬磨というか、厳しい戦いをやってこられたからこそ身に付けられた哲学、経験を踏まえてのお話で、いいヒントをいただいたと思います」と足立修強化部長は言う。

 「選手たちもここまで、様々なネガティブな思いに囚われていたと思いますが、少しプレッシャーから解放されたような表情をしていました。監督も、嬉しそうでしたね。(実質的な)オーナーが練習場まで顔を出すというのは、ヨーロッパでも特別なこと。会長との会話で監督も少し、肩の荷がおりたのかもしれません」

 久保会長と共に2007年の降格や3度の優勝を経験してきた青山敏弘は「会長のパワーはすごい」と驚嘆した。

 「人を引っ張っていく立場の方の日々は、決断の繰り返し。一つひとつに責任の重さを感じるし、スピード感も凄い。圧倒されました。それに、こういう形で来ていただけるってことは、僕らへの期待の証拠。強い想いが伝わった。でもそれは、僕らにもできることだと思う。強い気持ちで、(周囲に何かを)伝えることは必要だなって改めて思いました」

 また荒木隼人は「会長からすごくいい言葉をかけてもらった。僕らとは違う観点からかけてくださった言葉や話す内容はさすがで、やはりエディオンという大きな会社のトップの人は違う。すごく勉強になりましたし、もっと頑張らないといけない」と表情を引き締めた。

 久保会長は朝9時の練習開始に間に合うようエディオン本社のある大阪を発ち、監督や選手たちを励ましてすぐ、練習場を後にした。多忙なビジネスのスケジュールの中で練習場を訪れたトップの言葉には、結果が出ないことに対する怒りも憤りは微塵もなく、ただ愛情のみが存在した。その効果なのか、チームを覆っていたはずの重い空気はなくなり、ポジティブな声がよく聞こえるようになった。選手たちは気づいていないかもしれないが、少なくとも外からはそう映った。

笑顔で取材に応える久保会長(Photo: Kayo Nakano)

あらゆる攻撃的なデータでリーグトップ。あとは「決める」だけ

……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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