「水戸の戦術はカメレオン」躍進を支える陰の立役者、林雅人コーチのオランダ式サッカー解釈
【特集】水戸は一日にして成らず#5
J2第23節終了時点で水戸ホーリーホックが首位に立っている。特に5月以降は10勝1分と勢いが止まらない。小島耕社長と西村卓朗GMによる「ピッチ外の取り組み」は常に高く評価されてきたクラブだったが、「やりきる 走りきる 勝ちきる」をテーマに掲げた森直樹監督の下でついに地道な努力が花開いた。水戸は一日にして成らず――クラブ史上初のJ1昇格が見えてきた今、あらためて躍進の理由を考えてみたい。
第5回は、今季から水戸のコーチに就任した林雅人コーチにフォーカス。オランダで学んだユニークな指導キャリア、水戸で攻撃担当コーチとして意識している「相手を見て変化するサッカー」について解説してもらった。
オランダで学んだ「相手を見て変化するサッカー」
――まず、これまでのキャリアについて聞かせてください。日本体育大学卒業後にオランダに渡られましたが、どういった経緯だったのでしょうか?
「日本体育大学在学時にアーリー・スカンスさんというオランダ人の指導者が監督をしていたんです。4年間指導してもらいました。僕が入学するまで日本体育大学はフィジカルを重視したサッカーをしていたのですが、アーリーさんが来てからフットボールはボールを持って、相手を見ながらやるスポーツだということを浸透させてくれました。今では当たり前になっているポゼッションとかを教えてくれて、それまでとガラッと練習が変わったんです。僕自身も『これがサッカーだよな』と思いながら、4年間サッカーを続けました。
将来的に指導者になりたいという考えがあったものの、卒業後、まだ現役としてサッカーをやりたい気持ちがありました。ただ、プロになれるレベルではなかったので、実業団に入って仕事をしながらサッカーをする選択肢もありましたが、それだと指導者の勉強がおろそかになってしまうかなとか、進路を模索している時、監督に相談したら『オランダでは、アマチュアクラブでプレーすれば給料をもらえるので、生計を立てられる』と教えてもらい、なおかつ、余った時間で指導者の勉強もできるので、一石二鳥だという話をいただきました。当時、日本体育大学は毎年春先にオランダ遠征に行っていたんです。自分が卒業して、次の代がオランダ遠征に行くタイミングで便乗してついていったんです。それで監督に紹介いただき、地元のクラブの練習に参加させていただいたところ、入団させていただくことになったんです。そこからオランダでの生活がスタートしました」
――オランダ語を話せたのですか?
「まったく話すことができませんでした。クラブが決まった後、選手をしながら大学の講座でオランダ語を専攻する形で学校に通っていました。1年半ほど学校に通って、オランダ語の国家試験を取得しました。なので、公式で第二母国語がオランダ語になりました。試験はめちゃくちゃ難しかったです。毎日オランダ語漬けでしたね。同時に指導者の勉強もして、正式に指導者ライセンスを取得することができ、知り合いから紹介してもらった、僕の住んでいた街から一番近いトップレベルのプロクラブであるフィテッセで研修生として入れていただくことが決まったんです。強化部長と話をした時、『日本人でオランダ語を話せる人を初めて見た』と驚かれました(笑)。7つの年代すべて研修生の受け入れが決まっていて、U-19だけ空いているということで、いきなりU-19で研修することとなったんです。そこから3級、2級、1級とライセンスを取得していきました。2年間研修した後、新たに作られたU-11のカテゴリーで指導者が必要となり、そのチームのコーチとして正式に契約することとなりました。そこから5年間フィテッセで仕事をさせていただきました」
――日本人にアカデミーの指導者を任せてくれるということは、それだけ信頼されていたということでしょうね。
「国家資格を取得したからといって、難しいオランダ語を話せるわけではないんです。逆に、シンプルで選手に伝わりやすいため、僕のオランダ語は子どもでも理解しやすいという利点がありました。また、とにかくサッカーを追求する姿勢が認められたのかなと思います」
――オランダサッカーの特徴をどういった部分に感じましたか?
「一番は前に進むところですね。ゴールから逆算するという考えは今では日本でも当たり前になってきていますし、今の水戸で体現していますが、当時からオランダではセンターフォワードやウイングにどうやってボールを運ぶかを子どもの頃から追求していました。どうやったら前にプレーできるかを考える。それがオランダサッカーの強みだと感じましたね。後ろを向いてボールを受けたら前を向けないだろうと言われますし、後ろを向いていても、前を向いて出せと指摘される。そのぐらい、前に進むというイメージが強かった。ウイングはボールを持ったらバックパスをするなという考えでした。だから、ロッベンみたいなとんでもない選手が出てくるんでしょうね。常に前にプレーして、DFの背後を取るということを求められていました」
――オランダは歴史的にウイングを活かしたサッカーをしますからね。
「ポジショニングの取り方にしても、前に行くという目的を共通認識として持っている。そのためのポジショニングや関係性の作り方などすごく論理的なんです。ターゲットがはっきりしているのがオランダサッカーの特徴ですね」
――日本と指導の仕方や考えは異なるのでしょうか?
「大学卒業してすぐにオランダに渡ったので、日本の指導はそんなにわからないのですが、オランダ人はトレーニングの効率を求めますね。1回のトレーニングで何回ボールを触れるかにすごくこだわっている。人数が多いと、ボールに触る回数が少なくなってしまうじゃないですか。だったら、少ない人数で多くボールを触れるような設定にするという考え方ですね。また、ゴールを奪うことを目的としたスポーツなので、常にゴールを置くようにしています。すべてはゴールのためにプレーする。25年前からそういうところは意識していましたね」
――オランダから日本サッカーをどのように見ていましたか?
「当時から止める・蹴るといった技術力は日本人の方が高いと思っていました。2005年にワールドユースがオランダで開催されて、その時のU-20日本代表には本田圭佑や平山相太とか、有名な選手がいたんですけど、僕は通訳として帯同させてもらいました。また、オランダに遠征に来る年代別日本代表やJクラブアカデミーのコーディネーションや通訳を務めることも結構ありました。その際、オランダの指導者が常に口にしていたのが、『日本人はボール扱いはうまいけど、サッカーは下手』ということ。今はだいぶ変わってきたと思いますが、20年以上前はそういう認識でした。
それはどういうことかというと、ゴールからの逆算ができていないというか、サッカーの本質が何なのかを理解できていないということだったと思います。ボールを持った時にゴールに向かうために何をするかという選択肢が乏しい。オランダ人の方が大雑把だけど、そこに関しての選択肢は明確に持っている。背後が空いていれば、シンプルに背後に蹴る。試合に勝つことが一番の目的だという共通認識はオランダの方が圧倒的に上でした。オランダ人は『日本人はうまくてボールを取れない』とよく言っていましたが、『でも、試合ではオランダが勝つよ』とも言っていました。そういうことだと思います。今でも『日本人は技術力が高い』という認識は変わっていないと思います」
――ゴールに向かうという意識の差ですね。そこに対して、ヨーロッパの方が論理的なのですね。
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Profile
佐藤 拓也
1977年生まれ。神奈川県出身茨城県在住のフリーライター。04年から水戸ホーリーホックを取材し続けている。『エル・ゴラッソ』で水戸を担当し、有料webサイト『デイリーホーリーホック』でメインライターを務める。
