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「このチームのために90分戦いたい」と思える幸せな日々との邂逅。ファジアーノ岡山・田部井涼インタビュー

2025.02.24

【特集】ファジアーノ岡山、 市民クラブがJ1に見る夢#8

2025シーズン、クラブ創設以降初めてJ1を舞台に戦うファジアーノ岡山。1つの大きな夢を叶えた市民クラブは、その先に何を見るのか? 森井悠社長は「岡山のスポーツ業界の中では確かな成長を遂げつつある。(売上)100億円をいろんな形で目指すこと自体は不可能ではない」と壮大な青写真を描いている。悲願の実現に至る過程、そしてその未来にある景色に思いを巡らせてみたい。

昨シーズンに引き続いてチームの副キャプテンを任されているのが、在籍3年目となる田部井涼だ。J1昇格プレーオフでも腕章を巻いてチームを牽引したレフティが、自身初となるトップディビジョンでの戦いを前に、今の想いを語り尽くす。

(取材日:2月12日)

「その言葉に僕はかなり救われましたね」。竹内涼から送られた金言

――岡山での生活も3年目に入りますが、もうだいぶ愛着のある住み慣れた街という感じでしょうか?

 「そうですね。地元の群馬に似ている感じがしています。何よりファジアーノを応援するという気持ちが見える場所で、それはクラブスタッフの方々の努力のおかげですね。駅にも、市街地のほとんどの飲食店にも、ファジアーノのポスターが貼ってありますし、あとはスタジアムに来てくださるサポーターの方も多いので、街全体が応援してくれていることを感じています」

――駅からスタジアムに向かうまでの道を見ても、岡山にファジアーノが根付いていることを感じます。

 「試合前もそこをバスで通るんですけど、駅から歩いてスタジアムに向かう方々の姿も見えていますし、県全体の応援を常に感じながら戦っています」

――今年はJ1に上がったことで、今まで岡山に来たことがなかった他クラブのサポーターの方がいらっしゃると思うのですが、田部井選手のおすすめスポットはどこですか?(笑)

 「おすすめスポットかあ(笑)。ああ、『うどん屋 杉』というお店があって、そこの大将と女将さんがメチャメチャ良い人で、話していたらすぐにわかるような人情味が伝わってくるんです。うどんも美味しいですし、そこには是非行ってみてほしいです!あと、やっぱり倉敷は散策するだけでも楽しいですね」

――『うどん屋 杉』ですね。今度行ってみます!ここからは昨シーズンのお話を伺わせてください。まずは横浜FCからの期限付き移籍だった形が、完全移籍へ移行した1年でしたね。

 「プロ1年目は横浜FCでプレーさせていただいて、2年目に出場機会を求めて岡山に来させてもらった1年間で、ここの皆さんを見ていて、こんなにチームのためにすべての人が仕事をしているようなクラブはないなと思って、そこに僕は凄く価値を感じました。もちろん横浜FCに戻る選択肢もありましたが、完全移籍のお話をいただいたので、もう迷うことなく即決で『このクラブでやりたいな』と思いました。だから、その背景にはサッカ―があっただけではなくて、このクラブの“色”が一番大きな理由だったのかなと思います」

――去年田部井選手とお話した時にも、「なかなかこんな良いクラブとは出会えないと思う」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 「僕もサッカークラブでプロサッカー選手として仕事をしているので、サッカーのことを極めるのはもちろんですけど、やっぱり『こんなに良いクラブはないな』と去年の1年間でひしひしと感じました。僕は今年でプロ4年目なので、まだ『プロとは何か』と言われてもわからないところもありますけど、ファジアーノは『このチームのために90分戦いたい』という想いを持たせてくれるので、そういうクラブはなかなかないんじゃないかなと思います」

――今までもキャプテンをやることは多かったと思いますが、昨シーズンは副キャプテンに就任されました。そのことに対する想いはいかがでしたか?

 「学生のころからチームをまとめる役割を担わせてもらってきましたが、そのころとプロの一番の違いは選手に年齢の幅があることで、自分より経験の多い選手もいますし、若い選手もいる中で、自分のこともやらなくてはいけないというところで、キャンプ中は『どう行動していけばいいのかな』というバランスを難しく感じながら過ごしていました。

 でも、キャプテンのタケさん(竹内涼)が“リーダー会”という形で副キャプテンを食事に連れて行ってくれた時に、『もうチームのことは十分考えられているから、自分のことに集中すればいいよ』と言ってくれたんです。その言葉に僕はかなり救われましたね。

 自分のことを突き詰めながら、その姿勢をチームに対して還元していくというか、そういう姿勢を伝えていくことができれば、チームは良い方向に進んでいくんだなということを、タケさんのその言葉から教えてもらいましたし、自分自身も試合前にチームを引き締めたり、盛り上げたりする役割を担わないといけない中で、実際にタケさんがベンチに入った時は率先してそういうことをやってくれて、自分がピッチに立った時にプレーしやすい環境を整えてくれました。

 それはヤスくん(柳育崇)もジュンキくん(金山隼樹)も同じで、そういうベテランの選手の行動と言動に凄く助けられましたし、成長させてもらった1年だったと思います」

4か月間の負傷離脱中に取り組んだことの好影響

――開幕から5試合はキャプテンマークを巻いて、スタメン出場が続きました。シーズンのスタートの手応えはいかがでしたか?

 「凄く良かったですね。プレーヤーとしても通用する部分が増えてきた感覚もありましたし、自分の中で手応えはありました。木山さん(木山隆之監督)のサッカーの軸は、攻守において前に、アグレッシブにサッカーするというところで、今年も昨年も『相手コートでプレーしよう』という話がよく出てきます。その中でファジアーノは全部繋いでいくわけではなくて、しっかり相手を見ながらダイレクトでも攻められるし、繋いでも攻められるという、1つに固執しないのが凄く良いところだと僕は思っているので、その中でより相手を見ながらプレーできるようになってきたのかなと。

 具体的に言うと、前にはタカヤくん(木村太哉)とブチくん(岩渕弘人)がいて、一番前にはグレイソンやルカオや、途中からはイチくん(一美和成)が入った中で、そこの組み合わせを見ながら、相手がハイプレスなのか、ミドルで構えるのか、ボランチにどれくらい食い付くのか、あるいは外国籍選手がいたら結構先走ってプレスに出てくるのか、までを見極めつつ戦っていくことは意識していたので、そこで相手の嫌がることはできるようになったと思います」

――そんな手応えを掴みながらも、9節の愛媛FC戦の出場を最後に4か月近く公式戦から離れることになります。この長期離脱されていた期間は、どういう時間でしたか?

 「プロになってから離脱すること自体がほとんどなかったので、苦しい時間でしたね。『なんでこのタイミングなんだ……』という想いはありましたけど、『自分がどれだけ願ってもケガしたことは変えられないから、どこかで踏ん切りをつけて前を向かないといけないな』と思えたので、その踏ん切りは意外と早くつきました。それからはスタンドから試合を見ている時に、『オレだったらこうするな』とか『こういうプレーもあるんだな』という学ぶ姿勢を持てたからこそ、復帰後はすんなりチームに入れたと思います」

――その4か月間で特に取り組んだことはありましたか?

 「自分たちの試合も、J1の試合もそうですけど、メチャメチャ試合を見ていましたね。練習中もグラウンドの隅でリハビリをしながら、『こういう角度で受ければいいんだな』とか『このタイミングで受ければ、味方もパスを付けやすいんだ』というような、オフ・ザ・ボールの駆け引きは見るようにしていました。それは復帰してからもかなりプレーに生きましたね。やっぱり練習でもタケさんの『寄る、離れる』の感覚には学べる部分が多くて、どちらかと言うと今までの自分はやりたいプレーをやったり、入りたい場所に入るイメージでしたが、そこが読まれた時に『自分に食い付いたら、他の場所が空くよね』みたいな感覚をタケさんは持っているので、その話を聞けたのは凄く大きかったです」

2025シーズンもそれぞれキャプテン、副キャプテンに任命されている竹内と田部井

古巣相手に躍動。三ツ沢のピッチで味わった勝利の感慨

――8月の第28節・大分トリニータ戦で4か月ぶりに公式戦のピッチに帰ってきました。この時に自分の中に湧いてきた感情はどういうものでしたか?

 「その試合はホームでしたけど、改めて『このスタジアム、メッチャいいな』と思ったのを凄く覚えています。コーナーキックを蹴りに行って“GATE10”を見た時に、メチャメチャ一体感を感じて、『ああ、このスタジアムでやれるのは凄く幸せだな』と。自分のプレー云々ではなくて、それが一番感じたことでした」

――もしかしたらJ1昇格プレーオフと同じぐらい田部井選手にとって重要だったんじゃないかなと思うのが、第36節のアウェイ・横浜FC戦です。その90分間にJ1昇格が懸かった古巣相手で、会場の三ツ沢にも1万人を超える観客が集まった試合でした。気合い、入ってました?……

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!