
「純血主義」ではなく「属地主義」――アスレティックのフィロソフィへの大いなる誤解
【アスレティックの 「純血主義」は今――異端なる バスクサッカー をたずねて#1】
まず最初に基本的で根本的な誤りから正しておかなければならない。アスレティックのフィロソフィを形容する際に使われてきた「純血主義」という言葉である。私も無批判、無自覚に使ってきたが、これは完全に誤りだ。
「純血主義」と聞くと、“まるでバスク人という人種があって、その血統に混じりっ気ない者たちだけがアスレティックでプレーできる”というふうに響く。だが、何よりもバスク人というのは人種ではなく「民族」である。文化や言語を共有する人たちの集まりであって、生物学的な意味での人種や血とは関係がない。
血や人種ではなく「生まれ」と「育ち」
スペインでバスク人という時には一般に“バスク生まれの人”を指す。アンダルシアからビルバオへ引っ越して来た人はバスク人という自覚はないだろうが、ビルバオで生まれ育った息子は、自分はバスク人だと思うかもしれない。さらに次の世代、彼の子供――バスク生まれの親の子――は完全にバスク人になってしまっているのではないか。「三代住めば江戸っ子」という言葉があるが、移住者の孫の代くらいには言語や生活様式、価値観も共有しているのが自然。つまり、「民族としてのバスク人」の要件は満たしていることになる。……
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。