【後編】日本代表・森保一監督インタビュー。「これまで以上に踏み込んだ」W杯を勝ち抜くためのマネージメント
【特集】北中米W杯総括。日本代表が向き合うべき「壁」の正体#3
日本代表が世界の頂点を目指して戦った北中米W杯。グループステージを突破し、歴代最多得点を記録するなど確かな成長を示した一方で、決勝トーナメントでは初戦のラウンド32でブラジルに敗れ、目標として掲げた“最高の景色”には届かなかった。
では、日本代表を阻んだものは何だったのか。個の力か、戦術か、育成か。それとも私たちが信じ続けてきた「日本らしさ」なのか。北中米W杯は、日本サッカーが次の4年へ進むために向き合うべき「壁」の存在を浮かび上がらせた。本特集では、強化、育成、そして「日本らしさ」をめぐる言説まで含め、その正体を多角的に検証する。
第1~3回は、日本代表が初出場した98年以来W杯8大会を現地取材し、森保体制の8年間を追い続けた増島みどりさんによる森保一監督の単独インタビュー。
北中米W杯で日本代表が積み上げたものは、ピッチ上の戦術だけではない。26人中24人が出場した「バトンをつなぐ」チームづくり、ナッシュビルを拠点としたキャンプ地の選定、試合間の休日や家族との時間をより考えたスケジュール管理。優勝を目指したからこそ取り組んだ1カ月以上を指揮官は「これまで以上に踏み込んだいい準備ができた」と手応えを語る。結果だけでは見えてこない「勝つ確率を1%でも上げる」ためのマネージメントと、その先にある日本代表の次なるスタンダードを考えたい。
(取材日:2026年8月3日)
“26分の24”の価値。「余裕があった」グループステージ突破を支えた準備
――今大会、選手だけではなくスタッフも含めて“日本代表の勝つ確率を1%でも上げる、それにつながる仕事か?”と考えて動いていたと思います。
「その結果、たとえ監督不在でも全てが準備されていく強いチームになった。試合でも、先発が作るパターンだけではなくて後半、交代枠を使って逆転したり相手を突き放したり全員でバトンをつないで勝つ。こうした戦い方で“誰が出ても……”と生まれたチーム力を選手たちがどんどん高めていってくれた。バトンをつないで、とよく表現しましたけれど逞しいと感じていました」
――以前は、試合に出られない選手を控え、とかベンチとメディアが呼んでいました。でもこの1年ちょっとの記事を読み返すと、ベンチ、とか、メディアが本当によく使ってきた“控え組”といったワードがほぼ出てきませんでした。こうした一体感を象徴したのが、“26分の24”でしょうか。W杯中に26人の代表選手のうち24人がピッチに立った。W杯では8大会でも最多の出場人数となりました。
「何人を出すかというよりも、誰もがいつでも試合に出られるコンディション、メンタルでいられるかが先です。その点で出場機会はなくてもGKの早川(友基)も大迫(敬介)も素晴らしい準備をしてくれていた。コーチだったロシア大会、(監督として率いた)カタール、今大会3つの中でも最もゆとりというか余裕を持って臨んだトーナメント1回戦だったと思っています。グループステージでは目の前の試合で着実に勝ち点を取っていくのと同時に、ノックアウトステージに向かっていかにチーム力をコントロールするかがカギ。そこからがW杯の力でコーチ、メディカル担当とスタッフもそこを詰めてやってくれました。もちろん24人がピッチに立ったプロセスでの成長があったとしても、グループステージを余裕を持って抜けたとしても、勝てなければ評価されませんが、コントロールした中でノックアウトステージに入れたと思っています」

――ゆとりといいますか、過去7回のW杯との違いを感じたのは初戦のオランダ戦(6月14日)の翌々日に休日が設定された時でした。1試合目でオフが入ったのは今大会が初めてで、思い切ったと少し驚きました。過去1試合目で勝ち点を奪っても2試合目に勝てなかったのは、このあたりにも要因があったのかな、と。48カ国になって中5日と2試合目まで空いてはいましたが。
「2試合目の難しさはどこでも同じです。初戦で勝ち点を取っても(前回大会の)2試合目は中3日で行われていましたし、まだ突破も何も決まっていませんから選手たちの心身の緊張感がずっと張り詰めている面もあります。今回はスケジュールでもチュニジア戦まで中5日あり余裕を持って3試合を戦って(2戦目と3戦目は中4日)、それがトーナメントにつながるようにしていました。W杯での1試合の集中力は他の試合とは違いますから疲労の回復は慎重に見ていました」
――チュニジア戦の後、モンテレイからナッシュビルに戻った際も夕食は家族と取れるなど配慮したと聞きました。優勝経験国は、休日やファミリーデーなど試合の戦術とスケジュールのマネージメントの両方で勝ち上がりのスタイルが確立されているんでしょうか。
「優勝を目指した時に、1カ月間に絶対に欠かせないマネージメント、細かな準備があります。今大会はその部分でこれまで以上に踏み込んだいい準備ができていました。そこは1月のアジアカップにもつなげていきたい部分です」

「距離」より「快適さ」。ナッシュビルを選んだ理由
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Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。
