66年に次ぐイングランド3位と“過去最悪”の6バック→逆転負け。解任派6割超…トゥヘルをどう評価すべきか
【特集】北中米W杯注目国の敗因 #6
イングランド代表(3位)
北中米W杯では数々の注目国が志半ばで大会を去った。勝敗を分けたのは、個の力か、戦術か、それともピッチ外の要因か。彼らの敗因は「世代交代」や「決定力不足」といったステレオタイプでは片づけられない。戦術の進化、過密日程、ルール変更、選手層、育成、チームマネジメント――その背景には、日本サッカーが学ぶべき課題も潜んでいる。本特集では各国の戦いを深掘りし、彼らがなぜ敗れたのかを検証する。
第6回は、“60年ぶりの優勝も!?”と国民に期待を抱かせながら、準決勝で痛恨の逆転負けを喫したイングランド代表について。「後ろ向き」と批判された、対アルゼンチン先制後のトゥヘル采配。しかし指揮官の立場で考えた場合、積極策が妥当だと思えただろうか?
「攻撃的」で人選も「正解」と理解されたGS首位通過
サッカーの試合は、急降下も回転もあるジェットコースターにたとえられることがある。状況が目まぐるしく変わる90分。イングランド代表チームにとっては、2026年W杯全体が、アップダウンの激しい2カ月間のライドだった。母国メディアでは「史上最高」のみならず、「過去最悪」という言葉も用いられた大会だったのだ。
母国民は、クロアチアとのグループ初戦(4-2)からスリルに酔った。トーマス・トゥヘルの下で初の国際大会に姿を現したイングランドは、「守備的」と言われたガレス・サウスゲイト前体制下とは違っていた。予選で正CBコンビが定まらなかった守備は、「強固」とは程遠い。本戦でもいきなり前半に2度、リードをふいにした。
反面、その基本姿勢は「攻撃的」で、主砲のハリー・ケインが最初の45分間で2得点を記録した。終盤に敵を突き放した4点目は、ネットを揺らしたマーカス・ラッシュフォードとお膳立てをしたブカヨ・サカを含め、後半にベンチを出た4選手が関与。トゥヘルが主導権を握りに行って奪った勝利後には、同じ指揮官の采配が「サウスゲイトよりも後ろ向き」と批判される準決勝敗退など、予想もつかなかった。
そもそも、開幕前にはベスト4入りが予想されていたとも言い難い。主流は「ベスト8は固い」という程度の見方。もちろんファンは、心のどこかで「ひょっとしたら」と思ってはいただろう。しかし、代表史上唯一の国際大会優勝である1966年W杯に続く、2度目の優勝を真剣に期待していた者は少なかった。ところが、「前体制とは違う」と思わせる白星発進により、期待感は高まり始めた。
初戦後は、トゥヘルによる人選も「正解」と理解されていた。「創造性」や「ポゼッション能力」よりも、「フィジカル」に重きを置いた選定。チーム2点目はデクラン・ライスのCKから、味方が相手選手をブロックするゴールマウスでノーマークになったケインがヘディングで決めている。重視されたセットプレーからは、身長193cmの左SBニコ・オライリーにも2度、決めているべきヘディングシュートの機会が訪れていた。
続くガーナ戦(0-0)は、高級紙の1つ『デイリー・テレグラフ』紙でも「優勝候補のステータス低下」と報じられる結果となった。もっとも、言うなれば軽い下り坂。トゥヘルはチェルシー監督時代にも、守備重視の相手に対してはワイドエリアでのパス回しで敵をおびき寄せ、逆サイドに突破口を見出す戦法を好んだ。この試合でも、ベンチから「ショート!」と叫び、辛抱強い繋ぎを促していたに違いない。右ウイングの一番手サカが、アキレス腱の痛みを抱えてのW杯入りでなければ、より実現しやすかったはず。サカが大会初先発でアシストも記録したグループ最終節では、5バックのパナマを下して(2-0)首位通過の運びとなった。
バーンで逃げ切りも「明断」、ベリンガムへの“ムチ”も好評
ファンが、最初に本格的な悲鳴を上げたのは32強でのDRコンゴ戦(2-1)。ライン越しのパスから先制を許したイングランドは、相手CFヨアン・ウィサが絶好機にシュートをポストに当てていなければ、前半で2点ビハインドの窮地に立たされていた。
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。
