ユトレヒトの信頼、テン・ハフとの出会い、アヤックスでの完成…広島新加入のセバスティアン・アレーを「救った」オランダという“幸せ”
VIER-DRIE-DRIE~現場で感じるオランダサッカー~#26
エールディビジの3強から中小クラブに下部リーグ、育成年代、さらには“オランイェ”まで。どんな試合でも楽しむ現地ファンの姿に感銘を受け、25年以上にわたって精力的に取材を続ける現場から中田徹氏がオランダサッカーの旬をお届けする。
第26回は、7月6日にユトレヒトからサンフレッチェ広島への完全移籍加入が発表された、元コートジボワール代表FWセバスティアン・アレーについて。オセール、ユトレヒト、フランクフルト、ウェストハム、アヤックス、ドルトムント、レガネスの4カ国7クラブを渡り歩き、プロレベルの453試合で172得点を決めてきたキャリアの中でアレー自身が「救ってくれた」と認める、オランダがもたらした“幸せ”を振り返ってみよう。
「君に大きな幸せをもたらしてくれる」渡蘭がキャリアの転換点に
1つのピースがうまくハマり、人生が大きく変わることがある。オセールで燻っていたセバスティアン・アレーは、20歳の時にオランダに渡ることによってキャリアを拓いた。
190cmという恵まれた体躯を誇るアレーは、20歳までにオセールのトップチームで57試合に出場し8ゴールを記録していたほど将来を有望視され、出身国フランスの年代別代表にも選ばれていた。しかしロングボール主体のサッカーに不満を漏らしたことで、アレーと監督の仲は冷え切っており、主戦場はセカンドチーム(4~5部)、たまにファーストチーム(リーグ2)の試合に出るという日々を送っていた。
練習は1軍、試合は2軍という日々が続いていた2014年10月、ユトレヒトでフランス担当スカウトを務めるディディエ・マルテルは、セカンドチームでプレーするアレーを見た。
マルテル自身、オセールアカデミー出身のフランス人。1998年12月、パリ・サンジェルマンからユトレヒトに移籍したマルテルは、技巧派レフティーとして活躍し、“DJ”の渾名でサポーターから愛された。よほどオランダサッカーと相性がよかったのか、2004年夏に引退するまでにフィテッセ、ヘルモント・スポルトでもプレー。その後は古巣ユトレヒトのフランス担当スカウトになり、母国で燻るアレーをユトレヒトに誘ったのだ。
「彼の中に、自分が探していたものすべてを見ました。フィジカルが桁外れに強く、泥臭いプレースタイルでありながら、技術が高く、あの身長の割にステップが軽やかだった。私はチーフスカウトのヨルディ・ザウダム(現テクニカルダイレクター)に『いいのを見つけだぞ!』と電話したんです」(マルテル/『VI』より)
当初、アレーはマルテルの誘いに乗り気でなかったという。彼はエールディビジのことも、ユトレヒトのことも、まったく知らなかったのだ。
「そこで私は彼(アレー)に言いました。『君には2つの道がある。ここにとどまって燻り続けるか、オランダへ行ってキャリアを一気に爆発させるかだ。あのリーグとあのクラブは、君に大きな幸せをもたらしてくれるはずだ』と」(同上)
その“幸せ”とはテクニカルな攻撃サッカー。オランダリーグの中では、ユトレヒトは比較的、中盤を省略するサッカースタイルが伝統だが、それでもフランスの2部や4部のクラブと比較すると遥かにビルドアップから崩しにかかる。しかもCFは得点を奪うだけではなく、自身はゴールに背を向けながら、味方を前に向かせるプレーの精度が高く要求される。オランダのストライカー像はいわば、攻撃面における戦術の中心。そのキープレーヤーとなることをアレーは求められたのだ。
さらにアレーは、オセールでは得られなかった信頼をユトレヒトでつかんだ。期限付き移籍後初ゴールは2015年2月15日、ホームのドルトレヒト戦(○6-1/エールディビジ第23節)。この試合の16分に右からの折り返しを右足で合わせて先制点を奪ったアレーはなんと4発を叩き出し、83分にベンチへと下がる時には観衆から「アレー!アレー!アレー!」の絶叫が湧き起こった。
「確実に移籍を後押した」恩師テン・ハフとの再会で完成形に
この半シーズンだけで11ゴール5アシストを記録したアレーは翌2015-16シーズン、完全移籍とともにさらなる成長を遂げる。そのトリガーとなったのが、新指揮官のエリック・テン・ハフだ。
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Profile
中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。
