世界一は「当たり前」から生まれた。スペインを頂点へ導いた“理に適った”フットボール
【特集】北中米W杯深掘り分析スペシャルレビュー #17
4年に1度のW杯は、後世に語り継がれる名勝負の宝庫だ。しかし高度化した現代サッカーの裏側には、徹底した分析と綿密なシミュレーションに基づく極限の戦術的駆け引きが存在する。footballista編集部が選んだ識者たちが、注目国同士による「本気の闘い」を深掘りレビュー。あの90分で何が起きていたのか。勝敗を分けた戦術の妙に迫る。
2010年は夢だった。2026年は、むしろ「勝つべくして勝った」と感じられた――。カーボベルデ戦の敗戦から一切ブレることなく、理に適ったフットボールとマネージメントを貫いたルイス・デ・ラ・フエンテ率いるスペイン代表。戦術以上に世界一を決定づけたものとは何だったのか。第17回では、現地で2度の優勝を見届けた木村浩嗣が、その本質を読み解く。
「理に適った」采配
優勝して一夜明けて思うのは、やはり2度目は違うということだ。
2010年はヒリヒリするような緊張感の中、とんでもない夢に向かっている高揚感があった。まさか、予選弁慶で本大会に入るとビビってこけ、決勝トーナメントに入ると帰り支度をして試合に臨んでいる有名選手もいたほど負け癖が染みついていた、あの“有敵艦隊”が……と信じられない思いだった。だが、今回はあまり期待もせずに始まったはずなのに、ポルトガル、ベルギーと倒すうちにその気になり絶対的な優勝候補だと思っていたフランスに完勝すると、アルゼンチンには普通は勝つだろう、という流れになっていた。で、枠内シュート数12本対0本に象徴される内容と結果となった。当たり前に勝てたので、あれが世界一を懸けた試合だったことがむしろ不思議なくらいだ。
スペインの世界一はまず第一にこの「理に適った」部分に根づいていた。
初戦カーボベルデ相手につまずいた。南アフリカでスイス相手に敗れたのと同じである。が、今回は国を挙げた大騒ぎにならなかった。あの時はセルヒオ・ブスケッツ、シャビ・アロンソの共存問題が起きた。当時のビセンテ・デル・ボスケ監督は「守備的、保守的」と大いに批判された。EURO2008王者として乗り込んだ大会だったが、指揮をしたのはデル・ボスケではなかった。優勝監督ルイス・アラゴネスのクビを切った連盟(当時のスポーツディレクターのフェルナンド・イエロにインタビューをし、そのあたりを突っ込んだ)への不信感が尾を引いていた。
対して、今回のルイス・デ・ラ・フエンテ監督はEURO2024優勝とネーションズリーグ優勝&準優勝監督である。文句を言うとバチが当たる。つまずいた理由も明確だった。ガビの左サイド起用という理に適わないことをしたら、理に適わない結果となった、というだけ。理に適ったことをすれば理に適った結果になるのは誰の目にも明らかで、その通りになった(詳しくは、連載記事『“プランD”失敗からスペインは何を学ぶか。「0-0→4-0」でハッキリ見えたW杯でやるべきこと』を参照)。
以降、采配がブレることはなかった。
サウジアラビア戦の先発メンバーとアルゼンチン戦のそれとは1人(ペドリ→ファビアン・ルイス)違うだけ。ローテーションをせず、フォーメーション([4-2-3-1])をいじらず、交代メンバーは同ポジション同士の同じ顔触れ(ファビアン→ペドリ、ダニ・オルモ→ミケル・メリーノ、ミケル・オヤルサバル→フェラン・トーレス等)だった。
スペインの“当たり前”を完遂
戦術的にも「理に適って」いた。
と言っても、ボールがなければ攻められない、というサッカーの大前提というか当たり前のことをなぞっていた、という以上の意味はない。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。
