【北中米W杯の5つの戦術トレンド】「クォーター制は定着するのか?」:“90分の連続性”を巡る思考実験
北中米W杯の5つの戦術トレンド#4
クラブサッカーが戦術の最先端を切り開く一方で、4年に一度のW杯はその潮流を映し出すだけの舞台ではない。選手の組み合わせや準備期間、そして一発勝負ならではの環境は、クラブとは異なる”勝ち方”を生み出していく。では、北中米W杯ではどのような傾向が見られているのか。本特集では5人の識者が、それぞれ最も印象に残った「戦術トレンド」を1つずつピックアップ。5つの視点からW杯の論理を掘り下げる。
4つ目のテーマは「クォーター制は定着するのか?」。前後半に1回ずつ設けられたハイドレーションブレイクは、単なる暑熱対策ではない。そこには戦術修正、選手保護、放映権ビジネス、そして若年層の視聴習慣までが交錯している。もし、この小さな中断が定着し、サッカーがクォーター制へ向かったとしたら――。給水ブレイクを起点に、フットボールの未来を思考実験する。
給水ブレイクは「小さなハーフタイム」だった
北中米W杯を中継でご覧になった方なら、あの光景を覚えておられると思います。前後半のなかば、主審の合図で試合が止まり、多くの放送ではCMに切り替わる。SNSには「ついに飲水タイムまで広告に切り売りされるのか」という声が流れる。けれども、CM明けの画面の隅に注目していた方は、違う感想を持たれたかもしれません。タッチライン際に集まる選手たち、差し出されるボトルとタブレット、何かを指差すコーチングスタッフ。あの3分間は、「小さなハーフタイム」として機能していたのです。
試合中の給水中断そのものは、目新しい現象ではありません。W杯では2014年ブラジル大会で初めて公式のクーリングブレイクが導入され、決勝トーナメント1回戦・オランダ対メキシコ戦で史上初めて実施されました[1]。ただし当時の運用は、暑さ指数(WBGT)32度超で主審の判断により認められる例外的な暑熱対策でした[1]。日本で馴染み深いJリーグの飲水タイムも、WBGT値に応じた段階運用として定着しています[2]。興味深いのはその線引きで、約1分の飲水タイムでは戦術指示が禁じられる一方、3分間のクーリングブレイクでは監督の指示が認められている[3]。制度設計の上では、中断が戦術資源であることはとうに承知されているわけです。
本稿の思考実験——給水ブレイクが定着し、クォーター制まで発展するとしたら?——は、突飛な連想ではありません。今大会の試合はすでに「約22分×4区画」とも捉えられる時間構造になっています。区画の境目では監督が修正を施し(ユリアン・ナーゲルスマン監督はキュラソー戦の同点直後のブレイクを、指示を徹底し直す好機だったと公言しています[4])、中継はCMを挟み、米『FOX』の解説者アレクシ・ララスからは「第1クォーター終了」というジョークまで飛び出しました[5]。英語圏では「試合が4クォーター制へ分割されつつあるのではないか」という議論も始まっています[4][5]。現状とクォーター制を隔てるものは、突き詰めれば中断の厚みと時計の扱い、そして呼称くらいのものです。「試合を止めてもサッカーは成立する」という運用がW杯全試合分積み上がれば、放映権とCM枠を求める商業の論理と、介入機会と選手保護を求めるスポーツの論理は同じ方向を向きやすくなる。本稿はこの視線を少しだけ未来まで向けて、賛成でも反対でもなく、大真面目に想像してみる——そういう思考実験の遊びです。
クォーター制には「2つの未来」がある
最初の作業として、クォーター制の「2つの未来」を確認しましょう。ブレイクの設定には2つの方式が考えられ、どちらを採るかでゲームの顔つきがまるで違ってきます。
第一の方式は、今大会の給水ブレイクの拡張版です。「22分経過後」といった基準を定め、そこから最初にプレーが途切れたタイミングで主審の笛によってブレイクに入る[6]。試合が自然に息継ぎをする瞬間を待つ、サッカーの生理を尊重した方式です。時計は止められず時間は流れ続け、ブレイク分はアディショナルタイムで補われるため、「時間を殺す」というサッカー古来の駆け引きはそのまま生き残ります。むしろ新種の駆け引きが加わるかもしれません。ブレイクの入り口がプレーの切れ目となる以上、基準時刻の前後数分は、早く中断を呼び込みたい側と遅らせたい側の、中断そのものを巡る綱引きの時間帯になり得ます。
第二の方式は、時計で機械的に区切るやり方です。プレーが止まれば計時も止めるストップクロック方式(実効プレータイム制)を前提に、規定時間が来ればブザーが鳴り、プレーは打ち切られる。この方式では時間を巡る駆け引きの生態系が入れ替わります。「プレーを切って時計を空費する」型の遅延は、空費すべき時間そのものが消えるため意味を失う。一方「ボールを保持したまま時間を使う」型は残り、残りクロックから逆算してポゼッションを使い切るバスケットボール式の「クロック管理」として今以上に洗練されていくかもしれません。時計の外での時間稼ぎが、時計の中での時間運用に置き換わるわけです。
どちらを選ぶとしても、クォーター制サッカーが「バスケやアイスホッケーと同じになる」とはただちには言い切れないと思います。まず、ブレイクの長さが違います。90分を4分割すれば1クォーター22〜25分。バスケットボール(NBAで12分)の倍近い。介入経路の多寡も、既存のクォーター制球技との大きな違いを生むでしょう。バスケには任意のタイムアウトと随時交代が、アイスホッケーにはプレーを止めず選手交代を行うラインチェンジがあり、いずれもピリオドの内部にまでベンチの意思が行き届きます。対してクォーター制サッカーの約22分は、内部に介入経路を持たない丸ごとの「自律的な時間」であり、ベンチの手が届かない時間としては主要球技で他に類のない長さです。その間に疲労は蓄積し、流れは傾き、修正の必要が生じる。ミニチュアの「試合」が4本連なり、継ぎ目にだけベンチの手が届く——この独特の時間構造の含意は、本稿後半で詳述します。
とはいえ、どちらの方式でも共通するであろう光景があります。正式なクォーター制ともなれば、切れ目を交代ウィンドウとして使いたい、交代枠を拡大したいというニーズは避けがたく、「90分を計算して3枚を切る」采配は「クォーター単位で人を入れ替える」発想へ遷移する可能性があります。第1クォーター専門のプレス部隊、第4クォーターを締めるクローザーといった、これまで考えられなかったユニットが現れるかもしれません。そして、3分のブレイクで仕込んだ一手が再開直後に披露される「台本の時間」の登場も現実味を帯びます。NFLには試合序盤の攻撃をあらかじめ脚本化し、相手守備のリアクションを観測する偵察機能も担う「スクリプテッドプレー」というよく知られた手法があり、フットサルでもタイムアウト明けのデザインされた攻撃は珍しくありません。ブレイク明けの数分は「何かが仕込まれている時間」という新しい観戦ポイントになるかもしれません。
さて、ここまでは(エンターテインメントとしては)なかなか興味深い変化が起きそうです。導入を推す側はこう言うでしょう。「選手は休めるようになり、疲労が減ってプレーの質が上がる。ゴールも増える」と。ですが検討(妄想)してみると、この素朴な期待はどうも裏切られそうな気配があるのです。
選手は楽になるのか?——逆かもしれない
「休息が挟まるのだから選手は楽になる」
直感的にはそう思えますが、逆のことが起こる可能性があります。休めるからこそ、誰も休まなくなるかもしれないのです。
現代サッカーの戦術は、その構成要素のほとんどが「90分間のエネルギー配分問題」と分かちがたくリンクしています。ゲーゲンプレッシングが「ボールロスト後の数秒」を目安に発動されるのも、「嵐の時間帯」を作っては退くのも、ハイ・インテンシティのデュエルを交えて45分ハーフを走り切ることは難しいという生理的制約と無縁ではありません。ポジショナルプレーやポゼッションも、「ボールは疲れない」の格言通り、戦略的優位の追求であると同時にエネルギー経済上の戦略でもあります。現代のフットボーラーに求められているのは、爆発的なパワー発揮を繰り返しながら燃料タンクを90分最後まで枯らさないことであり、現代戦術の少なからぬ部分は、その出力の出し入れをチームとして設計する技術でもあるのです。
1クォーターが22分前後になり、その都度3分の回復が与えられる世界では、この最適解が書き換わる可能性があります。22分なら、ほぼ全力のプレッシングで走り切れてしまうかもしれない。交代枠が拡大されクォーター単位のユニット運用が可能になれば、なおさらです。もちろん、リードしたチームがブロックを敷いて耐える専守防衛志向や、省エネ志向は残るでしょう。ただ、本稿は思考実験(妄想)です。相手はクォーターごとにプレス部隊を入れ替え、フル出力を最終クォーターまで維持できる——というシミュレーションを考えてみましょう。現行の90分ゲームならブロック側には「相手が終盤に落ちてくる」という希望がありますが、それが制度的に断たれ、受けに回ること自体のコストが現行よりかなり高くつくようになる。全チームがそう計算するなら、ゲームの平均像はハンドボールやバスケに似た常時高強度の方向へ寄っていくかもしれません。かつてユルゲン・クロップが自らのフットボールを「ヘビーメタル」と形容し、シャビ・アロンソが「ロックンロール」の比喩でハイテンポなスタイルを語ってきましたが、ああした音楽的比喩でしか言い表せない「激しく鳴りっぱなしのフットボール」が標準になる——そんな未来像も現実味を帯びてきます。
そうなれば選手のフィジカルプロファイルも変わり、有酸素エンジン型の価値は相対的に下がって、短い高強度運動を繰り返す「反復スプリント能力」——すでに現代サッカーで重視されている資質——がますます決定的になる。交代運用と組み合わされば、「20分間だけ最高出力を出す」スペシャリストが制度的に成立する可能性もあります。
となれば、クォーター間の「休息」も単純な「負荷軽減」にはなりません。疲労の蓄積に由来する障害は減っても、常時高強度化はハムストリングや前十字靭帯断裂といった爆発的動作由来の外傷リスクを押し上げ得る。「1試合単位では疲れないが、シーズントータルでは壊れやすい」ゲームになるかもしれません。さらに冷笑的な見通しも付け加えるべきでしょう。試合内の回復の余地が、そっくり選手の「福祉」に還元される保証はありません。「リカバリーが容易になるなら試合数は増やせるはずだ」という論理展開は、クラブW杯の拡大やW杯の48カ国化(104試合)と一貫して試合総数を増やしてきた近年のカレンダーを踏まえれば、十分に警戒すべき筋書きです。
サッカーは「監督のスポーツ」になるのか
給水ブレイクによる介入機会の増加が、戦術面で大きな変化を生むことは間違いありません。サッカーは主要球技の中で、監督がチーム全体に介入できる公式の機会がハーフタイムの1回しかない、ほとんど唯一の競技です。だからこそピッチ上の選手たちの自己解決能力、即興能力が決定的な価値を持ってきました。介入機会が3回に増えれば、サッカーはアメリカンフットボールのような「監督のチェス」になるのでしょうか。筆者の見立てはこうです。クォーター制は、ピッチ外からの介入とピッチ内の自律——この両方を同時に高精度化していく。順に見ていきましょう。
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Profile
五百蔵 容
株式会社「セガ」にてゲームプランナー、シナリオライター、ディレクターを経て独立。現在、企画・シナリオ会社(有)スタジオモナド代表取締役社長。ゲームシステム・ストーリーの構造分析の経験から様々な対象を考察、分析、WEB媒体を中心に寄稿している。『砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?』を星海社新書より上梓。
