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新たな投資先としてのフィジカル。 欧州クラブが設備投資をする理由

2019.12.16

歴史あるメルウッドのトレーニング施設から離れることを決意したリバプールは先月、カービーで建設されている新施設の様子を公開。欧州王者の新たな拠点には、2つのジムに屋内練習場、プール、水治療室、リハビリ施設などが設置される予定で、投資された金額は5000万ポンド(約70億円)にも上るという。

マンチェスター・シティユベントスもトレーニング施設に大金を投じるなど、近年ビッグクラブは設備投資を惜しまない傾向があるが、その裏にはどのような思惑が隠れているのか? 欧州でフィジカルトレーナーの育成やチームマネジメントに携わり、日本にバルセロナ発のトレーニングツールを持ち込む奈良坂周氏に、フィジカルトレーニングの観点から設備投資の重要性について考察してもらった。

「パーソナライズ」と「再現性」


――まずは「フィジカルトレーニング」という言葉の定義から教えてください。フィジカルトレーニングと聞くと筋力や心肺機能を向上させるために行うイメージが強いですが、そうした認識は正しくないのでしょうか?


「では、逆に質問させてください。これからマラソンを走るとした場合、ベンチプレスをやるでしょうか?」


――しないですね。代わりにランニングをします。


 「じゃあ、今から重量挙げの大会で入賞を狙うとしましょう。ランニングとベンチプレス、どちらをやりますか?」


――重量挙げならベンチプレスをやりますね。


 「マラソンであれば持久力が求められますし、重量挙げであれば爆発的なパワーが求められる。その競技ごとに求められる能力は決まっているので、それを向上させるためにフィジカルトレーニングを行いますよね。でも、サッカーの場合は一人ひとりの選手によって求められる能力が異なります。例えば、(ロメル・)ルカクには(フィルジル・)ファン・ダイクに競り負けないようなパワーを求めたいところですが、(リオネル・)メッシや(ロレンツォ・)インシーニェのような小柄な選手にはそれだけのパワーを求められないですよね」

18-19シーズンのCL準決勝1stレグでボールを争うメッシとファン・ダイク


――確かにFWだけでも多種多様ですね。


 「このようにサッカーでは同じポジションの選手でさえ、それぞれ異なる特徴を持っていることが多いです。それらに応じて必要な能力は変わってくるので、同じ競技をやっていても選手によってフィジカルトレーニングの内容を変えなくてはいけません。さらに、チーム内での役割も影響を及ぼします。例えば、あるチームで左SBの選手がみんなケガしてしまったので、左CBを本職とする選手が一時的に左SBで起用されたとします。サッカーでは、そこでうまくいけばその選手をそのまま左SBにコンバートすることも多いですよね。そうなると、その選手はもともと左CBで空中戦に必要なハイジャンプが特徴としていましたが、今度はSBとしてスプリントを繰り返す持久力が求められるようになる。だから、同じDFでも役割によって求められる能力が異なってくるわけです。フィールドプレーヤーだけでもこれだけ違いがあるのに、GKはさらに異なる運動をしているわけですから、サッカーでは異なる競技の選手が同時に扱われていると言っても過言ではないでしょう」


――そのように選手一人ひとりによって異なるアプローチを用いる必要がある中で、共通しているトレンドはあったりするのでしょうか?


 「トレンドは2つあります。1つは再現性を追求すること。スペインでは日本で言うフィジカルトレーニングを“preparación física”(身体の準備)と呼んでいるように、サッカーの試合を前提としてフィジカルトレーニングのメニューを考えています。例えば、試合でシュートを撃つ時は単にボールを蹴るだけではなく、相手と競り合っている状態でボールを蹴ることがほとんどですよね。ですから、トレーニングの中でとにかく下半身を鍛えるのではなくバランスの取りづらい状態でボールを蹴る動作を再現したりします。また、次の試合で起こり得る状況を想定して敵チームの戦術に合わせたフィジカルトレーニングを行うこともありますから、サッカーという競技の特殊性や戦術的な要素をきちんと理解した上でトレーニングを構成しなくてはいけません」


――そうなると、コーチングスタッフにもフィジカルと戦術の知識が必要となってきますね。


 「ですから、欧州では大学を修了していたり、資格を持っていたりと体系的に勉強されてきた方がコーチングライセンスを取得して第2監督になることが多いですね。リハビリでも選手を監督の求めるフィジカルコンディションで復帰させるために、理学療法士の資格を持ちながらUEFAのコーチングライセンスを取得されているメディカルスタッフも少なくありません。そこにも現在のトレンドが反映されていると思います」

「選手は移籍しても設備は移籍しない」


――もう一つのトレンドは何でしょうか?


  「現代のサッカーは戦術的に複雑化・高度化しており、GKを含むすべての選手に正しく状況を判断して素早く実行に移す能力が求められているので、状況判断から実行までのプロセスにおけるスピード――プレースピードをフィジカルトレーニングにおいていかに高めるかがトレンドとなっています」


――具体的にはどのようにプレースピードを高めているのでしょう?


 「フィジカルトレーニングの中でもスピードを求めていきます。ただ、純粋にスピードを高めようとすれば身体のコントロールが失われてしまう。とりわけ高強度でフィジカルコンタクトが連続するサッカーでは、コントロールを失うとケガの可能性が大きく高まってしまいます。ですから、とにかくスピードを上げていくのではなく選手のペースに合わせてパーソナライズしていく必要がありますし、同時に身体のコントロール能力をいかに向上させるかが大きなテーマとなっています」


――つまり、ケガの予防も同時に行っていくということですね。


 「それはスポーツ界全体で言えることですね。一例として、ボディビルダーの方と仕事を始めた時は、彼らは他の競技とは違って造形の美しさを競うので、筋肉を大きくすることがトレーニングの中心になっているという先入観があったんです。でも、実際にはボディビルダー界でも予防的なトレーニングが主流となってきています。その理由は、トレーニングができなくなってしまうと失われたフィジカルコンディションを取り戻すのに倍以上の時間がかかるから。ボディビルダーにとっても一番怖いのはケガをすることなんです。サッカーの場合は選手一人に何十億円もの価値があるわけですよね。もし100億円で獲得した選手が、契約期間が満了するまでにケガのせいで30%の試合に出場できなかったとすれば、極論ではありますが単純計算で30億円もの損失が出てしまう。そうした経済的な背景を加味すれば、予防の観点からもフィジカルトレーニングは必要となってきますし、30億円の損失が少しでも減らせるのであればもちろん取り組みますよね」


――日程も過密化が進んでいることを考えると、予防に取り組まざるを得ませんね。


 「ですから、クラブは選手を獲得するにあたってメディカルチェックを行いますよね。そこで筋肉量のバランスを見たりしてケガをする可能性が高い部位を確認し、予防のトレーニングを計画していきます。選手はそうしてパーソナライズされたトレーニングを練習前にやったりしていますね」


――選手のケガや病気を発見することだけが目的ではないと。欧州のクラブはそうしたことを行える設備にも投資を惜しみません。


 「先ほどの例えの続きですが、設備に1億円投資して100億円で獲得した選手の出場時間が2%伸びたら1億円浮くわけですよね。しかも、そうした投資は選手一人だけでなくチーム全体が利益を享受できますし、選手が移籍してもチームに残り続けます。何十億もかけて獲得した選手が数年で移籍することは少なくありませんが、設備は移籍しません。現在の移籍市場では移籍金がかなり高騰していますが、その移籍金分が償却されることはあまりありません。そこに気づいたクラブは設備に投資を始めています。例えば、ユベントスは昨夏にトレーニングセンターを新設しましたよね。そうすることで、もっと成長できる環境を求めている売り出し中の選手や、充実したサポートを求めているキャリア終盤の選手を口説きやすくなっているのではないでしょうか。実際にユベントスは今夏(アーロン・)ラムジーや(アドリアン・)ラビオといった実力者をフリー移籍でうまく獲得していますし、昨夏は30代の(クリスティアーノ・)ロナウドを獲得していますよね。そこには新しいトレーニング施設の存在が一役買っていたのかもしれません」

セリエA第4節エラス・ベローナ戦でともにゴールを挙げたロナウドとラムジー

ペップも一目惚れしたツール


――そうした設備投資の一環として、ユベントスをはじめとする多くの欧州クラブがTMR(Training Method Ruf)というトレーニングツールを導入していますよね。サッカー界に広まったきっかけは何だったのでしょうか?


 「TMRは50年程前からメソッドの研究・開発が進められていたトレーニングツールで、もともとは陸上界を中心に広まっていました。サッカー界にも広まったきっかけは、バルセロナのトップチーム監督に就任したペップ・グアルディオラ。もともとバルセロナではパコ・セイルーロが気に入っていたこともありTMRが活用されていたのですが、それを見たペップも気に入って何十台も発注したそうです(笑)。そこでパコ・セイルーロが『使い回すこともできるし数台でいいのでは?』と尋ねたところ、『育成にも使わせるように』とクラブ全体に導入させていきました。その後、ペップはバイエルンやマンチェスター・シティに移りましたが、行く先々でも導入していますね」

https://youtu.be/lHWFMEf6hCs?t=58
当時のバルセロナの選手たちがTMRを使ってトレーニングをする様子


――どんなところをペップは気に入ったのでしょう?


 「昔フィジカルトレーニングの中心だった器具トレーニングでは、脊柱や関節に対する負荷が大きい一方で、局所的な部位のトレーニングに終始してしまうことが多かったのです。TMRでは、そうしたケガのしやすい部位への負荷を軽減しつつ、体幹やトレーニング部位以外の筋肉の活動を伴う姿勢を作ることができます。つまり、従来のトレーニングのように特定の部位だけを鍛えるだけでなく、実際のスポーツのように全身運動として身体を強化することができるんです。ペップは戦術トレーニングでも状況判断を伴う統合的なアプローチを求めるように、フィジカルトレーニングにも全身運動を必要とする統合的なアプローチを好んでいるので、TMRを気に入ったみたいです。そこに他のクラブも目をつけてスペイン中、世界中に広まっていきました。今ではリバプールまで活用しています」


――脊柱や関節への負担を軽減できるということは、リハビリにも役立ちそうですね。


 「膝蓋腱、前十字靭帯を負傷した選手でもTMRは膝に負担をかけることなく周辺の筋肉のトレーニングを行えるので、リハビリにも役立っていますね」


――その他にもTMRがもたらすメリットはありますか?


 「筋肉の活動にはコンセントリック(力を発揮しながら筋肉が短縮している状態)、アイソメトリック(力を発揮しながら筋肉の長さが変わらない状態)とエキセントリックという3つのフェーズがあります。TMRではいずれのフェーズもトレーニングできますが、特にエキセントリックによって効率良くトレーニングを行うことができるんです」


――エキセントリックというのは具体的にどういった状態を指しているのでしょうか?


 「エキセントリックは日本語で伸張性収縮という意味です。筋肉は自分で縮ませることはできても伸ばすことができませんが、扱う負荷によっては縮もうとしている筋肉を伸ばすことができるんです。荷物を持つ時をイメージしてもらえばわかりやすいと思います。荷物が重過ぎると、荷物を引っ張っている力が負けてしまいますよね。そのように負荷に対して筋肉の縮む力が負けている状態がエキセントリックです。実は筋肉ってその状態の時に凄く大きな力が出るようになっていますが、同時にケガもしやすい。ただ、TMRを使えば自重でトレーニングを行えるのでケガするほど負荷を与えることがなく、それでいて脊柱や関節に負荷がかかりません」


――TMRにはそれだけの耐久性があるんですね。


 「TMRは250kgというかなりの負荷まで耐えられるよう設計されています。そうした安全性と50年という歴史と実績が評価され、リーガのほぼすべてのクラブで導入され始めました。あるリーガのトレーナーは『選手に対して適切なサポートを提供しないということは、高級車を買っているにもかかわらずロクなメンテナンスをしないことと変わらない』と言っていましたが、TMRは一つ2万円程度の投資で選手のメンテナンスの質やバリエーションを豊かにしますし、余程のことがない限り壊れることなく長年使い続けられるのでコストパフォーマンスも非常に良いです」

https://www.instagram.com/p/BznHc7Yg0Z0/?igshid=qv5p3r5wq3t0&fbclid=IwAR0Srdv4Dz9_hUURlv5zITbXihkmfOqGH3I7mUf26ntWNcMf5ITpp4VW8fU
乾貴士が所属したベティスでもTMRが導入されている


――日本でもTMRを導入するクラブが増えていくといいですね! 本日はありがとうございました!

Shu NARASAKA
奈良坂周

1989年、神奈川県出身。2013年に発足したアルビレックス新潟バルセロナで5年間クラブコーディネーターとして携わりながら、スポーツマネージメント事業や指導者やトレーナー向けの人材育成事業に従事。2019年には日本とスペインにて同時起業し、Beist Inc.でスポーツにおける人材育成やマネジメント事業を実施。並行して欧州の名門クラブが導入しているトレーニングツールTMRの日本展開を行なっている。

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Photos: Getty Images

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ユベントスリバプール

Profile

足立 真俊

1996年、岐阜県出身。生まれもっての“人見知り”を克服するためにアメリカにあるウィスコンシン州立大学でコミュニケーション学を専攻。学業の傍らで趣味として始めた翻訳活動がきっかけとなり、翻訳を通じたサッカーに関する情報発信を模索中。2019年5月、結局“人見知り”のままfootballista編集部の一員に。