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日本の“コミュニケーション”で特に感じる『暗黙の了解』の強制

2018.06.06

「ドイツ」と「日本」の育成

~育成を主戦場に活動する二人が日本の現状を考える~

日本の指導者たちは子どものために日々努力を重ねている。が、その努力は正しい方を向いているのだろうか? また、本当に子どもの成長へと繋がっているのだろうか? 日本サッカーはまだ発展段階にある。ならば昨今、どのカテゴリーでも結果を残しているドイツをはじめとする世界の育成にヒントを得てはどうだろうか。そうすれば「今自分が行っている指導を振り返る」キッカケになるはずだ。そこで指導者として、ジャーナリストとして、それぞれドイツと日本の育成現場にたずさわる二人が毎回あるテーマをもとに本音トークを繰り広げる。

6月のテーマ『コミュニケーション』

「暗黙の了解」という都合のいい言葉が邪魔をする場合がある


中野
「コミュニケーションをテーマに挙げようと思ったのは、そもそも『暗黙の了解』として互いに察し合ってわかりあうことが前提に話されていることが多いんじゃないかというのを感じていたからです。特に日本では、自分が考えていること、思っていることは『相手もわかってくれているはず』『わかっていないといけないはず』という距離感と関係性が強くあるんじゃないかと思うんです。でもそれだと、わからないこと、察しないことが『悪』となってしまうこともある。そうなると、意見の相互交流が生まれにくくなってしまうと感じるんです」


木之下
「そこについては世代によって価値観が大きくずれていると思います。40代以降のビジネスマンは特に『暗黙の了解』みたいな感覚が強いかもしれません。20代、30代前半の人たちについてはそこが薄いので、私も割と詳しく伝えるようにしていますが、感じているのは『最後まで話を真剣に聞いていないこと』です。もちろん人によります。そのあたり、ドイツはどうなんでしょう?」


中野
「こうしたテーマやキーワードに沿った話をするとき、なぜ、どんな意図で相手がその言葉を用い、何を言わんとして選んだのかに目を向けないとズレが出てしまいます。例えば、私がイメージしている『暗黙の了解という言葉を用いて表したいもの』と木之下さんとのそれがかみ合わないと、いくら言葉を交わしてもそこに相互理解は生まれません。

 何かを言わんとすることを理解する前に、その言葉から、ここでいえば『暗黙の了解』という言葉から自分なりの解釈、自分なりの経験、自分なりのニュアンスで捉えてしまいます。慎重に熟考しなければならないような場面でさえ、この過程をないがしろにしてしまうことがありませんか? 私は思い返すとかなりの頻度であります。それだけに、どのような視点から見て、どのような考えに基づき、どのように受け取るのかという『解釈力』を鍛えることはとても大切なことだと思っています。

 ただ、その一方で、すべての会話で事細かく事前打ち合わせが必要というわけではありませんし、そんなことはできません。一般論として考えたとき、誤解を招くような発言があった場合、そこへの配慮なく言動を起こしてしまう方に問題があることが多々あります。

 最近であれば『日大アメフト部問題』も、『ハリルホジッチ氏解任問題』もコミュニケーション不足が要因という言葉が挙がってきています。どちらも『そんなつもりでいったわけではない』『こんなつもりで実はやっていたんだ』という弁明をしていますが、では本来思っていた『そんなつもり』を伝えるための努力をどれほどしたのか。そこが問題なのでは、と思うのです。指導者、あるいは人の上に立つ人間であるならば、軽はずみな言葉が与える影響の重さを自認していなければならないわけですから。

 そして、これは特別なことではなく、社会の中でならどこでも起こり得る話ですよね。『詳しくは言わないけど、そのくらいはわかってちょうだいね。わからないとダメだよ』という暗黙の了解の強制は、指導者と選手、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下という関係性で生じやすいのではないですか?

 もちろん人によります。場所によります。地域によります。でも、少なからずまだ多くのところで見受けられていることではないかと感じています。私が言わんとしていた『暗黙の了解』についてはこういうイメージでした。

 すいません、あえて最初に『暗黙の了解とは?』という定義付けをせずに話を振ってみました」


木之下
「私たちの仕事はこういう会話をしていても、結果的に読者、つまりは第三者に発信することを前提にしているので、会話の始めに説明的なものを挟むことが多いです。取材でも、いくら企画書を送ったとはいえ、本番のインタビューを始める前には簡単に企画の主旨を伝えます。それは雑誌の制作をしている中でも表現されていて、特集企画のタイトルの下にリードがありますが、あのリードを読めばタイトルに使った言葉の定義や企画の主旨を明確に書くことで読者との共通理解を作ります。

 私は20代の頃に何度も企画書でその共通理解ができているものと、主旨を簡素に伝え過ぎて失敗しました。最近は自分よりも若い編集者と取材に行くことが多いですが、彼らは相手に対して企画の主旨を説明不足の状態で始めようとすることが多いので、補足する形でインタビューを始めます。

 中野さんのおっしゃる通り、日本人は特に『暗黙の了解』に不透明な領域が広いように感じます。性別や世代、経験値などが違えば、当然その不透明な領域にも差があります。私が感じるのは、日本人は本番のテーマに入る前に相手がどういうところまでそれを認識しているのかを探らずにスタートを切ってしまうところです。

 定義を明確にしたい人もいれば、気にしない人、気づいてもいない人、様々ですが、自分の経験値でいうと気づいてもいない人が多いように思います。数年前からビジネスマン向けに『ロジカルコミュニケーション』というキーワードを使った本が売れ、セミナーも頻繁に開催されています。そういうのはその象徴ではないのかと感じています。

 『暗黙の了解の強制は、指導者と選手、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下という関係性で生じやすいのではないですか?』

 ということですが、まさにその通り! ただ、上の立場にいる指導者、先生、先輩、上司の方々は『強制』していることにすら気づいていない人が多いというのが私の見解です。そもそも上の立場にいるわけですから、自分の方が知識と経験の絶対量が豊富なわけで、それを当たり前だと認識せずにそこを平等に同じ土俵で話そうとすることが原因なのではないか、と。

 例えばライターであれば、その共通理解を確認しながら掘り下げていきます。でも、指導者と選手という立場であれば共通理解は作りながら、具体的には指導者が選手に教えながら共通理解を構築し、その上でトレーニングのテーマに沿ったコーチングが必要なわけです。

 でもジュニア年代の指導現場に行くと、そういうことすら考えずにコーチングをしている人はたくさんいます。子どもたちとの共通言語を作る作業もしないし、指導者側から共通言語の定義付けも明確にしていません。だから、子どもたちを見ていると頭の中に『???』が浮かんだままプレーをしています」


中野
「『強制』していることに気づいていない人が多いというのはそうかもしれません。むしろそうであることがいいとさえ思っている人がいるのが事実あります。厳しいことを乗り越えたことで鍛えられた、育つことができたという実感は大きな重みとしてそれぞれの中に残るのはある意味当然ではあります。ヨーロッパでも、社会に出る前に甘えを一蹴させるために軍役体験があったりすることもあります。ある種のテラピーと考えれば、そして、それでその人がポジティブに変化するのであれば、絶対的にダメということでもない。

 ただそうだとしても、そうした考えを全般化させ、まだ経験も乏しい子どもや生徒や部下にも強制するのは間違っていますし、それが成長につながるとは思えません。抑え込まれることで生じるデメリットが問題につながってしまう。そして、そこに気づかないと、そこにアプローチしようとしないと、コミュニケーションは生まれてこない。

 『子どもたちとの共通言語を作る作業もしないし、共通言語の定義付けも明確にしません』

 これは、ジュニア年代の指導現場を考えたときの本当に大きな課題です。日本だけではなく、ドイツであっても、どこであっても同じような問題はあるはずです。親交あるドイツ人指導者のクラウス・パプストが以前こんなことを言っていました。

 『私はもう何十年もサッカーをしていて、見てきているから、何でもわかる』という態度で接してくる指導者や親がいるが、では車の修理工に『私はもう何十年も車に乗っているから何でもわかる』といって修理の仕方にいちゃもんをつけたりしますか? 指導とプレーすること、観戦することとは別物だ。子どもたちの現在地を知り、何が欠けていて何を身につけるとよりよくなるのかを見定め、どうすれば無理なく成長できるのかと、辛抱強く導くことが大切だ。

 現状をよりよく知るためにはコミュニケーションを通して子どもたちも指導者も頭の中にあるイメージを明確にしていくことが必要になるはずです。そうやって『???』を解消していくことで考えや選択肢に幅を持たすことができるわけです。

 あと『強制はダメ!』といって、『やりたいようにやっていいよ』という一見フリーダムスタンスで取り組もうとする方がいますが、『???』の状態の子どもに『好きでやっていいよ』とってもそれがわからないから困っているわけですよね。指導者サイドは「何もしないんだ」というのは放任でしかなく、やはりそこにはコミュニケーションがありません。

 どちらがいいの二極化ではなく、必要なことを伝え、必要な時間を与え、必要な距離を取り、必要な許容を認める。そこが大事なのだと思います」


木之下
「『必要なことを伝え、必要な時間を与え、必要な距離を取り、必要な許容を認める』

 ここについては4月からの2カ月間で実感する出来事がありました。私はチームコーディネートする町クラブの4年生をメインにサポートをしていて、技術が足らないなと思うことが多々あったのですが、何より不足していたことはサッカーに関する知識や会話でした。きっと、それまでのコーチとの間にサッカーを通じた会話がされていなかったのだと思います。

 2カ月前はフリーズして『このシーンはどうプレーしたらいいと思う?』と尋ねてもまったく答えられなかったのが、『何を見ていた?』から始めて『どうしたらいい?』まで少しずつ積み重ねていくと、今ではうるさいほど答える選手が4、5人はいて、他の選手もゆっくりと問いかけていくときちんと自らの考えを答えられるようになりました。

 私は選手もそうですが、指導者も何をどう教えていいのかがわからないのだと感じています。それは月一の全体ミーティングを重ねていて思います。それはなぜか? 大人の指導者でも質問に答えられなかったり、その答えが曖昧だったりするからです。最初は、『何でこんなことも知らないんだよ』と思っていたのですが、多くの時間を一緒に過ごすに連れて『本当に何も知らない』から選手への指導もどうしたらいいのかがわからず、曖昧な指導に終始しているんだなと気づきました。

 今は全体ミーティングの7割がティーチングの時間です。もちろんその時々によって手法は変えていますが、選手に対しても指導者に対してもティーチングとコーチングの両方が必要だなと思えば、コミュニケーションの取り方も変わります。

 何を、どのように、どこまで知らないのか……相手の気持ちに寄り添いながら一つずつ確認していくことが大切です。そこがわからないと的確な言葉で、どんなことを伝え、どう指導していけばいいかがわからない。指導者自身がその前提となるものを認識していることが重要なのだと思います。そこに気づいていないのであれば、気づくことから始めないといけませんし、コミュニケーション=会話だと言ってもコーチと選手という関係がある以上はサッカーを通じたものであるわけですが、関係のない、だけど関係しそうなことから会話を始めると意外に必要なことに向かう場合だってあります。

 ただ一つ言えることは論点を見失わないことかな、と。そうしないと相手に対してどんな質問をしたらいいのかがブレてしまいますから」


中野
「そうですね。あと大事なのは肩ひじを張ったり、背伸びしすぎないこと。ちょっとずつ無理して、「快適なゾーン」からチャレンジするのはプラスに働きますが、やりすぎは負担になってしまう。それに私はサッカー以外の話をするのが好きですし、その時間がとてもかけがえないものだと思っています。

 好んでよく他ジャンルの人と話をしますが、『サッカーよくわかんないんですよ』という人と話をするのはおもしろいし、他ジャンルの中にたくさんの共通項があったりする。ヨーロッパにサッカー視察に来たからとブンデスリーガの練習見て試合見て、『すごいな、やっぱり違うな』とうなるだけではなく、市場にある屋台での食べ物を楽しんだり、観光したり、美術館や博物館に行ったり、川辺でボーッと本を読んだり、カフェでまったりしたりという時間から感じることってたくさんありますし、ものすごく多くのことをもたらしてくれるんです。

 普段の生活でもそうした視野の広さ、懐の深さを持つことが、よりよいコミュニケーションにもつながるのかなと思います」


木之下
「ジュニア年代の子どもたちは学ぶべきものがサッカーだけではないので、大人側にも『ゆとり』みたいなものがなければ指導できないのかもしれませんね。そのゆとりが中野さんのいう『より良いコミュニケーション』につながっているのかもしれません。

 職業柄、何に対しても明確に論理的に理由を求めがちですが、子どもと接しているときはそれが強すぎるとあっちが構えるんです。たまに『オレ、こわいオーラを出しているかな』とすぐに切り替えます。

 今回も長々と語ったので、最後に中野さんが〆てください。そして、来月のお題もよろしくお願いします」


中野
「ここまでコミュニケーションを伝える側の観点でいろいろと話してきましたが、結局「一方通行だ」と成り立ちません。受け取る側の解釈する力も同時に取り組むことが必要です。だからこそ子どもの頃からいろいろなことについて問いかけを繰り返えされ、何をどのようにどうしてそのように捉えて、自分はそれに対して何をどのようにどうして考えたのかというフィードバックの時間が極めて大切になるわけです。

 何も事細かく突き詰める必要があるわけではなく、「練習、どうだった?」「昨日仕事でこんなミスしちゃったんだけど、どうしたらよかったかな?」「ラーメンは好き?」みたいな簡単な会話からちょっとずつ引き出していければいいと思います。そのようなやり取りで終わることもあれば、結構食いつきが良くて盛り上がることもある。楽しそうに話しているのを外から見て、「僕も話したいな」というそぶりを見せる子がいたらスって中に入れてあげればいいと思います。

 このコミュニケーションからの流れで、来月のテーマは「助けてもらうことの大切さ」というのはどうですか?」


木之下
「助けてもらうことの大切さですか。では、そうしましょう。私の苦手とするところなので、たくさん中野さんから学びたいと思います(笑)」


【聞き手プロフィール】

木之下 潤(編集者/文筆家)
1976年生まれ、福岡県出身。大学時代は地域の子どもたちのサッカー指導に携わる。福岡大学工学部卒業後、角川マガジンズ(現KADOKAWA)といった出版社等を経てフリーランスとして独立。現在は「ジュニアサッカー」と「教育」をテーマに取材活動をし、様々な媒体で執筆。「年代別トレーニングの教科書」、「グアルディオラ総論」など多数のサッカー書籍の制作も行う。育成年代向けWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の管理運営をしながら、3月より「チームコーディネーター」という肩書きで町クラブの指導者育成を始める。


■シリーズ『「ドイツ」と「日本」の育成」』
第一回「町クラブの育成指導者の給料はいくら?」
第二回「『日本にはサッカー文化がない』への違和感。積み重ねの共有が大事」

■シリーズ「指導者・中野吉之伴の挑戦」
第一回「開幕に向け、ドイツの監督はプレシーズンに何を指導する?」
第二回「狂った歯車を好転させるために指導者はどう手立てを打つのか」
第三回「負けが続き思い通りにならずともそこから学べることは多々ある!」
第四回「敗戦もゴールを狙い1点を奪った。その成功が子どもに明日を与える」
第五回「子供の成長に「休み」は不可欠。まさかの事態、でも譲れないもの」
第六回「解任を経て、思いを強くした育成の“欧州基準”と自らの指導方針」


Photos: Kichinosuke Nakano

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ドイツ日本育成

Profile

中野 吉之伴

1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。