6月のキリンチャレンジカップを戦う日本代表に、名古屋グランパスの森下龍矢が初選出された。自身も驚くサプライズ招集ではあったが、プロ入り後の3年半近い時間で着々と積み上げた経験を力に変えてきたことを考えれば、未知の舞台でも大いに飛躍する可能性を秘めているのではないだろうか。2021年に名古屋へ加入した時から、彼の日常をつぶさに見つめてきた今井雄一郎が、今回の日本代表へと繋がった森下の努力と成長を詳細に振り返る。
有言実行の男、とうとう日本代表へ!
森下龍矢がまたひとつ、彼の目標を現実のものにした。6月のキリンチャレンジカップを戦う日本代表への選出は、直近の名古屋グランパスでは相馬勇紀、藤井陽也に続く大きなトピックであり、本人ですら「『入るんじゃねえかな』とか、そういう気持ちはもうゼロと言っていいほどゼロに近かった」というほどのサプライズ。しかし周囲の反応からすれば、いよいよその時が来たかという満を持してのA代表入りという印象の方が強い。
東京オリンピックの代表候補の頃から森下を知る森保一日本代表監督をして「成長を感じられた」と言わしめる進化の過程とその結果については、名古屋に移籍してからの2年余りを見てきただけでも大きく首肯できるだけのものがあるからだ。
有言実行の男なのである。2020年に明治大からサガン鳥栖への加入でプロサッカー選手となった森下は、右サイドバックでいきなりリーグ33試合3得点というハイアベレージのプレーを見せ、先のオリンピック代表候補にも名を連ねた。その活躍に目を付けたクラブはもちろん一つではなく、複数のオファーの中から当時のマッシモ・フィッカデンティ監督の熱望も叶って名古屋への移籍を決断。その際に残した台詞が今も印象に強く残っている。
「僕の良さを生かした戦術というのを鳥栖では展開していただいていたので、それは成功して当たり前の環境でした。これからオリンピックや海外とかに行く中で、チームの戦術に自分が合わせていくということも必要になるんじゃないかなって思いました。今回、いろいろなクラブからオファーがありましたけど、やっぱり名古屋は昨年1年間で貫いてきた戦術があって、そこに自分がどれだけアジャストして、プラスアルファを出していけるかというのを、自分のサッカー人生における成長だと思って、今回の移籍を決断しました」
この言葉だけでも、今回のA代表選出は“有言実行”と言えるかもしれない。しかし、彼の名古屋移籍後の活動をつぶさに見ていくと、そこには薄皮を重ねていくような丹念な自己研鑽の数々があり、その一つひとつを彼は明言し、宣言し、選手としての厚みや幅に変えてきたことがよくわかる。名古屋での過去2年間は決して順風満帆ではなく、むしろ課題だらけの茨の道という方が表現としては近いと思う。
名古屋1年目。サイドアタッカーとして手に入れた冷静な判断力
1年目、獲得を熱望された監督のもとでは、鳥栖で結果を残したサイドバックではなく、主に2列目のサイドアタッカーとしての起用をされ続けた。沖縄でのキャンプ当初は左右のサイドバックで試されていたが、徹底された守備戦術の中では彼のDFとしての能力はそれほど評価されず、その推進力や運動量の多さ、大学時代にはウイングバックとして「“仕掛けマシーン”みたいな感じでした」という攻撃性を買われていたように思えた。対人守備がそれほど悪いわけではなかったが、奪いに行くタイプの守備の方が得意だったことも、あるいは堅守が売りのマッシモスタイルの中では軽さや信頼の置けなさにつながった可能性もある。……
Profile
今井 雄一朗
1979年生まれ、雑誌「ぴあ中部版」編集スポーツ担当を経て2015年にフリーランスに。以来、名古屋グランパスの取材を中心に活動し、タグマ!「赤鯱新報」を中心にグランパスの情報を発信する日々。