元Jリーガー・井筒陸也と岩舘直は、 なぜクリアソン新宿を選んだのか?

不定期連載『東京23区サッカー新時代』
第1回:クリアソン新宿(後編)
海外に比べてプロ化の歴史が浅い日本サッカーは、後発ゆえに人口が集中する東京23区内にプロサッカークラブがない、というジレンマを抱えている。しかし、Jリーグ創設20年を超えた現在、23区内にJクラブを作る動きが同時多発的に起こっている。この連載では、新しいムーブメントの担い手たちの考え方に迫りたい。
第1回は、関東サッカーリーグ1部に所属するクリアソン新宿が登場。後編では、井筒陸也(前・徳島ヴォルティス)と岩舘直(前・浦和レッズ)という2人の元Jリーガーに、なぜクリアソン新宿を選んだのか、ピッチ内外の活動の実態を聞いた。
なぜJクラブから関東1部へ?
――まずはお二人がクリアソン新宿に来た経緯からお聞かせください。
井筒「実はもともと株式会社Criacao創業当初からお世話になっていまして、関西学院大学サッカー部でキャプテンを務めていた時に、チーム作りや将来について丸山(和大)に相談に乗ってもらっていたのが最初の接点です。プロになる直前にも相談をしていました。20年近くサッカーをしてきてプロになることができて、試合に出てお給料も上がって、好きなものを買えたりと自分自身がリッチになっていった。最初は良い生活だなと、2時間サッカーをして、同世代の倍くらいのお給料をいただいていて、徳島県内であればそれなりの地位と名誉もある。一方で、人生の大半をかけてやってきたサッカーの成果のようなものが、車やモノであるということに違和感を感じ始めていたのがプロの3年目でした。もちろん、サッカーで徳島の人に元気を与えられるような実感もありましたけど、そもそも自分はサッカーで何をしたいんだろう? と考えた時に、新しい挑戦をしたいと思い始めました。
そんな中、(2018年の)夏頃に丸山が徳島に来てくれて、『新宿という場所で、陸が20年間やってきたサッカーを使ってここにいる人たちを豊かにしてほしい、ひいては世界を豊かにすることにリク(井筒)のサッカーを使って欲しい』と言われました。そこでいろいろ考えた末に、『そういうことのためにサッカーを使えるのだったら素晴らしいことだな』『そのために20年サッカーをやってきたんだと思えると自分の人生を肯定できるんじゃないか』と思うようになりました。もちろん非常に難しい挑戦だとわかっていましたし、お給料も下がるんですけど、それでも価値があるんじゃないかと思い、もともとご縁があったところなので、戻ってくるような形でクリアソン新宿に来たというのが2年前ですね」
――現在はチームのキャプテンだけでなく、広報的な仕事もされていますよね。
井筒「現在はチームキャプテン業が20%くらいで、残り80%くらいでクラブのPRとファンクラブの運営をやっています。PRでは先日の小林祐三の記事だったり、プレスリリースも僕が書いていたりします。ファンクラブには会員限定のFacebookグループを活用していますね」
――岩舘選手はいかがでしょうか?
岩舘「僕は2019年に浦和を退団することが決まってから、他のJクラブでプレーをするか引退するかと考えていましたけど、自分がJFL、J2といったカテゴリーから浦和というクラブに来て、その過程でサッカー選手が選手を終えた後の選択肢の少なさや、社会的な脆さみたいなものをどうにかできないかなということも考えていました。このまま引退して指導者になることも興味がある話ではあったのですが、それだとサッカー選手の選択肢としてはポピュラーな選択で、現状に何も変化を加えられない。かといって何ができるかというと自分の中には何もなくて、ただただ自分に何ができるのか、どんなことをしたいのかを考えるだけでした。そんな時にクリアソン新宿に声をかけていただきました。
僕は浦和にいましたから、浦和レッズの素晴らしさというのは、街に文化として根付いている存在だと感じていました。浦和レッズを誇りに思っている街の人たちがいて、その人たちが試合のたびにスタジアムや飲食店に集まる。サポーター同士でコミュニティができることが街中で見られたんです。そういったクラブが街にある意味、街や人に与えられる価値はすごく大きいなと感じていました。他の街にもそういった存在のクラブができたら面白いんじゃないかと思っていましたし、それがどこの街ならできるんだろうということは考えたりもしていました」

――そこでクリアソン新宿を選んだ。
岩舘「複数のクラブから声をかけてもらっている中で、クリアソン新宿は給与や条件面の話の前に、理念の話をしてくれたというか。Jリーグには当然上がりたいんだけど、なぜ上がりたいのかというところから丸山の話が始まって、新宿の街に人々のつながりや豊かさを与えられる存在になりたい、というビジョンをうかがいました。正直、移籍の話をする席でそんな話をされることはなかなかないことなのですごく新鮮で、この段階でそういう話をしてくるのは本当に本気なんだなと。そういったチームを作り上げていくところに自分が選手として関われたらすごく幸せだろうなと感じました。競技の話、強い弱いというレベルの話ではなくて、街に対してクラブがある存在意義を示そうとすることは、サッカー選手自身の価値が上がることにつながると思いましたし、それがこのチームだったら目指せるなと感じて決めたという流れですね」
――お二人とも直前までJクラブでプレーされていた中で、クリアソン新宿に加入してからのギャップや苦労もあったと思いますが。……
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Profile
ジェイ
1980年生まれ、山口県出身。2019年10月よりアイキャンフライしてフリーランスという名の無職となるが、気が付けばサッカー新聞『エル・ゴラッソ』浦和担当に。footballistaには2018年6月より不定期寄稿。心のクラブはレノファ山口、リーズ・ユナイテッド、アイルランド代表。