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EURO2024で脱・王子へ!「モドリッチのシン・後継者」マルティン・バトゥリナの目覚め

2024.06.13

炎ゆるノゴメット#6

ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。

第6回では、来たるEURO2024に向けた注目選手をピックアップ。新たな「モドリッチの後継者」と目されるクロアチア代表メンバー最年少、21歳の「王子」を紹介する。

プロフィールからメンタリティまでそっくりの「新・後継者」

 「モドリッチの後継者」――今日までにこの肩書を与えられた選手はクロアチア国内に大勢いる。2008年夏にディナモ・ザグレブを退団したルカ・モドリッチが直々に後継者指名をし、背番号「10」を譲ったMFがサミールだった。のちに帰化してクロアチア代表に選出され、母国開催のブラジルW杯にも出場した天才肌だが、怠惰な生活に溺れたせいで転落のキャリアを送っている。サミールの代わりにモドリッチの正統後継者になったのがマテオ・コバチッチ。8歳年下の彼はディナモで共存する機会がなかったものの、18歳で初めてA代表に招集された2013年3月のセルビア戦でコンビを組み、その2年後にはモドリッチの推薦でレアル・マドリーに加入。兄貴分の背中を常に追いながら、今年6月の北マケドニア戦ではとうとう代表100キャップに到達した。

 コバチッチ以降にディナモで頭角を現したMFも「モドリッチの後継者」と呼ばれがちだ。16歳11カ月というクロアチア代表の最年少出場記録を作ったアレン・ハリロビッチ、「ディナモの10番」を継承してEURO2016の最終メンバーに選出されたアンテ・チョリッチは、どちらもステップアップを急いだあまりに「サミール化」してしまった。天賦の才能に加えて、地道に努力を怠らなかった者だけが後継者たり得る。例えば、10歳の頃にエスコートキッズとしてモドリッチと手を繋ぎ、遠回りしながらも「ディナモの10番」として花開いたのがロブロ・マイェル。カタールW杯ではあまり目立たなかったが、EURO2024では右ウィングの定位置を確保する勢いだ。マイェルと同世代のドリブラー、ルカ・イバヌシェツもディナモ時代は同名だけに「モドリッチの後継者」と呼ばれていた。非ディナモ閥とはいえ、オーストリア育ちのルカ・スチッチも同じような理由で後継者扱いされている。

 今年9月に39歳を迎えるモドリッチが一線で輝き続ける限り、「後継者」と呼ばれてきた者たちはクロアチア代表で本人と一緒にプレーする喜びを享受できる。そんな特権をEURO2024で得る「新・後継者」が、21歳のマルティン・バトゥリナだ。現在の「ディナモの10番」を背負っている彼は、モドリッチとまったく同じ172cmの右利き。南部のダルマチア地方をルーツとし、未成年で上京してディナモ加入を果たすキャリアも同じ。マーカーをあっさりと剥がすボディバランス、狭いスペースを縫うように運ぶドリブル、クリエイティブなパスセンス、テクニカルなシュートを武器とし、うぬぼれた態度を取ることなく「もっとやれる」と向上心を剥き出しにする面もそっくりだ。

本家を知るコーチ陣が比較。欠点は「力強さ」と「積極性」?

 とはいえ、完全なクローンでない限りは差異は生じるもの。モドリッチが20歳だった頃にディナモのアシスタントコーチを務めたジャマル・ムステダナギッチ氏は、『スポルツケ・ノボスティ』紙のインタビューでこのように指摘している。……

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Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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