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そして夢の2026へ。タジキスタン代表がアジア杯8強で得た確信と、鍵を握るロシア

2024.02.24

フットボール・ヤルマルカ 〜愛すべき辺境者たちの宴〜 #1

ヨーロッパから見てもアジアから見ても「辺境」である旧ソ連の国々。ロシア・東欧の事情に精通する篠崎直也が、氷河から砂漠までかの地のサッカーを縦横無尽に追いかけ、知られざる各国の政治や文化的な背景とともに紹介する。

footballista誌から続く連載コラムのWEB移行初回(通算81回)は、初出場のアジアカップで準々決勝に進出したタジキスタン代表について。2011年の来日時に通訳・コーディネーターとしてチームに帯同し、現在も同国サッカー界と交流を続ける筆者が見た躍進の背景とは。

国民は初めてサッカーフィーバーの当事者に

 文字通り新たな歴史を刻み続けた21日間だった。カタールで開催されたアジアカップ2023でタジキスタン代表はベスト8進出の快挙を成し遂げた。アジアの頂点を決めるこの大会への出場自体が史上初であり、グループステージ初戦での勝ち点1獲得も、3戦目の勝利とグループ突破も、決勝トーナメントでの勝ち上がりもすべてが初体験。8強に名を連ねた国々の中でタジキスタンのFIFAランキング106位は最も低かった。そして、電力不足により街中が薄暗い冬のタジキスタンでは花火や歓声・歌声が鳴り響き、国民もまた初めてサッカーフィーバーの当事者となったのである。

 グループステージ初戦は中国を相手に優勢に試合を進め、疲れが見えた終盤は押し込まれる時間が続いたが何とか耐えてスコアレスドロー。今大会の開催国であり優勝国となるカタールとの第2戦は相手のエースFWアクラム・アフィフに決定力を見せつけられ先制点を許すも、均衡を保ちながら反撃を見せた。しかし、77分にMFアマドニ・カモロフがラフプレーにより退場処分を受け、意気消沈したまま0-1で敗れる。

 目標としているグループステージ突破をかけたレバノンとの第3戦を前に、国家元首も動いた。タジキスタン大統領エモマリ・ラフモンがカタールを訪れ、直接代表チームを激励。大統領との面会が1時間を超えるのは異例であり、一様に緊張の面持ちで話を聞いていた選手たちはあらためて気を引き締め、後述する勝利ボーナスの提示もモチベーションとなった。他ならぬ大統領こそがサッカーを国民的スポーツとして重視し、首都ドゥシャンベ市長である息子のルスタム・ラフモンが同国サッカー連盟会長を兼任して強化を進めてきた。今回のアジアカップはその成果を示すべく臨んだ大舞台だった。

 レバノン戦は後半に目まぐるしく展開が変わる。開始早々47分にMFバッセル・ジラディの見事なコントロールシュートによりレバノンが先制するが、56分にレバノンDFカセム・アル・ゼインが相手の足を踏みつけてレッドカード。その後は数的有利となったタジキスタンが攻勢を仕掛け、80分に司令塔パルビジョン・ウマルバエフが直接FKを決め追いつく。さらにアディショナルタイム突入後の92分、途中出場の伏兵ヌリディン・カムロクロフがクロスをヘディングで後ろに流して決勝点。歴史的な1勝と決勝トーナメントへの切符を手にした。

 この偉業をスタジアムで見届けたタジキスタンサポーターの数は多くなかった。代表チームはまだそれほど注目されてはおらず、カタールまでの旅費を捻出できる人も少ない。それでも中東諸国に出稼ぎなどで暮らすタジキスタン人が集まり、同じ中央アジアのウズベキスタン、キルギス、カザフスタン出身の中東在住者も応援に駆けつけてくれた。試合後のピッチ上では彼らとともにペタール・シェグルト監督が音頭を取り、「タジキスタン!」「バ・ペシュ(進め)!」のコールを連呼。この「タジキスタン! バ・ペシュ!」は2019年に水力発電所の完成と国の独立記念日を祝うエモマリ大統領の演説の中で、最後に大統領が「バ・ペシュ!」を3回叫んで国民の間に広まったお馴染みのフレーズである。代表チームの快挙を受けてキャラの濃いシェグルト監督の顔とともにSNS上で流行のミームとなった。

GS突破後のバスの中での「タジキスタン! バ・ペシュ!」と、このフレーズが広まるきっかけとなった5年前の大統領演説

「これがお祭りだ!これは歴史だ!タジキスタン!バ・ペシュ!」

 本格的にタジキスタン国民がアジアカップに沸いたのはラウンド16のUAE戦である。この試合を前にして国営エネルギー会社「バルキ・トジキ」には「(UAE戦が行われる)1月28日は電気を止めないでほしい」というメッセージが殺到した。国内の電力供給の9割を水力発電に依存しているタジキスタンでは冬に河川が凍結するため、発電所が計画停電を日常的に実施している。UAE戦をテレビで見たい人々の“熱”はこうしたニュースからも伝わっていた。……

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Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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