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【サッカー小説】カテナチオ炎上 VOL.5「配達人の憂鬱」

2020.12.22

グディソンパーク

 1970年11月、ボルシア・メンヘングラッドバッハはリバプールにいた。

 凍てつくような寒さ、おまけに雨まで降っている。エバートンのホーム、グディソンパークでの一戦は泥まみれだった。

 チャンピオンズカップ2回戦、エバートンは1回戦でアイスランドのケフラビークに6-2、0-3の合計9-2と大勝。ボルシアMGはキプロスのラルナカを相手に0-6、10-0。2試合合計16-0と木っ端微塵に打ち砕いての2回戦進出だった。

 10月21日にボルシアMGのホームで行われた第1レグは1-1。ベルティ・フォクツが先制したが、ハワード・ケンドールのゴールで追いつかれた。

 ちなみに先制点をゲットしたフォクツは、1974年ワールドカップ決勝でヨハン・クライフを完封して西ドイツ優勝の立役者となったDFだが、マンマークのスペシャリストであると同時に非常に攻撃力があった。攻撃になったらマークしている相手を置き去りにして、どんどん前へ出て行く。スピードがあり、テクニシャンとは言えないがスキルも確か。1971年と1979年にドイツの年間最優秀選手に選出されている。小柄ながら筋骨隆々、瞬発力は凄まじくタックルの名手だった。そして、ヘネス・バイスバイラー監督の攻撃精神をそのまま体現し、攻撃時には必ずといっていいほど前進する。そこで攻撃が頓挫しても、マークしている相手にボールを渡る時には、ボールと一緒にフォクツも飛んでくる。この体力とスピードがあってこその攻撃参加だった。……

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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