90年代、サッキ流をドイツで実践した2人の監督
90年代、3バックのマンマークをベースにしたサッカーが主流だったドイツサッカー界。ウルムでセンセーショナルな昇格を果たし、ブンデスリーガでも躍進したことで注目を集めたラルフ・ラングニックとヘルムート・グロースのコンビは、アリゴ・サッキやバレリー・ロバノフスキからゾーンディフェンスを基本としたプレッシングサッカーに影響を受けたことは広く知られている。
ほぼ同時期に、同じくサッキのゾーンディフェンスや緻密なプレッシング、そして正確なラインコントロールを独学でドイツサッカーに落とし込んだ監督がいる。95年の9月から97年2月、そして98年4月から2000年4月まで2度に渡って当時2部のマインツを率いた故ボルフガング・フランクだ。彼の指導の下、選手としてプレーしたユルゲン・クロップは「指導者として最も学ぶことが多かった」とフランクが率いた当時のマインツ時代を振り返る。
クロップの恩師フランクが残した遺産
現在はリバプールでチャンピオンズリーグの王座を勝ち取り、監督として欧州でも屈指の実績を誇るようになったクロップは、自身が監督となるきっかけを振り返る。学習意欲の強いクロップにとって、これまで受けてきた指導とは違った手法でサッカーを教えるフランクの手腕には、強く惹きつけられるものがあったようだ。
実際、クロップだけではなく、当時フランクの下でプレーした選手たちのなかには、トルステン・リーバークネヒト(当時ブラウンシュバイク)やユルゲン・クラミー(当時シュツットガルト)、そして現在マインツの監督を務めるサンドロ・シュバルツのように、監督としてブンデスリーガのチームを率いた面々も多い。
クロップは、「(フランクの仕事は)マインツの監督育成の発展に大きな影響を残した」と『キッカー』に話し、自前の育成機関からトップチームの監督を登用することで成功を収めているマインツの原点を説明した。
何度も繰り返し見せられたサッキのビデオ
クロップが「指導者として最も学ぶことが多かった」と評価するフランクは、選手たちにサッキのビデオを繰り返し見せていたという。後に、マインツの監督となったクロップが用いることになる高く押し上げる4バックのDFライン、そしてトランジションに重きを置くスタイルのサッカーは、自身の“恩師”の仕事ぶりから見て学び取ったものの上に、さらに独自の工夫を凝らして発展させたものだ。
同時期に、若手選手としてクロップと共にプレーしていた現マインツ監督のシュバルツも、当時のことをさらに詳しく説明している。
「アリゴ・サッキのビデオは、月に70回は見せられたような気がするよ。戦術的なゲームモデルを浸透させるためにね。それが、ボルフガング・フランクという人なのさ」
クロップの次に、下部組織から登用され成功を収めたのは、現パリ・サンジェルマンの指揮を取るトーマス・トゥヘルだ。選手としてマインツでプレーした経験がなく、外部からやって来たトゥヘルにとって、マインツで成功できた要因はどこにあったのだろうか。後編では、トゥヘル自身が振り返るマインツの特殊性について説明する。
Photos: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。