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大宮アルディージャから日本代表へ。市原吏音がトップ昇格で目指す「最短ルート」

2024.06.18

【特集】大宮アルディージャ、反撃開始 #2

大宮アルディージャは、昨シーズンクラブ史上初のJ3への降格を経験した。近年の大宮の実情を見ると、かつてJ1で上位にも進出した面影はもはやない。なるべくしてなったJ3降格という見方もできるだろう。

しかし、J3に降格したことで大宮がここまでやってきたことをすべて否定してしまうのはどうだろうか。大宮が進んで来た道を振り返ると、間違いはあったかもしれないが、大きな財産を築いてきたことも忘れてはいけない。その財産がなければ、鬼門と呼ばれるJ3初年度で、開幕から1位を独走することはなかっただろう。

今季のチームはアカデミー上がりの選手と大卒の選手がいきいきと活躍している。そうなるためには当然ながらクラブが地道に継続してきた戦略があったからだ。本特集では今の大宮のJ3での結果が決して取ってつけたものでもなければ、偶然でもないということを、クラブ関係者に話を聞くことで掘り下げていきたい。

市原吏音インタビュー後編では、トップチーム昇格を悩んでいた背景や昇格を決めた理由などについて語ってもらった。将来市原はどんな選手に育つのか。その未来像にも迫っていきたい。

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「日本代表にはこっちの方が近い」

――トップチームで試合に出続けた昨季の半年を経て、プロになるか、大学に進むか、本当に迷われたとのことでした。大学に進学した場合は、どんなキャリアプランを考えていたのですか?

 「まず、大学のサッカー部に4年間いるつもりはなかったです。早ければ2年ないし3年で卒業するための単位は取り切って、もっと体を鍛える。プロだと最終ラインはなかなか若手に任せてもらえないと思うので、それで試合に出られないよりも大学に行って試合経験を積みたいと。あと、勉強したいこともあったので、きっちり勉強もする。ただ、キャリアを考えると4年間はさすがに長いと思っていたので、2~3年で自分がやるべきこととやりたいことを終わらせて、プロの世界に飛び込もうと思っていました。その方向でかなり固まっていた矢先のJリーグデビューだったので、本当に悩みましたね」

――それでも、いまの道を選んだ決め手は?

 「日本代表になるにはこっちの方が近いと感じたからです。両親はどちらの選択でも背中を押してくれましたし、どっちに進んだとしてもその選択を正解にすればいいと言ってくれました。あの半年でプロでやれる自信はついたので、『プロに行かせてください』とトップチームに上がることを決めました。大学の先生も『お前はプロに行った方がいい』と言ってくれましたし、本当に感謝しかないです。後悔はないし、この選択が正解かどうかはずっと先にわかることだろうけど、なるべく早くA代表に入ってこの選択が正解だったと言いたいです」

「冨安さんは一つの目指す場所」

――その日本代表と言えば、今年の1月から2月に行われたアジアカップにトレーニングパートナーとして帯同しました。どんな時間でしたか?

 「なんせテレビで観ている人たちですから、楽しみでしかなかったですよ。実際、サッカーは慣れちゃえばやれるというか、周りが上手いので何とかなるというか。成長はできたと感じています。でも、A代表の選手が上手いの当たり前で、あまり人前では見せないような裏の顔というか、サッカー中心の生活や大会に挑む姿勢は自分がもっと学ばないといけないものがあったし、まだまだ足りないと思いましたね」

代表戦では恒例となっているサムライブルーの「Team Cam」。アジアカップ編vol.01ではトレーニングパートナーに選出された市原をはじめとする5選手の自己紹介シーンが収められている(4:53~)

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Profile

須賀 大輔

1991年生まれ、埼玉県出身。学生時代にサッカー専門新聞『ELGOLAZO』でアルバイトとして経験を積み、2016年からフリーライターとして活動。『ELGOLAZO』では柏レイソルと横浜FCの担当記者を経て、現在はFC東京と大宮アルディージャの担当記者を務めている。その他の媒体でも、執筆・編集業を行っている。@readysuga1214