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「サンガスタジアム by KYOCERA」が提供する日常の意義【合同会社ビバ&サンガ・中澤登紀子インタビュー前編】

2024.02.26

なぜ、新プロジェクトが続々発表?サッカースタジアムの未来#12

Jリーグ30周年の次のフェーズとして、「スタジアム」は最重要課題の1つ。進捗中の国内の個別プロジェクトを掘り下げると同時に海外事例も紹介し、建設の背景から活用法まで幅広く考察する。

第12回は、2020年に開場を果たすと、以降はサッカーをはじめとした球技スポーツの開催のみならず、地域のハブとしても機能し続けてきた「サンガスタジアム by KYOCERA」の指定管理者を務める合同会社ビバ&サンガの中澤登紀子氏に、実際に稼働しているスタジアムの実状を伺った。

地元・亀岡市出身。京都サンガF.C.にも11年間在籍

――まずは中澤さんの来歴を伺えればと思います。

 「もともとこのサンガスタジアムby KYOCERAのある亀岡市の出身で、私自身はバスケットボールをしていました。体育の教員志望だったので、大学の途中まではバスケをやっていたものの、思ったより周囲のレベルが高かったことで挫折をして、今度はスポーツを仕事にしたいという観点から、3年生の時に京都サンガへインターンシップに行きました。それと同時に関西学生サッカー連盟に入って、活動していたんです。

 4年生の時もサンガでアルバイトという形で働かせていただき、そのまま2010年に就職しました。最初はスクールやアカデミーの業務をメインにしていて、バドゥさんが監督でいらっしゃった2014年に広報に移り、2020年シーズンを区切りとして、2021年シーズン開幕前に退職しました。そこからご縁をいただいたことで2021年4月から株式会社ビバという会社に入って、そこからの出向という形で、今は合同会社ビバ&サンガでサンガスタジアムの指定管理事業を行っています」

――10年以上もサッカーの世界にいらっしゃったことになりますね。

 「社会人としてはJクラブでの仕事しか知らなかったですね。サンガを退職した時は、『何かしらサンガでやってきたことを活かせる仕事に就けたら』と考えていた時に、ご縁をいただきました」

――地元にできたとはいえ、スタジアムで働くことになったのはご自身の中でも意外な流れでしたか?

 「最初はスタジアムで働くイメージはなかったですね。お恥ずかしい話ですけど、『指定管理』という仕事も詳しくはわからなかったです。ただ、サンガ時代に、アカデミーの遠征で一緒に海外遠征へ行かせてもらったことがあって、その中でフットボールスタジアムも見ましたし、広報の時もアウェイに帯同していたので、いろいろなスタジアムを見てきた中で、『地元に素敵なスタジアムができたなあ』と感じていました。自分の街にスタジアムができることってなかなかないことだと思うので、今はすごくご縁を感じています」

――確かに指定管理者制度ってなかなかわからないですよね。

 「はい。『指定管理って何?』って(笑)。施設を貸す仕事のイメージが強かったんですけど、それはもちろんのこと、Jリーグでもよく言われている『スタジアムを核とした街づくり』に直接的に関われる仕事だと知って、『そういう中にいられるのは面白いんじゃないかな』とか、スタジアムのいろいろな付帯施設の運営とか、それをどう使っていくかとか、そういうこともみんなで考えられるんじゃないかなということは、会社の方とお話をしていく中で知ることができたので、『入ってみたいな』と思いました」

Photo: VIVA&SANGA

外からはわかりにくかった「スタジアムにとって大事なこと」

――中澤さんは1年間だけ京都サンガのスタッフとして、サンガスタジアムを見ていたわけですよね。

 「そうです。こけら落としのシーズンはサンガのスタッフとして迎えていました」

――こけら落としの試合はセレッソ大阪と対戦したプレシーズンマッチですよね。地元にできたスタジアムへ大勢のお客さんが集まって、サンガが試合をしている光景を見た時の心情は覚えてらっしゃいますか?

 「本当に多くのメディアの方も来ていただいていて、自分の仕事に必死だったので、余韻に浸ったのは全部が終わった後だったんですけど(笑)、プレシーズンマッチに至るまでを考えると、私も大学生の時に署名活動に参加していましたし、アカデミーの選手と一緒に署名を呼び掛けていたんですよね。

 それでようやく皆さんが期待してくださったスタジアムができて、そのオープニングマッチにサンガのスタッフとして立ち会えたことはすごく嬉しかったのと同時に、『京都に専用スタジアムを』と願いながら一緒に働いてきた先輩や後輩、新しいスタジアムでプレーしたかっただろうなと思う選手たちの顔も思い出して、『皆さん!スタジアムができましたよ!オープニングを迎えましたよ!』という喜びが大きかったです。

 スタジアムに響き渡った歓声はいまだに覚えていますし、ウタカ選手が『ヨーロッパみたいなスタジアムだね』と言ってくれて、『ああ、選手にもそうやって想いが届いていたんだ』というのを実感したのも嬉しいことでした。あとは、地元の友達も結構見に来てくれていたんです(笑)。広報なのでピッチ上を動くこともあるじゃないですか。それで『見たよ』とか『仕事してたね』とか、試合が終わった後に何人かの友達から連絡をもらったりしたので、それで『地元にスタジアムができたんだなあ』ということを実感しましたね。行政などの担当者としてスタジアムに来た方が、友達のご家族だったりもしましたし(笑)、知っている人たちが関わってくれたことも地元のスタジアムであることを感じました」

――サンガのスタッフとして見ていた時と、実際にここのスタッフになってみてからで、サンガスタジアムの見方が変わったところはありますか?……

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!