「予定通りではなかったキャリア」を、いわきで塗り替える。二十歳のストライカー・道脇豊が掴み始めた成長の手応え
いわきグローイングストーリー第22回
Jリーグの新興クラブ、いわきFCの成長が目覚ましい。矜持とする“魂の息吹くフットボール”が選手やクラブを成長させ、情熱的に地域をも巻き込んでいくホットな今を伝える。
第22回は、予定通りではなかったキャリアを、いわきで塗り替えようとする二十歳のストライカー・道脇豊の現在地に迫る。海外挑戦からアビスパ福岡を経て、今季途中からいわきに加入した彼に、直近数年の試行錯誤と、いわきで掴み始めている感触を語ってもらった。
世代別日本代表の経験を持つ若きストライカーが、いわきで何をもたらし、何を吸収していくのか。アジア大会で味わった悔しさも含め、これまでのキャリアを振り返りながら、いわきでの成長と今後の目標に迫りたい。
道脇豊は2006年生まれの20歳。熊本県出身、190cm・78kgの大型ストライカー。太陽SCからロアッソ熊本の下部組織に進み、2023年2月、16歳でプロデビューを果たした。
その年のJ2リーグで18試合に出場した後、2024年夏にはベルギー2部のベフェレンへ期限付き移籍。2026年1月にはアビスパ福岡へ完全移籍し、J1の舞台を経験した。そして同年6月、育成型期限付き移籍でいわきFCへ。わずか3年で国内外4クラブを渡り歩いてきた、まだ20歳の選手だ。
「予定」通りではなかった2年間
その穏やかな口ぶりとは裏腹に、ここまでのキャリアは本人が思い描いていた道筋とは違う形をたどってきた。18歳でベルギー2部に渡った当時、自分の中には明確なスケジュールがあったという。
「もともと思い描いていた予定では、熊本から出てベルギー2部で、18、19歳のうちにしっかり結果を残して、20歳ぐらいで5大リーグやベルギー1部にステップアップして、そこから日本代表に入る、というスケジュールでした」
だが現実は、その予定通りには進まなかった。慣れない一人暮らしと言語の壁、サッカー以外の負担も大きかったと振り返る。
「熊本時代は寮生活だったので、食事もある程度用意されていました。それが初めての一人暮らしが海外で、ご飯を作るのも、スーパーに行くのも、車もなかったし、言語も勉強しながらの生活で、本当にハードでした。サッカー以外でも負担のかかるチャレンジだったと思います」
周囲に同世代の日本人選手は少なく、当時アンデルレヒト(ベルギー)にいた後藤啓介、NECナイメヘン(オランダ)でプレーしていた塩貝健人とオフにたまに会う程度だったという。熊本ユース時代の監督の紹介で、当時ベルギー1部のKAAゲントでプレーしていたGKシュミット・ダニエルに食事に誘われたこともあったとも明かした。
言葉も文化も違う環境で、支えてくれる人の存在はありがたかったというが、ピッチに立てば、そうした温かさとは裏腹の厳しい現実が待っていた。
ベルギーで感じた”違い”とタフな環境
ピッチの中で感じた日本との違いについても、率直に語ってくれた。
「レベル的にはもちろんJ1のほうが高いと感じますけど、ベルギー2部はちょっとダーティーさがあったり、若い選手が上へ行こうとアピールするリーグでもあるかなと。ヤングチームも4チームぐらいありますし、個人の力で局面を打開したり、『ここでアピールして上に行くぞ』という選手がたくさんいるリーグだと思います。特徴がある選手ばかりでしたし、自分は高さやスピードでその中で違いを生み出せずにいたかな、という印象です」
一方で、評価された部分もあったという。
「自分の持ち味である前線からのプレスは評価されていました。ストライカーは得点が一番大事ですけど、チームでは自分がファーストチョイスのディフェンスだったので、しっかりスプリントをかけてプレスに行くところは認めてもらっていました」
ベルギー2部の環境そのものも、タフなものだったと明かす。
「クラブハウスやスタジアムの環境面は厳しかったです。自分のところ(ベフェレン)は元々1部から降格したクラブだったので、スタジアムは割と大きくて、2部の中ではクラブハウスも結構良かったのですが、アウェイに行くとロッカールームは狭いし、ストレッチする場所もないし、冬は芝も凍ってスパイクでコツコツするようなことが多かった。ただ、そういうタフな環境で1年半やれたことは、逆に自分自身の経験としては良かったと思います」
苦しい環境で得たものは、その後のキャリアにも確かな財産として残っているようだった。
アビスパでの悔しさ、J1の壁
ベルギーでの出場機会を失っていた終盤、海外を中心に次のクラブを探していた最中、国内に戻る選択肢として浮上したのが当時アビスパ福岡を率いていた金明輝監督からのオファーだった。
しかし、加入が決まった直後、監督交代という巡り合わせの悪さに見舞われる。
「運というか、ついてなかったなと思いつつも、監督が変わったとはいえ、自分の実力でスタメンを勝ち取れなかった。途中出場からでも決定的な仕事はできていなかったので、すべては自分の責任です。アビスパでも思い通りにはいかなかったです」
半年ではあったが、J1の選手たちのレベルを肌で感じたことも、大きな経験になった。
「高さが一番の武器だと言っていたんですけど、それでもJ1の選手たち、特にセンターバックに競り合いで自分が勝つ回数のほうが少ない試合も多かったですし、レベルの違いには驚かされました」
とくに印象に残っているのが、サンフレッチェ広島の荒木隼人だという。
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Profile
近藤 健多朗
1999年、愛知県生まれ。幼少期から高校卒業までプロサッカー選手を目指したものの、怪我により断念。大学卒業後は一般企業で勤務していたが、サッカーへの情熱を捨てきれず一念発起し、ライターに転身。現在は『エル・ゴラッソ』にて、いわきFCおよび福島ユナイテッドFCの担当記者を務める。
