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アレクサンダル・パブロビッチ(ドイツ):ナーゲルスマンの秘蔵っ子からキミッヒに代わる心臓へ。バイエルンの育成方針転換にも導かれた「有言実行」の物語

2026.06.14

【特集】北中米W杯で輝く次世代スターの軌跡 #4
アレクサンダル・パブロビッチ(ドイツ代表)

エンドリッキ(ブラジル)、アルダ・ギュレル(トルコ)、アレクサンダル・パブロビッチ(ドイツ)、ビクトル・ムニョス(スペイン)、ラヤン・シェルキ(フランス)、ジュリアーノ・シメオネ(アルゼンチン)、エリオット・アンダーソン(イングランド)――ロシア大会で数々の記録を塗り替えながら、当時19歳でフランスの20年ぶり優勝を牽引したキリアン・ムバッペのように、初出場のW杯で主役の座へと駆け上がり、次のサッカー界を背負っていくU-23の新星は誰か? そして彼らの世界を驚かせる才能は、一体どのような「環境」と「育成」で磨かれてきたのか? 北中米大会で輝くであろう、次世代スターたちの軌跡をたどる。

第4回は、バイエルン時代からユリアン・ナーゲルスマン現ドイツ代表監督の秘蔵っ子だったアレクサンダル・パブロビッチ。その「有言実行」のシンデレラストーリーを導いたバイエルンの育成方針転換とは?

 アレクサンダル・パブロビッチはドイツ代表の心臓と言っていいだろう。

 ユリアン・ナーゲルスマン監督は右SBの人材難を解決するために、本人から合意を得てヨシュア・キミッヒを同ポジションで起用している。代わりにボランチの軸に抜擢されたのが22歳のパブロビッチだ。

 パブロビッチはボランチに必要とされる、すべての能力を持つ現代的セントラルMFだ。トラップの技術が正確で、密集地帯でもどんどんパスコースに顔を出してボールを要求する。少しでもスペースがあれば反転し、そこから縦パスを通す。パス出しのマシーンのようだ。

 守備では球際に強くてボールを刈り取れるだけでなく、188cmの身長を生かしてロングボールをヘディングで弾き返せる。

 巧さ・強さ・賢さの三拍子が非常に高いレベルでそろっており、バイエルンでビンセント・コンパニ監督から、ドイツ代表でナーゲルスマン監督から重用されて当然だ。

 ただし、ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。

「システムの話はやめよう」から始まった方針転換

 セルビア出身の父を持つパブロビッチは、ミュンヘンの西約30kmに位置するフュルステンフェルトブルックで育った。6歳でSCフュルステンフェルトブルックでサッカーを始めるとすぐにスカウトの目にとまり、7歳でバイエルンの下部組織に入団する。当時はストライカーだった。

 パブロビッチは生粋のバイエルンファンで、14歳になると愛するクラブのトップチームの試合でボールボーイを務めた。のちにプロになった際、少年時代のパブロビッチがキミッヒやトーマス・ミュラーに試合中にボールを渡す映像が拡散されて大きな話題になった。

 当時バイエルンU-16監督だったダニー・シュバルツは、シュツットガルトの選手時代にヨアヒム・レーブの下でプレーしており、レーブの個人技を重視する指導に大きな影響を受けた。また、バイエルンの下部組織で働き始めた時、トップチームの監督だったペップ・グアルディオラの練習に感銘を受けている。

 バイエルンの下部組織が画期的だったのは、指導にストリートサッカーのエッセンスを取り入れたことだ。シュバルツは『Goal.com』ドイツ版のインタビューでこう説明した。

 「私たちはタイムリーなタイミングで方針転換した。つい数年前まで80%システムの話をしていたが、それはもうよそうと決めたんだ。『システムの話はやめよう。[4-3-3]対[3-5-2]がどうこうなんてどうでもいい』と。育成年代でシステムは決定的な要素ではない。間違っていた方向に進んでいたことを認識した。メーメット・ショルのドイツの育成のやり方に関する批判は的を得ていたんだ。

……

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Profile

木崎 伸也

1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。

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