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試合は「ダメ」だったけど…スタンフォードブリッジに響いた9年ぶりの「カルロォ!」コール

2020.03.11

現地取材コラム

 3月8日のチェルシー対エバートン(4-0)で、「カルロォ! カルロォ!」とエバートン新監督の名を連呼した、スタンフォードブリッジの観衆。フルタイム目前の89分、南側ゴール裏スタンドに当たるシェド・エンドからの合唱だった。ただし、歌っていたのは同スタンドの半分を占めたアウェイサポーターではなく、残る半分を埋めたホームサポーターたち。次いで、対面のマシュー・ハーディング・スタンドからもカルロ・アンチェロッティへのチャントが起こった。1分ほど前には、チェルシーを率いるフランク・ランパードを称えるチャントが歌われたばかり。スタンドのホーム陣営は、その若き自軍監督が試合前の会見でも「尊敬」を口にした敵軍ベンチのベテラン監督に対し、「忘れていませんよ、元監督!」とでも言うかのようだった。

 チェルシーでの離任後、対戦相手を率いてスタンフォードブリッジに戻って来た外国人の元チェルシー監督は、昨年12月後半にエバートンと4年半契約を結んだアンチェロッティで6人を数えた。クラウディオ・ラニエリは、そのキャラクターは好かれていても、チームをいじり過ぎた采配面の特徴が好かれていない。名将と言えるジョゼ・モウリーニョは、トッテナムでの現職が国内ライバルで2度目の監督就任。今では、古巣のファンから「もうスペシャルじゃない」と対戦時に野次られる立場にある。アブラム・グラントとアンドレ・ビラス・ボアスはそもそも評価が低く、ラファエル・ベニテスはリバプール監督だった印象が強烈だ。元監督としての好感度では、アンチェロッティが6人中で一番だろう。初の帰還を果たした今回は、試合前のメンバー発表でスタジアムMCがわざわざ相手チームの監督の名前まで読み上げると、四方のスタンドから拍手喝采が起こってもいた。

 当人も、対戦を前に「エモーショナルな訪問になる」と言っていた。もっとも、かつてのホームで9年ぶりに指揮を執った一戦では、不甲斐ない自軍のパフォーマンスに対する憤慨を最も強く覚える結果となった。大敗に終わった90分間は、エバートンでの采配12試合目にして最悪の内容。出場停止中のジョルジーニョと故障中のマテオ・コバチッチをはじめ欠場者の多かったチェルシーを相手に、先発レギュラーとは言いがたいロス・バークリーとレギュラー格だが21歳のメイソン・マウント、18歳でリーグ戦初先発だったビリー・ギルモアの3センターに中盤を牛耳られた。甘い守りで失点を重ね、雑なパスで反撃もままならなかった試合を、敗軍の将は「すべてがダメだった」と振り返っている。それでも、同時に「残念な結果になってしまったが、歓待を受けてうれしく思っている」と言えるあたりが、アンチェロッティのアンチェロッティたる所以(ゆえん)だ。

『スカイスポーツ』による試合後インタビュー

今や“敵将”ランパードも、テリーも掌握した逸話の数々

 60歳のイタリア人指揮官は、MFとしても数々の栄光に輝いたミランをはじめとする祖国のクラブはもちろん、イングランドの他フランス、スペイン、ドイツのビッグクラブでもタイトルと好人物評を手にしてきた。監督としては、「一風変わった大物」と言っても良い。モウリーニョやディエゴ・シメオネなどのように勝利という結果への執念を前面に押し出すわけでもなければ、ペップ・グアルディオラやユルゲン・クロップらのようにサッカーの理想やスタイルにこだわるわけでもない。確かな戦術眼と攻撃的な指向性は備えているのだが、トップクラスとしてのアイデンティティを挙げるとすれば「良いムード作りの巧さ」とも言えるのがアンチェロッティという監督である。

 そのために欠かせない人心掌握の巧さは、「素晴らしいマン・マネージャー」というランパードのアンチェロッティ評からもうかがえる。チームに「和」を生み出すための配慮は、ピッチ外での時間にも及ぶ。選手やスタッフとの食事は、本人にすれば「別に珍しくはない」出来事。だが、チェルシー1年目だった2009-10シーズン、ロンドン市内の高級レストランで選手全員に「極上イタリアン」を振る舞った一件は、チーム唯一の生え抜きレギュラーだったジョン・テリーの「こんなことをしてくれた監督は初めて」というコメントとともに話題となった。

 当時のチェルシーでは、クラブの番記者陣もイタリア人監督のご招待を受けている。だからという訳ではないが、振り返ってみればアンチェロッティ体制1年目は「金でタイトルを買った」だの「アンチフットボール」だのと言われたチェルシーが、最も国内メディアで好かれたシーズンだったかもしれない。開幕前は、ロシア人ウィンガーのユーリ・ジルコフが最も高価な新戦力だったように目立った大物補強があったわけではないのだが、持ち駒の能力が最大限に引き出されたチームは、当時リーグ最多の103得点を上げて4年ぶりのプレミアリーグ優勝を実現。最終節でウィンガンを8-0と撃破した翌週に、クラブ史上初となるFAカップとの国内2冠を達成したアンチェロッティのチェルシーは、内容と結果が両立された強さが広く称えられた。

2009-10、2冠達成後のパレードでマイクを持つアンチェロッティ

 にもかかわらず、リーグ2位で終えた翌年には解雇が待ち受けていた。チェルシーにおける非情な監督解任と言えば、当時ビッグクラブ初挑戦の34歳だったビラス・ボアスを思い浮かべる人もいるだろうが、その前任者の例も冷酷さでは引けを取らなない。成績不振に加えてベテランとの確執も生じていたビラス・ボアスは、ラストゲームとなった試合の翌日にオーナー直々に解任を告げられているが、アンチェロッティは奇しくもエバートンが相手だった2010-11シーズン最終節後、試合終了から1時間と経たないうちに、グディソン・パークの控え室で当時のクラブCEOから解雇の運命を告げられているのだ。

 しかしながら、本人は根に持ってなどいない。「選手たちに直接お別れを言うことができたから、すぐに知らされたてよかった」とし、「素晴らしい選手とスタッフに恵まれた、最高の時期を経験させてくれたクラブに感謝している」といった発言を繰り返している。当時の選手たちが、敬愛していた指揮官に感謝と同情を示したくなっても当然。ラストゲーム当夜のアンチェロッティは、今度は自身が「初体験だった」と言う、選手たち主催のお別れディナーに招待されることになった。もともとは親しい友人たちとのプライベートな一夜が予定されていたのだが、「なら彼らも一緒に」と言い張ったアシュリー・コールが迎えの車としてミニバスを手配した一件は、前述した指揮官による「イタ飯ご馳走」と同じく有名だ。

 チェルシーのファンにとっては、実際の就任前から「恩」を感じていた監督でもあった。間接的にジャンフランコ・ゾラを加入させてくれたことへの感謝だ。レジェンド中のレジェンドとなった稀代のイタリア人テクニシャンは、アンチェロッティが監督を務めていたパルマでの、出場時間とウィンガー起用への不満からイングランドに新天地を求める気になったのだった。

 ゾラの移籍は、アンチェロッティ自身にもメリットをもたらしている。[4-4-2]システムに固執して世界有数のタレントを失った当時のパルマ指揮官は、選手の持ち味にシステムを合わせる意識を持つようになったのだ。その結果としてチェルシーでの就任1年目、ランパードを頂点に配したダイヤモンド型の中盤の 「違和感」を認め、途中で[4-3-2-1]への基本システム変更に踏み切った成功例がある。早期に不慣れなトップ下から解放されたランパードは、中盤の得点源としての持ち味を発揮してチェルシーでの現役13年間の中でも自己ベストのシーズン合計27得点。選手の気持ちを理解し、意見を汲み入れる姿勢も、チーム作りに長けた監督として信頼を寄せられる理由の一部だ。

「猛抗議」と「お出かけ」でファンの心もがっちり

 このように周囲の心をつかんで集団を束ねる巧さは、新任地でも発揮されている。エバートンの新監督は、GKジョーダン・ピックフォードがセーブを連発したほかはまったく良いところなくチェルシーに敗れた直後も、公の場で選手たちを責めるようなことはしていない。例えば、この試合で唯一とも言える自軍の決定的なチャンスを逃したドミニク・カルバート・ルウィンに質問が及ぶと、「今日はシュートを外したが、非常に良くやっている(監督交代後はリーグ戦11試合8得点)」と返答して22歳のストライカーをかばっている。守備の落ち度に関しても、「試合分析には、報道陣の前で言うべきことと、選手たちの前で言うべきことがある」と答えるにとどまった。チェルシー時代、チームミーティングに30分遅刻したディディエ・ドログバを直後の試合で使わなかったように、舞台裏では注意すべき点は注意して改善を求めることは間違いないが、昔も今も、アンチェロッティの辞書に「余計なチーム批判」はない。

 エバートンのファンも、新監督の存在に頼もしさを覚えているはずだ。さすがにこの日はアウェイでの一方的な敗戦に加え、メンバー発表時からブーイングを浴びせていた元自軍生え抜きのバークリーに活躍される展開でもあっただけに、オリビエ・ジルーにチェルシーの4点目を決められた54分の時点で、300km近い帰途につき始めるファンが出始めた。だが、対戦前のメディアやSNS上では、前回にトップ6争いの常連だったデイビッド・モイーズ時代(2013年まで)以来と思える意見が多数。判定に泣いた直前のマンチェスター・ユナイテッド戦(1-1)では、主審への猛抗議がファンと同じ「情熱」を、地元のショッピングセンターへのお出かけがファンと同じ「感覚」を感じさせたとして好評を博してもいた。そして、補強を経ての来季は「CL出場権争いを」とする国内紙インタビューでの発言が、前任のマルコ・シウバらとは桁違いの信憑性とともに、ファンに希望を与えていた。

 アンチェロッティは、チェルシー戦後の会見でも、「将来的には欧州でも渡り合えるレベルがクラブの目標だ」と語っている。降格圏に近い16位で引き継いだチームは、第29節終了時点で18位には10ポイント差、6位には6ポイント差の12位。来季のエバートンが、ランパード体制下の過渡期で当面はCL出場が現実目標のチェルシーと、本当にトップ4争いを繰り広げるのかどうかはわからない。しかし、新たなライバルチームの監督として再びスタンフォードブリッジを訪れる際にも、ホーム観衆による「カルロォ!」コールが聞かれることは請け合いだ。

試合後はランパード監督と握手。来季以降、順位争いのライバルとしてしのぎを削ることになるのが今から楽しみだ


Photos: Getty Images

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Profile

山中 忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。

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