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揺れる伝統国、アルゼンチンの育成論。サッカーの天才は「作れる」のか?

2019.03.15

芸術としてのアルゼンチン監督論 Vol.6

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

 世の中には、お金持ちと、そうではない人がいるように、経済的に豊かな国と、そうではない国がある。私が生まれた時、日本という国はすでに経済的に豊かな国になっていて、自分が生まれる前にあった戦争のことや、どうやら先人たちがとんでもないスピードで経済を発展させたこと、そしてその後に何かがハジけたことを知ったのは、生まれてしばらく経ってからのことだったと思う。サッカーの世界にも、金のあるクラブと、そうではないクラブが存在しているように、「国単位」で競い合っているこのゲームでは、経済的に豊かな国とそうではない国との間で、何かしらの差が生まれてしまうように思う。テクノロジーやネットワークがサッカーという競技を急激に発展させ始めたのは、(サッカーの長い長い歴史からすれば)ごく最近になってからのことで、これから先「経済的格差」がサッカー界に与える影響は、さらに大きくなっていくのかもしれない。

■「お金で勝てない」国が何を目指す?

 ご存知のように、ここアルゼンチンという国は、決して経済的に豊かな国とは言えない。じゃあ経済的に豊かな国ってなんだと言われたら、教養の薄い私にはよくわからないのだけど。都心部には高いビルが立ち並び、お金持ちもたくさんいる。ただ、そうではない地域に行けば、その差が物凄いことになっていることは誰から見ても明らかだろう。お金の価値だってすぐに変わってしまうし、今はインフレで国が(私も)あたふたしている。

 ここに、同じ南米のブラジルを足して、この2つの国は「南米サッカーと言えば?」でまず思い浮かぶ2つの国だろう(南米他国の熱狂的ファンのみなさま、すみません)。そしてこの2つの国からは、これまで多くの「個性的な」選手が誕生しまくってきた。その他の名選手たちとは一線を画したスタイルを持つ選手たちは、欧米のビッグクラブでも、必ずと言っていいほど大事な役割を担っている。ここでだ、もしサッカーの世界が、これまで以上に「お金(例えば最新テクノロジーの導入やトレーニング環境を整えるための)」が大きな影響を与え、埋められないような差ができてしまったら、アルゼンチンやブラジルから、これまでのような「個性的」な南米人スターは生まれなくなってしまうのだろうか?と言うより、サッカーの世界にそのような人材が求められなくなってしまうのだろうか?実際にアルゼンチンに関して言えば、リケルメが「最後の10番だ」という声もよく聞くし、“天才”がアルゼンチンから出てこなくなっているのではないかと、危惧している人も少なくない。

 先日、約1週間をかけて、日本からアルゼンチンに研修に来た指導者の方々と一緒に、様々なクラブを周り、関係者に話を聞く機会を得ることができた。まず最初に訪れたクラブは、これまで多くのプロ選手を輩出しているような、国内でも育成に定評のあるクラブだ。前回のロシアW杯でも、アルゼンチン代表に同アカデミー出身の選手も多くいた。このクラブは、長年ヨーロッパのビッグクラブで活躍していた選手が、選手として、そして会長として戻って来てから、いわば「欧州化」が始まった(もちろんポジティブな意味で)と話をしてくれた。ヨーロッパのクラブが行っているように、選手の育成をより構造化し、科学的根拠に基づいた計画を立て、クラブのゲームモデルに沿った育成を行っているのだ。

私はその話を「素晴らしいなあ」と聞きながら、一方で何かしらの違和感を感じていたのだけれど、その違和感の正体は自分でも一向にわからなかった。次のクラブに行くと、また別の指導者に話を聞くことができた。これまで様々なクラブ・カテゴリーで子供たちの指導にあたり、その傍ら書籍をいくつか出版してきたような人だ。その人は「私はそのやり方にはあまり賛同できない」と、育成年代の指導を細かく構造化することに意義を唱えた。「もっと自由に、もっとたくさんサッカーをするんだ。そして指導者は、それを助けるんだ」と。この問題は、本当に難しいように思う。また別のクラブ関係者は、「昨今のアルゼンチンは、ヨーロッパの方法論が正しいのだと思い過ぎてしまっているところがあるかもしれない」と、述べた。“アルゼンチン人にしかなかったもの”がなくなってしまってはいけないと、危機感を感じているようだった。

2005年のコンフェデ杯準決勝のPK戦勝利を喜ぶアイマール。リケルメの良き友人で、同時期に「10番」を付けた

■「再現性」vs「天才は作れない」

 どのような育成をするのが正しいのか。そこには、おそらく絶対的な正しさは存在していない。どのような文化や社会環境を持っているかによっては、正しい方法論は異なってくるであろうし、なぜ選手の育成をするのか?とか、何のために、誰のために?とか、そういう問いかけをするだけで、正しさなんてものは脆く崩れていってしまうようにも思える。ただ、アルゼンチンがもし、これから“何かを正しいと信じ過ぎて”、型にはめるような育成をしていくことで、これまで持っていた、アルゼンチン人しか持っていなかった「何か」がなくなっていってしまうのであれは、それは少し悲しいことだ。厄介なのは、それが本当の意味で見えてくるのは、今出ている結果ではなく、10年後とか、20年後とか、それくらい先になるからだろう。

 育成の方法論に「再現性を求める」には、どうしたって科学の力が必要だ。しかし、科学を使って再現性を求めるには、それが進化すればするほど、お金がかかる。お金がない国は、お金がある国の先を行くことができず、お金がある国の後を追いかける以外に方法はない。では、これまでアルゼンチンは、それを何で補ってきたのかと考えると、経験、つまり歴史なんだと思う。AFA(アルゼンチンサッカー協会)が出している指導者講習会の動画で、育成年代の代表コーチは、「絶対に他の国をコピーしてはいけない。適合はさせなければならないけれど、コピーをすることはない」と、強調して言っていたことを思い出す。私がこの国の人たちの考え方で好きなのは、「天才は作れない」と、みんなが共通理解を持っていることだ。才能のある子供を見極めて、余計な手を加えない努力をしているように思う。それは、「育成をする」と言えばそうかもしれないけれど、一方で、それとはまたちょっと違うような気がしている。ただ、一貫していたのは、先に書いた3クラブの指導者は、それぞれがそれぞれの考え方に、自信を持って、自分の言葉で話をしていたことだと思う。そして「コピーはダメだ」と、みな口をそろえて日本人の我われにアドバイスをすることだ。

 育成の話をすると、少なくとも私は(みなさんもすでにお気づきのように)、まったくまとまりのない言葉を並べてしまう。ただ、テクノロジーを使った最先端の方法や、長い歴史を持った国の人たちが言うことは、ついそのまま信じ切ってしまいそうになるけれど、そこで一歩止まって考え、疑ってかかり、その上で、自分の言葉を使って話せるようになることが大事なのではないだろうか。今回はまったくまとまりのない内容になってしまったけど、どうかご容赦いただきたい。サッカーをやっている子供たちには幸せになってほしいし、この世で一番ややこしいのは、その幸せとやらだから。

Photos: Getty Images

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アルゼンチン育成

Profile

河内 一馬

1992年生まれ、27歳。サッカー監督。アルゼンチン在住。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」に在籍中。サッカーを非科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者。サッカーカルチャーブランド『92 F.C.』ファウンダー。NPO法人 love.fútbol Japan理事。