SPECIAL

青森県のサッカー人はみんな知っている『AOMORI GOAL』って何だ?

2022.10.03

蹴人列伝 FILE.4 『AOMORI GOAL』~前編~

サッカーの世界では、あるいは世間的に見れば“変わった人”たちがたくさん働いている。ただ、そういう人たちがこの国のサッカーを支えているということも、彼らと20年近く時間をともにしてきたことで、より強く実感している。本連載では、自分が様々なことを学ばせてもらってきた“変わった人”たちが、どういう気概と情熱を持ってこの世界で生きてきたかをご紹介することで、日本サッカー界の奥深さの一端を覗いていだだければ幸いだ。

第4回でご紹介するのは青森県のありとあらゆるサッカーとフットサルの情報を網羅した、青森県サッカー&フットサル情報誌『AOMORI GOAL』を立ち上げた松坂匡克と夏目二郎。2009年にまったくの素人たちが集まり、何もないところから情熱だけで立ち上げた雑誌は、創刊から13年経った今では青森県内のサッカー人であれば、知らない人はいないところまで知名度を高めている。

前編では松坂と夏目に創刊に至るまでの苦労や、実際に雑誌を作り始めてからの思い出を振り返ってもらった。

「『AOMORI GOAL』って何ですか?」


――まずあえてお聞きしたいのですが、『AOMORI GOAL』って何ですか?

松坂「『AOMORI GOAL』は、青森県にJリーグのチームができることと、中学や高校といった各カテゴリーで青森県の学校が全国優勝するという目標を設定した上で、青森県にサッカーが根づくようにという意味も込めて『AOMORI GOAL』という名前にしたサッカー雑誌、というのがコンセプトです。今はJリーグにヴァンラーレ八戸が参入したので、次のゴールはJ1やその先のステップもあるんですけど、創刊当時は青森県のチームが全国大会で優勝することなんてなかなかないことだったので、全国で戦える標準装備はしたいなという意味もありましたね」


――いつ創刊されたんですか?

松坂「2009年です。創刊号のVol.1が6月発売で、雑誌として動き出そうと思ったのが、その年の1月で、編集部員の夏目と芳賀(広太郎)に動いてもらったのが3月でしたね」


――夏目さんは『AOMORI GOAL』の立ち上げをどういう形で聞いたんですか?

夏目「プライベートなことですが、自分も芳賀も結婚するタイミングで、それまではずっと夜の時間帯に働いていたので、昼にも働ける仕事を探そうと考えていた時に、たぶんそれもあってマッサン(松坂)が立ち上げてくれたので、自分たちはそのままやる形でした」


――これは大前提なんですけど、松坂さんと夏目さんのもともとの関係性はどういうものだったんですか?

松坂「自分は高校2年でサッカーをやめたんですけど、そのあとは一切ボールを蹴ることもしていなかった中で、27歳で子供が生まれたんです。仕事として独立したのもその頃で、『もう1回ボールを蹴ってみようかな』と思って、改めてサッカーを少しやっていたら、チームを作りたくなったんですよね。それで小・中学校の時に一緒にやっていた仲間を集めて、フットサルチームを作ったんです。世界最大のマラカナンスタジアムにあやかって、チーム名は『マラカナ』だったんですけど(笑)、後にヴァンラーレの母体となる工業SCというチームに、高校時代の同期で五戸成治選手(ヴァンラーレ八戸初代キャプテン)がいて、『一緒にサッカーやらないか?』と声をかけたら、当時そのチームにいた夏目とも一緒にサッカーするようになっていったんです。その頃に自分が立ち上げた飲食店にも来てくれていたので、そう考えると夏目の最初はお店に飲みに来た“お客さん”でもありますね」

夏目「たぶん最初に飲みに行ったのも、工業SCの誰かの結婚式の2次会ですよね。そこが本当のスタートです」

松坂「独立して一番最初に結婚式の2次会をやったのが、五戸が結婚した時だったと思います。つまり、初代のヴァンラーレのキャプテンの結婚式の2次会は僕の店でやったんです(笑)。そこに当然チームメイトの選手も来るわけで、そこで知り合った感じですよね。その頃にやっぱり僕の高校の同期で、今のヴァンラーレの代表取締役の下平賢吾から電話が来て、『Jリーグを目指すことになった』という話を聞いて、最初は試合時の看板スポンサーをやったんですけど、そこから自分にも何かできることはないかなと探していたタイミングで、夏目も芳賀も結婚するということで、何か彼らと新しい仕事をできないかなと。全部重なりましたね。サッカーへの恩返し、青森県にJリーグのチームを作る機運を盛り上げたい、と。あとは少子高齢化も頭の中にはあって、当時は飲食店の従業員が10人近くいたんですけど、彼らが10年後や20年後に地元で飲食店をやるのは難しくなってくるんじゃないかなと。そう思ったので、人が流れるシステムを考えると、Jリーグはホーム&アウェイがありますし、相手のサポーターが来るような流れを青森県にも作れればという想いもあって、『これは画期的だな。サッカーの仕事をするぞ』と。自分の中でのイメージはそういうものでした」


――夏目さんは『AOMORI GOAL』が始まる時に、展望のようなものは持っていましたか?

夏目「まったくないです(笑)。本当にパソコンもカメラも何も使えなかったので、『何をやればいいんだろう?』という感じですよね。先は見えなかったです。とりあえず言われたことをやっている。最初はそんな感じでした」

松坂「あれ? ビジョンの説明をしたつもりだったんだけどな(笑)。青森県のチームがJリーグに入って、アウェイのサポーターの人が来て、街も潤って、オマエたちの給料も上がるでしょ、って」

夏目「響いてなかったんでしょうね(笑)」


――夏目さんはその時においくつだったんですか?

夏目「25歳ですね。13年前か……。芳賀は23歳でした」


――3人でスタートしたんですよね。

松坂「はい。その時はパソコンを誰も使えなかったので、西野と松橋というサッカー好きで編集もできる2人に手伝ってもらいました。『ゆくゆくはちゃんと自立してください』ということで、ボランティアみたいな形でやってくれましたね。最初は飲食店の奥に仕切りを作って、そこでやっていました」


――つまりは、凄く情熱はあったけれど、何をやっていいかわからないところから始まったわけですよね(笑)。

松坂「そうです。雰囲気だけでした(笑)」

『AOMORI GOAL』の松坂さん(Photo: Masashi Tsuchiya)

想像以上に売れなかった“プレ創刊号”


――Vol.1の前に“プレ創刊号”みたいなものを作られたと思いますが、その時の思い出はいかがですか?

夏目「写真はほぼ自分たちで撮ったんです。凄く小さいカメラを持って行って、写真を撮りましたね。八戸市内の社会人リーグは50チームあって、1チームに1人は知り合いがいたので、話しながらやれましたし、実際に『ああ、楽しい仕事だな』と感じました」


――誌面でその50チームの紹介をしたんですよね。

夏目「そうです。土日に市内リーグの試合に行って、話をしながら写真を撮って、『ああ、楽しいな』という想いはありました。でも、撮った写真がどうなるかもわかっていなかったので、パソコンが使える2人の後ろで2、3時間ぐらいずっと見ていましたね。その時は『暇だなあ……』って(笑)」

松坂「市内の全チームが載るわけで、1チームに25人ぐらいはいるので、『全部で1000人ぐらいいるな。これで全部売れるな』と、頭の中の計算で思っていました(笑)。実際に印刷所から上がってきて、段ボールに入っている誌面を見た時に、『雑誌って作れるものだな。やればできるな』と思ったのと、予算を削って削ってと考えていたのに、結果的に100万円ぐらいオーバーしたんですよね。『意外とお金がかかるな』と。でも、良いスタートだったと思います」


――プレ創刊号で八戸の市内リーグの全チームを取り上げたのはどういう理由からですか?

松坂「まず認識してもらいたかったからです。サッカー協会の皆さんにいきなりプレゼンしたところで、自分の存在も知られていないですし、まずは自分の身内というか、サッカー仲間たちに知ってもらって、『こういう雑誌を作りましたよ』という状況を作って、協会に持って行くようなプレゼン資料にしたかったんです。『八戸市にはこれだけサッカー人口がいるんだよ』ということを示したかったと。草野球もアイスホッケーも市内に50チームはないと思うんですよね。八戸にはこれだけサッカー人口がいるという、小学生や学生も含めた人数の資料を作っておいたんです。その1つのプレゼン資料を兼ねた雑誌ですよね。『これならサッカーのスタジアムを作る必要があるな』というイメージを植えつけさせたいと」


――実際に売れたんですか?

松坂「初回は500部前後しか売れなかったです」


――何部作ったんですか?

松坂「3000部です」


――自分たちでも手応えはあって、でも、思ったよりは売れなかった感じですよね。「え?」って感じでした?「こんなものかな」という感じでした?

夏目「『こんなものだろうな』というのが率直な感想ですかね(笑)」

松坂「温度差あるねえ(笑)。まあ、そうだよね。僕はフットサル人口も増やしたかったので、創刊の前に自分でスポンサーを連れてきて、フットサルのイベントをやったんです。飲食店のオーナーさんに声をかけて、『青森県最大級のフットサルイベント』という形で立ち上げて、新聞にも取り上げられたんです。その取材中に『AOMORI GOAL』も創刊になるということも伝えて、地元紙にメディアの露出もあったので、『3000部は余裕で売れるだろう』と。なので、『結構厳しいな』という感じでしたけど、『まだみんな知らないだけでしょ』とも思いました。『3年以内に青森県内で認められて、3000部は必ず売ってやる』とずっと話していましたから(笑)」


――それを聞いていた夏目さんはどう思っていました?

夏目「まあ、無理だろうなって(笑)。その時は自分たちが何をしていいか全然わからなかったので、大会に取材に行くにも、その大会をどうやって調べるかもそうですし、最初の1年間ぐらいはそんな感じでした。先のことや売り上げなんてことは一切考えていなかったです」

『AOMORI GOAL』の夏目さん(Photo: Masashi Tsuchiya)

青森山田高校・黒田剛監督と弘前城が並び立った伝説の表紙


――『プレ創刊号』が出てから、『Vol.1』が出るまではどのくらいの期間があったんですか?

松坂「3カ月のスパンでやろうと思っていたので、プレ創刊号を6月、Vol.1を9月、Vol.2を12月というイメージでスタートさせました。それも制作を手伝ってくれた2人と話をして、いろいろな作業を覚える期間と、取材できる人数も限られているので、何をメインでやるかとか、相談をしていく中で3カ月に1冊が良いだろうと。印刷会社を回って見積もりを取ったり、いろいろなことをしましたね」


――記念すべき『AOMORI GOAL』のVol.1は、なかなか強烈な表紙ですよね(笑)。

松坂「やっぱりサッカーは観光資源にもなるということをアピールしたくて、『青森に来て、試合を見終わったら、弘前城も見るべきだぞ』というイメージで、青森山田高校の黒田剛監督と弘前城を並べました(笑)」

『AOMORI GOAL』のVol.1を手に取る松坂さん(Photo: Masashi Tsuchiya)


――珠玉のコラージュですね(笑)。

松坂「ちょうどVol.1に向けていろいろ調べていたんですけど、青森山田が気になっていたんです。自分がサッカーから離れていた時期にインターハイで日本一になったことは聞いていましたし、『なぜ青森県のチームがこんなに強くなったんだ?』ということも知りたくて、ずっと行ってみたかったんですよね。僕らが高校生の頃の青森県勢は、全国大会に行っても1、2回戦で負けていたので、『どのくらいのレベルなんだろう?』ということで体験入部させてもらったんです。その時の黒田監督の写真と弘前城を並べると(笑)」


――夏目さんはあの表紙を見た時に、どう思ったんですか?

夏目「確か芳賀と『何で城が表紙に載ってるんだろう?』と、2人だけで話しましたね」

松坂「制作の方に『縦開きと横開きがあるけど、縦開きじゃなきゃダメなの?』と聞いたら、凄く優しい2人だったので、『一応常識は縦ですけど、松坂さんの雑誌だから好きなようにしていいんじゃないですか』と。『じゃあ、横だ!』と」


――「横じゃなきゃ、黒田監督と弘前城が入らない」と(笑)。

松坂「こういうのも斬新でいいんじゃないかと。それで勝手に僕が進めて、みんなも共感はしていないけど『おお……』と」

夏目「『いいんじゃないですか』って(笑)」


――そうすると制作のお2人の存在も奇跡の表紙を生んだ1つの要因ですね。

松坂「本当にそう思います。でも、僕も今以上にもっと頑固だったかもしれないですね」

夏目「それはあると思います。自分たちも反対するわけでもなく、全部肯定する感じでしたね」

柴崎岳と一緒にボールを蹴った“体験入部”


――実際にVol.1の売れ行きや評判はどうだったんですか?

松坂「9月に出て、青森山田という強豪校に体験入部した記事も掲載されていたので、受けは良かったような気はします。黒田監督に持って行って、練習の仕方も図面で書いてもらったりして。この頃の僕は柴崎岳選手のこともうっすらとしか知らなかったんです。学校に行ってから『日本代表選手がいるんだよ』『え?本当ですか?』と。それで一緒にプレーしましたね。それも黒田監督が説明してくれました。『柴崎と櫛引(政敏)が代表選手で、椎名(伸志)は良いキャプテンだ』と。あとは練習に緊迫感がありました。僕の高校時代にあんなピリピリした雰囲気はなかったので、『やっぱりこういうことなんだな』と」


――青森山田に体験入部ってなかなか凄い企画ですよね。

夏目「そういう意識はまったくなかったですね」

松坂「普通の高校に体験入部させてもらうような感覚でした」


――実際に行ってみて、『こんなに上手いの!』という感じですか?

夏目「そんな感じでしたね。黒田監督も聞いたことに全部答えてくれました。練習も『動画で撮影していいよ』と」

松坂「本当に全部の質問に答えてくれました。『青森がサッカー王国になるにはどうしたらいいですか?』とか『どうすればサッカーが上手くなりますか?』とか。黒田監督は何も隠すことなく、全部答えてくれましたね」


――柴崎岳選手と一緒にボールを蹴れたなんて、一生自慢できますよね。

松坂「夏目と柴崎選手が一緒にボールを追いかけている写真は、携帯の待ち受け画面にしたよね(笑)」

夏目「本当に体験入部から帰ってきて、『凄く有名な子だったんだな』って」

松坂「目立ったプレーをするわけではないじゃないですか。派手なフェイントをするわけではないですし、シンプルにパスをはたく感じで、『凄く目立つわけではないんだな』と。でも、夏の練習でみんな半袖短パンの中、1人だけウインドブレーカーを着ていて、黒田監督が『アイツはそういうヤツなんだよ。自分にストイックに負荷をかけているんだ』と。そういう意識の違いは感じました」

青森山田OBの日本代表MF柴崎(Photo: Getty Images)


――やっぱりVol.1から柴崎岳選手のいる青森山田に体験入部って、かなりエッジの効いた企画ですよ(笑)。

松坂「エッジ、効いてますよね(笑)。黒田監督の存在やいろいろな背景を知っていたら、あるいは尻込みしていたかもしれないですけど、知らなかったことが幸いしましたね。なので、アポ取りも電話番号を調べて学校に電話したんです。『体験入部したいんですけど』『え?どういうことですか?』『「AOMORI GOAL」って雑誌なんですけど』と言って(笑)」


――「ご存じないんですか?」と(笑)

松坂「本当にそんな感じですよ。それこそ僕はナイキやアディダスにも『スポンサーやりませんか?』と連絡しましたしね」


――僕はそのお話、大好きです!

松坂「勘違いも甚だしいですよ。丁重に断られました(笑)。その時は黒田監督から『体験入部したいらしいな』と電話をかけてきてくれたんです」


――そのある意味で無鉄砲なパワーは凄いですね。

松坂「無鉄砲なのか、バカなのか(笑)」

夏目「その頃からやりたいとなったら、もう一直線でしたね」

「仕事としてやっていける」という手応えはこの2、3年で掴み始めた


――その後も3カ月スパンぐらいで『AOMORI GOAL』を出していくわけじゃないですか。どのくらいから軌道に乗り始めた感覚はあったんですか?

夏目「いやあ、ここ最近です。仕事としてやっていけるかなと考えたのは、この2、3年じゃないですか。それまでは自信もそんなになかったですね。最初は制作も一切やっていなかったので、本当に写真を撮るだけで、たぶん創刊から1年ぐらい経って、自分たちでパソコンを習いに言ったんです。『自分の名刺をイチから作ってみよう』みたいな。そこから取材だけじゃなくて、制作の方に僕はスイッチを切ったんですよね。パソコンでの作業も面白かったので」

松坂「初めてのことなので、ノルマもなかったですし、向き不向きもわからなかったですからね。だから、取材が向いているのか、スポンサーを取ってくるのが得意なのか、3人の関係性を見ながら、そこを考えていましたね」


――割と早い段階で3人の作業の棲み分けは決まっていった感じですか?

松坂「1年半くらい経ってですかね。夏目はパソコン作業が向いているような感じでしたし、芳賀は人と会っている方が良さそうだから、取材を多めに振ったり。スポンサー回りも、夏目のサッカーの先輩で開業したお医者さんに声をかけたりと、そういうことをしてもらっていましたね」


――販売経路や販売形態は当時と今でそんなに変わっていないですか?

松坂「そんなに変わっていないです。最初は大きな書店にアプローチして、『3000部を全部売りたいな』と思った時には、県内のコンビニ全店舗にも仕掛けました。今は書店が少ない地域のコンビニに置いてもらっていて、大きくは変わっていないですね。目標としては話題になって、書店から声を挙げてもらった方がいいと考えていたので、書店への営業はそこまでしていなかったです。とにかくサッカーのあるところに顔を出して、『こういう雑誌があります』と。サッカー自体が面白くて人気があるんだから、『読まれないはずがない』と。『話題になるだろう』と勝手に思っていました」


――実際に少しずつでも話題になっていった感触はあったんですか?

夏目「いやあ、結構経ってからだと思いますよ。子供たちから『「AOMORI GOAL」に載りたい』と言われた時に、『ああ、認知度が上がってきたな』と感じたんですけど、それは始めて4、5年経ってからですね」

松坂「創刊した年に高校選手権で青森山田が準優勝したんです。それもあって国立競技場に行きましたし、良いタイミングで雑誌を出せたなと。黒田監督とも親交ができていましたし、雑誌以外にも八戸市内でサッカーをやっている子供たちを呼んで、フットサル場で“青森山田サッカークリニック”をやったんです。そこに八戸市長も来場していただき、懇親会もやったんですけど、自分としてはトータルで青森県のサッカー自体は良い方向に行っているなと。ただ、書店から『ウチでも置きたい』と言われるようになったのは、やっぱり2、3年経ってからですよね」


――自分が思っていたよりは時間がかかったイメージですか?

松坂「かかりましたね。 3年というのは自分の中でも勝手に考えていたことで、『3年経ってどうにもならなかったら、もう形にならないんじゃないか』と決めつけていました。でも、青森山田が準優勝して、黒田監督にインタビューした時に『毎年優勝をするために取り組んできての準優勝』とおっしゃっていて、長い年月をかけて全力で取り組んできたという言葉が自分の中にスッと入ってきたんです。『確かに何年やっても結果に結びつかないかもしれないけど、サッカーが根づくまで、Jリーグのチームができるまで、青森県がサッカーで有名になるまで、とにかくやり続けてやろう』と。3年は1つの目標で、あとは結果を残すまでひたすらやってやろうと思っていました」


――松坂さんはそういう人だと思うんですけど(笑)。夏目さんは『AOMORI GOAL』を仕事として続けていていいのかなって考えたことはありましたか?

夏目「ありましたよ。それがなくなったのが、さっき言った2、3年ぐらい前ですね。ただ、『凄く良い仕事だな』とは思っていました。基本的にはみんなに感謝されますし、子供たちも掲載されることに喜んでくれて、仕事自体はずっと好きでした」


――絶対に楽しくなってきますよね。

夏目「それこそ、去年の青森山田にいた藤森颯太(明治大)は子供の頃から取材してきていましたし、そういう選手が選手権で優勝して3冠を達成するとなると、自分も嬉しいですよね。そういうことはやりがいになりますよ」


――この2、3年で『仕事としてやれる』と思ったのは、何かキッカケがあったんですか?

夏目「キッカケがあったかどうかはわからないですけど、何となく自分の周りがうまく行き出した感じですかね。仕事に関しても、取材に対しても。それまでは葛藤もあって、どこかで一歩引いている自分がいたんです。でも、それがすんなりやれるようになったのが2、3年前で、そこから仕事自体の調子も良くなっていたイメージがあります。ちゃんと売り上げのことも考えられるようになってきて、全体像が見えてきたというか、いろいろなことが想像できるようになってきたんです。『こういうことをやったら売り上げがどうなる』とか『部数はどれくらいで』と。そんな感じですかね」


――ある意味で腹を括った感じでしょうか?

夏目「それもあるかもしれないですね」


――それは松坂さんにとっても嬉しいことですよね。

松坂「嬉しいことです。2、3年前に夏目が『一皮むけたな』という時期があって、何となく落ち着いて仕事と向き合う時間を作れるようになったんじゃないかなって。あとは、コツも何となく掴んだんじゃないですかね。それで要領が良くなると、時間ができる。時間ができると、取材自体もうまくいく。写真も狙った通りに撮れるようになりましたし、クオリティも上がった。制作も上手になって、早く作れるようになったと。それが全部重なったのかなと。一緒に飲んだ時に『任せてください』という一言を言われて、『ああ、もうコイツはたぶん『AOMORI GOAL』のすべてをできるな。任せてもいいな』という感覚はありました。それでもここ2、3年ですよ。本当は創刊から3年ぐらいで、そうなると思っていたのに(笑)」


――やっぱり時間がかかっているわけですよね(笑)。

松坂「『こんないい仕事、他にあるわけないだろ。サッカーが好きで、サッカーの仕事ができるなんてことは普通ないんだぞ。楽しいだろ、いろんな人にだって会えるんだから』って。好きなものを表現できるわけですからね。それも自分の勝手な思い込みだったわけです(笑)」

Photo: Masashi Tsuchiya

後編へ→

footballista MEMBERSHIP

TAG

『AOMORI GOAL』

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

RANKING