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デポルティーボはなぜ消え、今何をしているのか?――スーペル・デポールの虚構と現実。未来へ逃げ続けた会長が先送りしたもの

2022.06.19

『フットボリスタ第90号』で特集したラシンと同じく、消えたように見えるのがデポルティーボだ。リーグ制覇に加え、100 周年のレアル・マドリーからコパ・デルレイを横取り。ミラン相手にCL 史上に残る大逆転をし、ミュンヘンでバイエルンを、オールドトラッフォードでマンチェスターU を破ったあのスーペル・デポールはなぜ消えてしまったのか? そして今、何をしているのか?

※『フットボリスタ第90』から一部編集し掲載

 レンドイロは恩人なのか、それとも破壊者なのか――今もラ・コルーニャの街の声は二つに割れている。

 アウグスト・セサール・レンドイロ。1988年に消滅しかけたデポルティーボの会長に就任し、“スーペル・デポール”と呼ばれるスーパーチームを作り上げ、1990年代に国内を席巻、2000年代には“EUROデポール”にスケールアップさせ、CLを舞台に欧州を席巻した。

ゴールを決めたバレロンと祝福するビクトル(左)。アウェイでの4-1をホームの4-0でひっくり返した2003-04CL準々決勝ミラン戦はEUROデポール最大のマジックだった

 リーガファンならあの温厚そうな顔を覚えているかもしれない。あの笑顔、ガリシア訛りの甘いイントネーションとは裏腹にやり手の交渉人として有名で、ブラジル代表のエース、ベベットに雨が多くて寒いラ・コルーニャを「ブラジルの気候に似て住みやすい」と丸め込んで連れて来たことで知られている。

恩人か破壊者か。スーペル・デポールの生みの親
レンドイロ元会長の評価は今も街を二つに割っている

 1994年アメリカW杯で優勝するブラジル代表のベベット、マウロ・シウバをはじめドナート、ジャウミーニャ、ロイ・マカーイ、リバウド、ファン・カルロス・バレロン、ディエゴ・トリスタン、アルベルト・ルーケ、ワルテル・パンディアーニ、ジョルジュ・アンドラーデ、フィリペ・ルイスといった大物がスペインの西端の人口30万にも満たない街にやって来たのは、レンドイロと彼を師と慕うスーパー代理人ジュルジュ・メンデスの功績が大きかった。車でポルトガルから行けるという理由でデポルティーボを選んだメンデスにとって、レンドイロは初めての商売相手だった。

 2014年にレンドイロは会長の座を辞任するのだが、メンデスはポルトガルとブラジルの有望株を安価で提供し、モウリーニョの弟子ドミンゴス・パシエンシアを監督として引っ張って来るなどして最後まで恩人を支援し続けた。

管財人によって暴かれた裏の顔

レンドイロを退任に追い込んだのは、第1にスポーツ的な理由、第2に経済的な理由だった。

 最後に参戦した2004-05のCLは早期敗退。シーズン終了後、ハビエル・イルレタ監督が退任して一つの時代が終わった。以降、補強は外国人スターよりもスペイン人の若手が中心となり、下部組織を積極的に活用して中位を確保し続けるも、2010-11についに2部に降格。1年で昇格するも1年で再降格し、迎えた2013-14、2部で首位を快走するチームを尻目にレンドイロは次の会長選の出馬を断念することを明らかにした。

 税務署に全収入を差し押さえられたことをきっかけに、1億ユーロ近い負債があることが発覚。クラブを消滅から救うには「恥だから受け入れたくない」と言っていた会社更生法を申請するしかなくなっていた。周りから説得され申請を渋々承諾したと同時に、財政破たんの責任を取って会長キャリアに終止符を打つことに決めたのだった。

 恩人のレンドイロはここで終了。ここから破壊者としての裏の顔が暴かれていくことになる。

 本部に乗り込んだ財産管理人が帳簿を調べて驚いた。……

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デポルティーボ

Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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