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CFGを追い出したカルト市民クラブを知っているか?「NACはブレダ、ブレダはNAC」である意味

2025.01.25

VIER-DRIE-DRIE~現場で感じるオランダサッカー~#12

エールディビジの3強から中小クラブに下部リーグ、育成年代、さらには“オランイェ”まで。どんな試合でも楽しむ現地ファンの姿に感銘を受け、25年以上にわたって精力的に取材を続ける現場から中田徹氏がオランダサッカーの旬をお届けする。

第12回では、シティ・フットボール・グループを追い出したカルト市民クラブとして知られるNACブレダの存在意義に現地取材で迫る。

あのクライフも名言にした「NACの夜」

 NACブレダのファンショップを覗いても、今季のファーストキットは品切れとなっている。クラブカラーの黄と黒が眩しいユニホームに、80年前に戦死したポーランド軍兵士40名の名前と彼らへの感謝の言葉が綴られている特別仕様だからだ。

 白地のセカンドキットにその謎解きがある。そこに貼られているのは1944年10月29日、ナチスに占領されたブレダを開放したポーランド軍と市民がフローテマルクト(大広場)で喜び合う白黒写真だ。サードキットはNACとポーランド軍が行った親善試合の様子がプリントされている。

 昨年10月26日のホームゲーム、RKC戦はブレダ開放80周年を祝う場と化した。キックオフセレモニーはポーランド軍のエウゲニウシュ・ニジールスキ元大佐。杖をついた101歳は今もなお生存する唯一人の英雄だ。バックスタンドには「Pamiętamy(ポーランド語で「蜂起」)」という巨大弾幕が翻り、19分44分には試合を中断しファンが総立ちになって拍手を贈った。「NACはブレダ、ブレダはNAC」を象徴する試合は4-1でホームチームが快勝した。

 中世の町並み、郊外の緑豊かな公園に、ブレダの街には「南部の真珠」という呼び名がある。そして、この街のフットボールのレガシーとしてNACもまたそのニックネームを共有している。1万9000人のスタジアムには毎試合満員の観衆が押し寄せ、四方の観客席はすべてゴール裏のような応援を繰り広げる。特にそのナイトゲームの雰囲気は格別で「NACの夜」という有名な言葉で知られている。

 そのラット・フェルレフ・スタディオンのプレスルームには、ヨハン・クライフが1980年代に言ったという「ここバルセロナのホームゲームは、まるで『NACの夜』のようだ」という名言が掲げられている。「NACの夜」の起源は1975年12月27日、旧NACスタディオンで初めてナイトゲームが開かれたデュッセルドルフとの親善試合。2-2の痛み分けで終わったこのゲームは凡戦だったと伝えられているが、カクテル光線を浴びたNACの黄色のユニホームと、緑のピッチ、そしてBサイドと呼ばれるウルトラスが見事な化学反応を起こし、やがて「NACの夜」と呼ばれるようになった。その伝統は富士フィルム・スタディオンとして1996年に開場した現スタジアムに引き継がれている。

CFG加盟発表も…猛反発が体現した市民クラブの「精神」

 今から3年前、NACはサポーターの力を世界に示した。2017-18シーズンに1年ローンで借り受けたアンヘリーニョ(現ローマ)が大活躍するなど、2016年頃からマンチェスター・シティとの関係を深めたオランダ2部のクラブはさらなる戦力強化と経営安定化を目指し2022年3月、シティ・フットボール・グループ(CFG)の一員になることを正式に発表した。

 しかし、NACはマルチクラブ・オーナーシップのためのものではない。ブレダのものなのだ。サポーターが蜂起してマンチェスター・シティはもちろんのこと、欧州に散らばるCFG加盟クラブに赴いて抗議活動を開始した。……

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Profile

中田 徹

メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。

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