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「LM10」対決。メッシvsモドリッチという異なるリーダー像、クロアチア完敗の裏にあった物語【アルゼンチン3-0クロアチア】

2022.12.14

翌日更新!カタールW杯注目試合レビュー

35歳のリオネル・メッシと37歳のルカ・モドリッチ。ともに母国の代表チームを主将として牽引し、クラブでもバルセロナとレアル・マドリーの10番としてしのぎを削った歴史的な選手だ。偉大な2人のリーダーがW杯準決勝という大舞台で、様々な想いを背負って激突した。

 クロアチア公共放送のカタールW杯番組『カターラ』でスタジオ解説を務めるアントン・サモボイスカは、この道45年のサッカージャーナリスト。その昔、ユーゴスラビア代表監督のイビチャ・オシムの批判記事を書いたことで「お前、よくわかっているな」とみそめられ、友人関係になったというエピソードを私は両者から聞いている。その親しさを示す事例として、オシムが日本代表監督だった頃に「サモボイスカへのプレゼントをクロアチアに運んでくれ」と依頼され、一時帰省中の私がJFAハウスの彼のもとまで受け取りに行ったほどだ(プレゼントはJFAのネクタイだった)。サモボイスカは膨大な知識量と誠実な文章と語り口で人々の信用を得てきた、私が憧れるジャーナリスト。そんな彼が「クロアチア対アルゼンチン」に際し、スタジオで抒情的に語り始めた。

 「いつもこのカードは面白い試合になりますが、個人的には『メッシ対モドリッチ』という観点で興味深く見ています。どちらも代表チームのリーダーですし、輝かしい選手です。『どちらの選手が勝つのだろうか?』と私はいつも考えます。もちろん、誰を応援するのかは決まっていますけどね(笑)。どのように両者はチームに貢献しているのでしょうか? アルゼンチンのチーム全体がメッシのためにプレーしているのに対し、モドリッチはクロアチアのチーム全体のためにプレーしています。それが両者間の大きな違い、重要な違いなんです。だからこそ、私はモドリッチのことを熱愛しているのです」

日本戦の勝利後、クロアチア代表の面々が喜ぶ映像に感動して言葉を失い、涙を流したサモボイスカ。かつてはチェスやフットサルの名手としても知られた

2人の最初の出会いは16年前

 クリスティアーノ・ロナウドは自身のイニシャルと背番号を絡めた「CR7」をブランド化してきたが、その手法で一部のファンやメディアが「LM10」と呼ぶスタープレーヤーがルカ・モドリッチとリオネル・メッシだ。その両者が初めて対戦したのが2006年3月1日、バーゼルのザンクト・ヤコブ・パークで開催された親善試合「クロアチア対アルゼンチン」。ディナモ・ザグレブでの活躍が認められ、A代表に初選出されたモドリッチの背番号は「14」。主力の負傷を受けて試合当日に先発出場が決まり、彼自身も試合直前に足のかかとに炎症が発生したため、患部を締めつけないようスパイクに穴を開けたという。慣れないボランチで84分間プレーし、代表レベルで問題なくやれることを証明した。結果はアディショナルタイムのゴールでクロアチアが3-2で勝ち、記念すべきデビュー戦を勝利で飾っている。それからは「14」が彼のトレードマークとなり、長髪をなびかせたこともあって「クロアチアのクライフ」なんてあだ名がつけられた。

2019年3月のクロアチア代表のトレーニングで撮影したモドリッチの靴下。日本のサッカー少年のようにマジックで背番号「10」を書き入れている(Photo: Yasuyuki Nagatsuka)

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Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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