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なぜ、準備なしで前プレ[3-4-2-1]が機能したのか?森保采配に感じた「エコロジカル・アプローチ」の片鱗

2022.11.26

日本戦徹底解剖

ドイツ戦直後、「こんな変化も選手の組み合わせも見たことない。ゴールキックのビルドアップすら今まで見たことない形が出てきた。ボロクソに叩かれても全部本番まで隠してたのか!」と興奮気味に語る川端暁彦さんに、「じゃあ、その森保采配についてぜひ記事を書いてください」とお願いしたら、2日後微妙に違うテーマに変わっていた原稿が届いた。そもそもなぜ、試合でもほぼ試しておらず、おそらくトレーニングもそれほどできなかった[3-4-2-1]が、戦術大国ドイツ相手に機能したのか――。

「代表監督」の仕事とは何なのか?

 日本のサポーターの「ゴミ拾い」が現地カタールでも結構な話題になっている。もちろん、良い意味で。あの慣習は日本が初出場した24年前の1998年、フランスW杯に有志が始めて以来の伝統だから、「7年連続7度目のゴミ拾い」ということになるのだろうか。

ドイツ戦後に客席のゴミ拾う日本サポーター。再び各国サッカーメディアで取り上げられ、世界中から賞賛を浴びた

 そう、24年も前の話だ。フランスが「王様ジダン」を核にした極めてソリッドなサッカーで優勝した大会である。当時のスペインは(今では考えられないことだが!)完全な“塩試合メイカー”。フェルナンド・イエロのような武骨な選手を中盤で起用した守備的なスタイルで接戦に持ち込むものの、決定打を出せないまま8強以前に散っていくようなチームだった。

 ただ、翌1999年のワールドユース(現・U-20W杯)でシャビという1人の天才を擁して魅惑のサッカーを展開しての世界制覇を為し遂げたように、次代への種は蒔かれていた。

1999年のワールドユース決勝、日本戦の先発メンバー。前列右から2番目がシャビ

 つまり代表チームのサッカーに連続性がなければ発展性がないなんてことはない。これは現代も同じで、代表監督に問われるのは育ってきた選手をいかに汲み上げて組み合わせるかという作業である。一方で、その代表監督に選手を供給する「国としての育成」はちょっと違うという話でもあり、ある程度の意図をもって「こういう選手がA代表に必要になるだろうから、そこに達する選手を育てたい」という長期スパンの目線は絶対に必要だ。

 例えば、過去のW杯における戦いぶりから積年のテーマの一つは大型CBとSB、ボランチの育成だったわけだが、その点で言えば、一定の成果はあったと言えるだろう。吉田麻也、板倉滉のCB、右の酒井宏樹という185cm級の選手を並べ、セントラルMFには遠藤航と田中碧という180cm級の選手を置くことはできていた。180cmの中山雄太の負傷離脱によって左を小柄な熟練兵の長友佑都に託す形になったのは誤算だったとは言えるが、諸外国と比して高さで見劣りするのが当たり前だった時代とは明らかに違う。なにしろ、後半からプレミアリーグで戦う冨安健洋を出すことまでできて、ブンデスリーガで通用する高さを持つ伊藤洋輝をベンチに残せているくらいなのだ。

 またここで誤解のないように補足しておくと、「国としての育成」は「協会(連盟)としての育成」という意味ではない。シャビはバルセロナによって育てられた選手であって、スペインサッカー連盟が育てた選手ではない。各クラブがそれぞれ個性と哲学を持って育成していく中で、そこで最後に束ねたりサポートしたり、より良い経験を積めるようにするのが協会(連盟)の仕事だ。

 選手の日常と向き合うのは、あくまで各所属チームの指導者たちの仕事である。それが時代の要請に合うこともあれば、時の代表チームの需要と合致することもあるし、その逆もあるけれど、例えばスペインが代表のサッカーを“バルサ化”できたように、そうした選択肢が生まれるのはスペインサッカーの多様性ゆえである。

 代表チームはその時々の状況で最善の結果を目指して戦うのが仕事である。勝っても次に繋がらないなんてこともなく、むしろ逆である。ドイツ戦の勝利の後、増嶋竜也氏のご子息は、「パパ、サッカークラブに入りたい」と言ってきたそうだが、こうした現象が日本中で起きたであろうことこそ次代に繋がる橋であり、この日本という国において代表チームが未来に向けて担う重要な機能なのだ。

 そうやってボールを蹴り始めた少年が、次代のシャビかもしれないのだ。

「やってなくてもやれる」が大事

 さて、そうして得られた選択肢を組み合わせて作られるのが代表のサッカーであるのならば、代表監督がピッチ上で求められることも明確だろう。現在いるタレントたちを組み合わせての最適解を見出すことである。トレーニングの時間はほぼなく(今回のW杯も全員揃っての練習はわずか4日だった)、直前の準備試合に使えたのも限られた選手のみ。しかも選手たちはそれぞれの所属クラブが各国に散らばり、まったく異なるチームカラーや戦術の下でプレーしている。そういう中で機能する組み合わせを“選ぶ”能力が専ら求められる——

 ——と私も思っていた。

 さて、私は今回編集部から「森保一監督のドイツ戦における采配について書いてほしい」とのオーダーを受けて執筆している。しかし2日経って様々な記事が世に出てきて、ピッチ上で何が起こっていたか、ハーフタイムを経て戦術的にどういった変化があったかについては一通り論じ尽くされているように思う。なので、もう少し別の視点から考えてみたい。……

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Profile

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。

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