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小学生からの夢「将来一緒に日本代表に入ろう」はまだ途中。名古屋グランパス・藤井陽也が背中を追い続ける、菅原由勢の本気度

2026.06.14

【特集】チームメイトが語るW杯メンバーの肖像#4

選手の本当の姿は、最も近くでプレーした仲間が知っている。スタジアムの歓声も、試合映像も映し出さない日常の振る舞い。苦しい時期に見せた表情。飛躍を予感させた瞬間――。チームメイトたちの記憶をたどりながら、W杯メンバーの肖像を浮かび上がらせる。

第4回は、名古屋グランパスでU-15からトップチームまでともに切磋琢磨してきた藤井陽也が語る菅原由勢。2024年1月には「将来一緒に日本代表に入ろう」という小学生からの夢を叶えたが「まだまだ途中」。今も追い続ける、世代の先頭を走り続けてきた同期の背中とは?

 「ずっと自分たちの世代の中で一歩先を行く存在。常に上の基準を見せてくれる、そういう選手だった」

 名古屋グランパスの藤井陽也は菅原由勢を評していつでもこう評する。出会いは小学生の頃で、その時点ですでに「将来一緒に日本代表に入ろう」と特大の熱量を発していたという。それから名古屋U-15、U-18、トップチームでもともにプレーした同期だが、それでも藤井はいつでも菅原が先頭を走っていたと感じている。中学3年生でトップチームの練習試合に出場し、高校1年生からプレミアリーグでプレー。高校2年生の冬には当時のトップチームの風間八宏監督に見初められ、17歳にしてJ1リーグの開幕戦にスタメン出場を果たした。藤井もまた高校3年時には2種登録でルヴァンカップなどの出場機会を得ていたが、トップチーム昇格を決めたその年の夏には菅原はオランダへ旅立っている。

 2024年元日に日本代表で再会を果たした際には、藤井は「やっと少し……少しですけど、追いつけたかな」と感慨深げに語ったが、菅原は「あいつの持ってるポテンシャルは今日のパフォーマンスからはかけ離れてる。もっとやれよ、お前はもっとできるだろって言っておきました」とやはり先駆者。ピッチを離れれば同じ釜の飯を食った10年来の友人で、そういった気の置けなさも感じさせる間柄だけに、菅原の北中米W杯日本代表選出には喜びもひとしお。「由勢ならやれるでしょ、ってユースの同期はみんな思っているはず」という仲間ならではの感覚は、菅原由勢に対する期待値を過不足なく表すのではないだろうか。

藤井陽也と菅原由勢

「僕たちの先頭を行く選手」ジュニアユース時代から受ける刺激

――さっそくの質問ですが、アカデミーからの同期である菅原由勢選手がW杯のメンバーに選ばれたことを、純粋にどう受け止めましたか?

 「いや、もう本当に、単純にすごいなと思います。ずっと一緒にやってきた選手なので。彼もグランパスではいろいろと苦労していましたし、海外に行って活躍している。自分も海外に行っていますし、海外でプレーをする難しさはわかるので、あそこで活躍しているというのは本当にすごいことだと思います。そういったことでも、とてもうれしく思います」

――当然のように藤井選手も日本代表には常に選ばれたいと思っているでしょうし、W杯はもちろん行きたい中で、菅原選手に対しても「W杯のメンバーに選ばれてほしい」というような気持ちもありましたか?

 「そうですね。はい、思っていましたし、由勢は今年はしっかりドイツで活躍していたので、入るかなとは思ってました。本当にそれが今、彼も今までに(東京)オリンピックに行けなかったりとか、悔しい思いをしていたのを知っているので、今回のW杯に選ばれて、僕もすごくうれしいです」

――このことで彼と連絡を取ったりとかは?

 「いや、選ばれてからは連絡はしていないですけど、日本に帰ってきている時はちょくちょく連絡も取っています」

――そうなんですね。では、具体的に菅原選手とのことを聞いていきます。まずはグランパスのトップチームで一緒にやっていた頃の菅原選手はどんなふうに見えていましたか?

 「トップチームで一緒にやっていた時はお互いにあまり試合には出られていなかったですね。紅白戦にも入れていなかったことが多かった気がしますけど、そこでもやっぱり腐らず、お互いに高め合ってやっていましたし、だけど僕がトップチームに上がってから半年で由勢は海外に行ったので、それもそこまで多くはなかったんですけど。それでもやっぱり、その半年間はお互いにとっても難しい半年間だったので、腐らずにやっている彼の姿を見て、僕も頑張ろうというふうに思っていました」

後列左から2番目と3番目が菅原由勢と藤井陽也(Photo: ©N.G.E.)

――菅原選手との仲間意識はやっぱり強いと思いますが、その関係性としては刺激し合うというか、高め合うような存在だったのでしょうか?

 「そうですね。由勢はもう常に中学校、高校と年代別の日本代表にも入っていて、僕たちの先頭を行く選手だったんで。本当に彼がいつも引っ張ってくれて、僕は引っ張れてなかったんですけど(笑)、トップチームで僕が試合に出るようになってからは、そしてそこから一緒に日本代表に入ったりとかもありましたけど、そこからはお互いに連絡も取ってますし、すごく僕としては由勢の存在はすごくいい刺激になっています」

――トップチームでは半年間、ということではやっぱり、菅原選手との関係性はユースの時のほうが印象は強いですか?

 「そうです、トップチームでのことはもうほとんど記憶がないぐらいなので、ユースの時の方がありますね。その頃から練習には早く来て準備をしていたり、練習の前にトレーニングをしたりしていましたし、そういう姿はユースのみんなが見てたと思います。彼は彼でユース年代の日本代表に行って、たぶん感じたことをやっていたと思うんですけど、そういう感じでピッチ外のところでも引っ張ってくれているような存在でした。特にユースの時にはそういうイメージがあります」

「ピッチ外ではもう今のまんま」トレセン時代から同じ輪に

――彼とのファーストコンタクトはどうでしたか?藤井選手はU-12の頃からグランパスにいて、菅原選手はU-15からグランパスに加入しました。

「最初は確か、小学校の時の県トレセンとかだったと思います。すごかったですよ、やっぱり。愛知県のトレセンってやっぱりグランパスの選手がほとんどなんですけど、そうなるとグランパスの選手で固まって過ごしちゃうんですが、由勢ともう1人、その2人ぐらいだけはそんなことなんかもう関係なく僕らとわちゃわちゃしてました。その時から僕らはもう仲が良かったです。彼らのチームからは彼らだけぐらいしか来てなかったのに、それでもズカズカ僕らの輪に入ってきていたので、それはすごいなと思いました。もちろん、小学校の頃から由勢はめっちゃ良い選手でしたよ」

――その頃の菅原選手はどんなプレーヤーでしたか?

 「もっと大きかったですね。身長が大きくて、キックが上手くて。プレースタイルはあんまり変わらないですけど、小学校の時だったので、フィジカルがもっともっと抜けていた感じのイメージで。ポジションもボランチとか、もう少し前のポジションっぽかった気がします」

――ではその後に名古屋グランパスのU-15でチームメイトとなったと。U-15での3年間はどうでしたか?

……

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Profile

今井 雄一朗

1979年生まれ、雑誌「ぴあ中部版」編集スポーツ担当を経て2015年にフリーランスに。以来、名古屋グランパスの取材を中心に活動し、タグマ!「赤鯱新報」を中心にグランパスの情報を発信する日々。

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