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ボール支配力を極限まで高めて優位に立つ。それが、スペイン代表にとって最も確率の高い世界一への道だった

2022.04.10

戦術クロニクル:スペイン代表×ビセンテ・デル・ボスケ

2008 年からメジャー大会3連覇という史上初の偉業を達成した“無敵艦隊”が中でも最も苦しんだのが、初戦黒星で始まる2010年の南アフリカW 杯だった。EURO 2008の優勝監督アラゴネスのクビを切ってデル・ボスケを据え、その痛快な“ティキ・タカ”よりも「失点をしないこと」を選択したスペイン。すべては初の世界一へ、千載一遇のチャンスを確実にものにするためだった。

※『フットボリスタ第88号』より掲載

 EURO2008、2010年W杯、EURO2012と3連覇したスペイン代表だが、それぞれを言葉にするなら「勢いに任せて優勝」、「勝ちに行って優勝」、「自信を持って優勝」となる。一番プレッシャーが大きかったのはEUROに挟まれたW杯。欧州王者として臨み、「今回勝てなければ勝つ時がない」とまで言われていた。対して、EURO2008はチャレンジャーだったし、連覇の後のEURO2012は勝てればボーナスと気楽に戦えた。

 ちなみに、カシージャスが泣いたのはW杯だけ。決勝延長戦でイニエスタがゴールすると、試合中にもかかわらず涙が頬を伝い、それをグローブで拭う姿が印象的だった。EURO2008では歓喜を爆発させ、EURO2012は余裕と貫禄の笑みだった。いかにW杯が特別な大会で、チームにプレッシャーがかかっていたかを表すエピソードだ。南アフリカW杯はスペインが初めて本当の意味で優勝候補として臨んだ大会だった。予選でやたら調子が良く“無敵艦隊”なんて大会前にもてはやされたことは何度かあったが、本番ではベスト8の壁が破れない“有敵艦隊”であったことは暗い歴史が証明していた。

 大体、選手たちだって優勝なんて信じていなかった。決勝トーナメントに入ると、いつ敗れてもいいように荷物をまとめ始める選手がいた、というのは、負け犬根性が染みついた悲しい実話である。

「決められたら負けていた」3度の窮地で“サン・イケル”

 チームのパフォーマンスにもW杯が特別な大会であったことが表れている。

 EURO2008は軽快なパスサッカーで他チームを圧倒した。6試合で12得点3失点。0-1のドイツ相手の決勝もスコア以上の圧勝。スコアレスドローの準々決勝が唯一の苦戦だったが、苦手のイタリアを苦手のPK戦で退けたことで、フタが外れたように勢いに乗った。失点もするがそれ以上に点を取る攻撃サッカーは痛快で、多くの国民が代表のファンになった。ショートパスを繋ぐ様子から「ティキ・タカ」という言葉が生まれたのはこの大会の予選時だったが、実はスペインのボール支配率はポルトガル、オランダに次ぐ3位で54%という凡庸なものだった。

 EURO2012は6試合で4勝2分、12得点1失点。スタッツ上は圧倒的に強かったように見えるが、12得点のうち8得点は2試合に固め取りしたもので、グループステージでイタリア相手に、準決勝でポルトガル相手に引き分けている。ただ、決勝でまたもやイタリアに勝ち、しかも大勝(4-0)だったことで爽快な後味を残した。ボール支配率は59%と1位だったが、戦術的なハイライトは、何と言ってもセスクのゼロトップだった。EURO2008と2010年W杯の連続得点王ビージャが欠場、フェルナンド・トーレスは固め取り後に沈黙が続き、ネグレドは期待外れだったからだ。

 さて、これらEUROの2大会に比べてW杯は非常に重苦しい大会で、胃の痛くなるような試合が続いた。7試合を6勝1敗で8得点2失点。初戦にいきなり負けて背水の陣となり、決勝トーナメント4試合のスコアはすべて1-0または0-1という薄氷の勝利。土俵際に追い詰められたシーンが何度もあった。オランダ相手の決勝ではロッベンがカシージャスと1対1になるシーンが2度あり、準々決勝のパラグアイ戦ではオスカル・カルドーソにPKが与えられる。いずれも「決められたら負けていた」と言われているシーンだが、ここで“サン・イケル”(聖イケル=カシージャス)が立ちはだかる。優勝までの足取りを大雑把にまとめれば、“5得点を挙げたビージャと決定的なシュートストップをしたカシージャスの力で世界一になった”と言えなくもない。とはいえ、彼らが局面で救世主となり得たのも、7試合を2失点で乗り切ったチームにいたからこそである。ボール支配率63%はもちろん大会ナンバーワンで、3連覇中の最高記録でもあった。

ロッベンのシュートを右足で弾き出したカシージャス

大批判されても絶対だったデル・ボスケのダブルボランチ

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スペイン代表

Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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