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ニコラス・フォンセカ。あの名FWを父に持つ遅咲きのイタリア産MFがウルグアイ代表デビュー

2024.04.07

EL GRITO SAGRADO ~聖なる叫び~ #3

マラドーナに憧れ、ブエノスアイレスに住んで35年。現地でしか知り得ない情報を発信し続けてきたChizuru de Garciaが、ここでは極私的な視点で今伝えたい話題を深掘り。アルゼンチン、ウルグアイをはじめ南米サッカーの原始的な魅力、情熱の根源に迫る。

footballista誌から続くWEB月刊連載3回(通算162回)は、あのダニエル・フォンセカの長男について。今年1月からリーベルプレート(アルゼンチン)でプレーするイタリア生まれのMFは、323日にスペイン・ビルバオで行われた親善試合バスク代表戦(1-1)に先発出場し、25歳でウルグアイ代表デビューを飾った。

華やかな父とも、ウルグアイ独特の闘魂型ボランチとも正反対

 世界的に知名度の高い選手の血を引く「2世選手」たちは、ジュニア時代から、または遅くてもユース時代から注目されて話題になることが多い。今年3月の国際親善試合でウルグアイA代表デビューを果たしたニコラス・フォンセカのように、20代半ばでようやく脚光を浴びた前例は非常に珍しく、しかも親の名字を受け継ぐゆえに所属先のサポーターから白眼視されるようなケースは実に稀だ。

 私がニコラスの存在を知ったのは、彼がウルグアイの名門ワンデレルスでプレーしていた昨年4月のこと。同国がマルセロ・ビエルサの代表監督就任の話題で持ちきりだった最中、有力紙『エル・パイス』に掲載された「ニコラス・フォンセカ――ワンデレルスと彼の現在」というタイトルの記事を読んだのがきっかけだった。

 過去30年以上セリエAを観てきた人なら、おそらく誰もが「フォンセカ」の名字にピンと来るはずだ。クラウディオ・ラニエリやマルチェロ・リッピといった名将たちに認められ、1990年から約10年の間、カリアリ、ナポリ、ローマ、ユベントスを渡り歩いたウルグアイ出身のFWダニエル・フォンセカは、ニコラスの父である。

カリアリからナポリに移籍した1992-93シーズン、当時23歳のダニエル・フォンセカ(現在54歳)。初年度はセリエAで16得点、2年目は15得点を挙げ、イタリアでプレーした1990年からの約10年間では同217試合78得点、公式戦272試合102得点をマークした。ウルグアイ代表通算30試合10得点(1990-97)

 だが記事を読み始めてしばらくは、私の脳内で2人が結びつくことはなく、ニコラスが「あの」フォンセカの息子だとは思いもしなかった。掲載された写真からは父親の面影など微塵も感じられなかったし、「プラドのクラシコ(※ウルグアイの首都モンテビデオのプラド地区に本拠地を置く3クラブによるクラシコ)を制して上位に食い込んだワンデレルスでレギュラーの座を勝ち取った24歳(当時)のセンターハーフ」という紹介文は、ローカル色の強さとそのポジションのせいか、かつてイタリアで旋風を巻き起こしたアタッカンテの父の華やかなキャリアとはまったく対照的な、地味な印象しか得られなかったのだ。……

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Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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