ゼルビア・チャレンジング・ストーリー 第7回
町田の名を全国へ、そして世界へ轟かせんとビジョンを掲げ邁進するFC町田ゼルビア。10年以上にわたりクラブを追い続け波瀾万丈の道のりを見届けてきた郡司聡が、その挑戦の記録を紡ぐ。
第7回は、就任から注目を集めた黒田剛監督を副官として支えた優勝の立役者の一人、金明輝ヘッドコーチの貢献度を、本人やチーム内の声を交えてお伝えする。
劣勢な展開の時ほど、ベンチ前の金明輝ヘッドコーチの動きは慌ただしさを増す。「思ったことはどんどん提案してほしい」(黒田剛監督)。他のコーチングスタッフからの進言を歓迎する黒田監督の下へ、開始10分と経たずに金ヘッドコーチが向かうこともザラだった。
「自分があまり前に出ていくのは良くないなと思いながらも、2つの目で見るよりは4つや6つの目で見た方が気づくことは多いです。上で見ているコーチからの情報を得ながら、ポイントを絞って監督には伝えるようにしています。僕は俯瞰して見ることが基本。スライドをもう一歩早くした方が良いとか、相手の追い込み方やサイドハーフのポジション取りなどを細かく見ています」(金ヘッドコーチ)
ハーフタイムを待たずして修正が必要な場合は、ケガの治療をする時間が生じた際などに「選手たちをグッと集めて修正点を伝えてきた」(金ヘッドコーチ)。最終的な結論は「現場のすべての責任を取る」黒田監督の仕事だが、指揮官が決断を下す上で、金ヘッドコーチらコーチングスタッフからの進言が大きな役割を果たしてきた。
「ゲームの中で何が起きているか。それをしっかりと見られることが自分のストロングポイント」である金ヘッドコーチにとって、それは自然の成り行きだった。
存分に発揮した“修正力”
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Profile
郡司 聡
編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、エルゴラッソ編集部を経てフリーに。定点観測チームである浦和レッズとFC町田ゼルビアを中心に取材し、『エルゴラッソ』や『サッカーダイジェスト』などに寄稿。町田を中心としたWebマガジン『ゼルビアTimes』の編集長も務める。著書に『不屈のゼルビア』(スクワッド)。マイフェイバリットチームは1995年から96年途中までのベンゲル・グランパス。