REGULAR

【サッカー小説】カテナチオ炎上 VOL.6「カテナチオ炎上」

2020.12.23

殻を破る

 「ギュンター、君がやるんだ」

 チームはもう君を支えられない。ベルティ・フォクツにそう言われてからのネッツァーは、それまでとは違うプレーヤーになっていった。ひと皮むけた、と言っていい。

 ギュンター・ネッツァーはすでに27歳、ヨーロッパで有数のプレーメイカーとして知られた存在ではあった。ただ、このシーズンから、それまでとはスケールを異にしていくのだ。稀代の創造者の全盛期はここからわずか数年に過ぎない。1972年の欧州選手権がハイライトだった。長く異彩を放ってきた天才ではあったけれども、その輝きはベーケルベルクシュタディオン(当時のボルシアMGのスタジアム)にとどまり、世界を驚愕させるのはキャリア終盤における2、3年なのだ。しかし、その鮮やかな光は今日まで語り継がれている。

 ボルシアMGは主力の放出と負傷者続出で崩壊寸前、1971-72シーズン、ブンデスリーガ連覇の王者は3位に終わっている。ネッツアーは総崩れになっていた守備陣をサポートし、「リベロ」としてプレーし始めた。

 リベロを世に知らしめたのはエレニオ・エレーラ監督のインテルである。

 それ以前にもリベロは存在していたが、グランデ・インテルが世界を席巻したことでその価値が認識された。1960年代はインテルを中心とする「カテナチオ」の時代だ。1970年代はアヤックスの「トータルフットボール」が新時代の旗手となった。カテナチオとトータルフットボールは真逆のスタイルだが、見かけ上のシステムは同じでアヤックスにもリベロは存在している。ただし、その役割はかなり違っていて、守備専門だったリベロはマークを持たない性質を攻撃に転用して「攻撃するリベロ」に進化した。リベロだけでなく、あらゆるポジションがカテナチオの鎖を食いちぎって自由を謳歌した。……

残り:5,249文字/全文:5,998文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

RANKING