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国境を越え、クラブを超える。 スポーツXが描く未来のクラブ経営

2019.10.01

ミャンマーナショナルリーグと「サッカー選手の育成と代表の強化」を目的に共同出資会社を立ち上げ、ガーナ2部のクラブを買収して新チームを設立。今年4月に大陸をまたぎながら世界へ進出したのは、関西リーグ1部・おこしやす京都ACの親会社でもあるスポーツX株式会社だ。同社の代表取締役社長を務める小山淳氏は、藤枝MYFCを史上最速でJ3に参入させた敏腕経営者として、「サッカークラブの多店舗経営」のような新しい風を日本サッカーに吹かせようとしている。選手としてキャリアを断たれた過去を持ちながら、夢へまい進し続ける風雲児の「原点と挑戦」を、多角的な視点から世界のサッカーを読み解く結城康平氏が探った。

10歳から目線は常に世界へ


――まずは小山さんがビジネスをスタートすることになった原点を教えて下さい。


 「静岡県藤枝市という“サッカーの街”で生まれ育った中、10歳の時にメキシコW杯でマラドーナのプレーを観て、憧れるようになりました。決勝が行われたアステカ・スタジアムの青々とした芝、イングランド戦での5人抜き……。今でも鮮明に思い出すことができます。そこで日本サッカーと世界の“環境の違い”に愕然としました。それをきっかけに、『日本サッカー協会(JFA)の会長になって、日本サッカーを世界レベルに到達させる』と誓ったのがすべてのスタートですね」


――その頃からすでにサッカーをプレーされていたのですか?

 「藤枝小学校の少年団に小学2年生で入団し、4年生になった時には藤枝市の選抜チームへ選出されました。JFAの会長になる夢があったので、将来的にイタリアのセリエAでプレーすることも視野に入れていましたね。明確な目標があったので、どんどんサッカーに没頭していきました。中学生になると年代別代表にも選ばれて、中田英寿選手や松田直樹選手、西澤明訓選手や安永聡太郎選手とチームメイトになりました」


――本当に豪華なメンバーですね。ちょうど「世界が見えてきた世代」というイメージがあります。


 「当時の育成改革には、今も感謝しています。セントラルトレセンが整備されたり、世界大会が開催されるようになったことで海外のチームとも戦えるようになった。自分たちの世代の時に、『世界で勝てる』という実感が生まれたというか。高校は地元の藤枝東高等学校に入学し、全日本ユースで優勝しました。その頃が、僕の選手としてのキャリアハイかもしれません。高校1年生でレギュラーとして出場して、決勝戦で2ゴール。ただ、早稲田大学進学後に大ケガをしてしまい、手術も失敗。選手としてのキャリアはそこで終わってしまいました」


――選手としてのキャリアが断たれるという大きな挫折を、どのように乗り越えたのでしょうか?


 「2年間リハビリしたのですが回復せず、自ら貯めていたお金を使って世界放浪をしたんですよ。それが今、『世界中に無数のプロサッカークラブを作りたい』という目標に繋がっています。豊かではない国を実際に見る中で、『何かそのような世界を良くする仕事がしたいな』と。当時はサッカーに絶望していたので、それ以外の仕事を考えていましたが」

藤枝MYFCが「多店舗経営」のきっかけに


――日本に戻られた後はサッカーから遠ざかっていたのでしょうか?


 「そうですね。日本に戻って、25歳でIT系の会社を起業しました。サッカーには無縁の仕事をしていこうと思っていたのですが、中学・高校時代に1つ上の先輩だった山田暢久選手が代表や浦和レッズで活躍しているのを応援したくて、彼のWEBサイトを作ったんですよ。そんな活動をしているうちにJクラブも面白いなと思って、サッカーマガジンのWEBサイト運営というアイディアを出版社に持ち込んだんです」


――先鋭的なメディアがWEBに活路を見出そうとしていた時期ですよね。


 「その通りですね。自らその仕事をきっかけにJリーグの取材に行くようになって、サッカークラブのポテンシャルを再認識したんです。地域に密着するプロスポーツクラブは、子どもからお年寄りまで一気通貫で楽しめて、街の誇りにもなる。同時に、スポーツクラブのポテンシャルを感じました。その矢先に、イギリスでエブスフリート・ユナイテッドというチームがスタートした『MyFootballClub』という面白い試みを知ったんです」


――2007年にスタートした、ファンが投票を通じてサッカークラブの運営に参加するという試みですね。当時は話題になったので、私も覚えています。


 「イギリスのジャーナリストであるウィル・ブルックス氏がファンからの支援金でクラブを買収するというプロジェクトをスタートしたんですよね。それを英放送局『BBC』が紹介して、一気に目標の資金が集まることになった。興味があったので、私もロンドンで直接彼と会いました。いろいろと失敗談を聞いて学びたかったのですが、当時はスタートしたばかりだったのでポジティブな話が多かったですね」


――それを、日本でもスタートしようと考えたわけですね。今で言うクラウドファンディングの原型というか。


 「掲示板というコミュニティをベースにスタートしたのですが、建設的な議論は難しかったという反省があります。イギリスと違ってディスカッションの文化がない日本では、ファシリテーターが必要だったのかもしれません。 クラブ側でも6~7チームに声をかけたのですが、採用してくれるところがなかった。そんなことをしているうちに、地元の先輩が代表をしていた藤枝ネルソンCFというクラブを譲ってもらえることになって。ただ、クラブ会員を有料化したら100人しか集まらなかったんですよ」


――まだクラウドファンディングのような発想がなかったことも影響していたのでしょうが、100人は少ないですね。


 「年間1万円だったので、100万円しか集まらなくて。そこで一気にスポンサー営業に切り替えました」


――そのようにサッカー界に戻ってこられた中で、「多店舗経営」というのはどのタイミングで思いつかれたのでしょうか?


 「『世界を豊かにする』という目標を考えた時に、スポーツには力があることに気づいたのですが、スポーツ界そのものの構造を変えるには、『プロスポーツクラブの多店舗経営とアカデミー経営』が重要になることに気づいたんです。多店舗を経営することを目標にしたら、ゼロからJリーグまでチームを導くノウハウが必要だということにも気づきました。そこで、2009年から多店舗経営を目指す実験をスタートさせています。同時にスクール事業にも力を入れたくて、株式会社スクールパートナーに投資しともに成長してきました」


――ゼロからクラブを作るには並々ならぬ努力が必要ですよね。


 「藤枝MYFCでは408社の株主から、4.5億の資金を集めることができました。そのうちの3.5億を使ってJ3に昇格し、J3参入から3年目に黒字化に成功しました。J3までという小さな枠ですが、ゼロから黒字化するまでのスキームが完成したなと。スクールも8年で生徒が1.5万人まで増え、順調にノウハウが積み上がってきました」

小山氏(右)のもと藤枝MYFCは静岡県1部リーグからわずか5年でJリーグ参入を果たした

おこしやす京都の誕生。そしてアジア・アフリカへ


――そのような状況で、藤枝MYFCを手放されたのは何故でしょう?


  「唯一スタジアムの問題に苦しめられていたところ、地元企業から『スタジアムの改修を含めて、行政と話を進めていくことが可能だから譲ってくれないか?』と言われまして。かなり悩みましたが、チームの将来を考えたり世界展開や多店舗経営にチャレンジすることを目指す中で、譲ることになりました。その頃、スクール事業で関西のアミティエグループを吸収合併したことで、同時に京都のクラブがグループに参加してきました。そうして今のおこしやす京都ACが誕生しましたね」


――売却後は、すぐに新規事業に着手したのでしょうか?


 「いえ、 1年間スタッフと自分たちの現在地を知るために世界を周遊していました。『Jリーグの立ち位置』や『1.5万人の生徒がいるスクール組織』が世界でどのように評価されるのか知りたかったんです。そんな中、 アジア地域で多くのトップ財閥とも話をすることができました」


――アジアのトップ財閥には、サッカークラブのオーナーも多いと思います。どのように、彼らとコンタクトしたのでしょうか?


 「スクール事業のおかげですね。アジアの新興財閥は、欧州のクラブが買えるくらいのお金持ちです。それでも、彼らは教育システムを買うことはできません。日本の教育システムを高く評価している彼らは、そこで多くの生徒を集めてきた実績に興味があるんです。彼らは、そのノウハウを求めているんですね。ベトナムやシンガポールでスクール事業が成功していることも、彼らの興味を集める要因になっていました」


――Jリーグは、どのようにアジアのトップ財閥から評価されているのでしょうか?


 「あるトップ財閥に話を聞いたところ、『Jリーグのクラブを買ってもお金を失うだけだが、欧州のクラブだったら結果を出せば大金を得られる』と。その一方で、Jリーグの近年の発展は彼らも評価している。それが客観的な、世界の富裕層から見たJリーグの価値なんだろうなと」


――ミャンマーでの事業展開はトップ財閥との出会いがきっかけだと思いますが、ガーナでの事業はどのようにスタートしたのでしょうか?


 「『アフリカでもアカデミー事業を展開したい』ともともと考えていたのですが、ガーナ2部のクラブが売りに出ているという情報が入りまして。時期尚早かなという思いもあったのですが、トップチームを先に購入するという手段もあると考え、契約を締結しました。ただ、協会の揉め事のせいで現在国内リーグのスタートが延期しています。開幕の準備を順調に進めていたのに、いきなりストップしてしまうのは予想外でした。これは、“アフリカの洗礼”かもしれないですね。いい経験だとは思いますが、足踏みしなければならないので痛手でもあります」

今年4月にスポーツXはガーナ2部アコソンボ・クリスタル・パレスを買収し、新たにキング・パレス・アコソンボを設立。世界での事業展開に向けて西アフリカの地で大きな一歩を踏み出した


――ただ、予測できないことが起こるのが新興国のビジネスですよね。


 「そうなんですよ。ガーナのクラブを購入したのに、まだ公式戦ができていないんですから(苦笑)。ただ、学びとして『ガーナにおいてサッカーは命が懸かった世界』ということを実感できたのは大きかったですね。弊社のスタッフが選手の契約更改に同席した際に『来季契約できない』と伝えた瞬間、その選手は『もうこれで家族を養えない』と泣き崩れたそうです。日本円にすれば数万円の月給なのですが、それが生活に直結していることを思い知らされました。彼らは紅白戦でも全力で削り合いますし、紅白戦でのゴールでも大喜びします。当然環境は違いますが、『日本のクラブに所属している選手がそこまで必死になれているか?』というと疑問ですよね。そうやって複数の国にクラブを持って、比較することで勉強になることもあるんです。それは同時に、ガーナに派遣しているスタッフにとっても最高の学習環境になります」


――その一方でアフリカの選手は、ヨーロッパからも熱い視線を浴びています。


 「アフリカのクラブを持つ面白さは、移籍ビジネスにもありますね。例えば年間の運営費が5000万円だとすると、日本の地域リーグよりも低い。そんな中で、選手が2億円で売れれば4年分に相当しますよね。貨幣価値換算で考えると、同じ値段で売れたとしてもインパクトが段違いです」

「サッカークラブの存在意義は小さくない」


――日本に話を戻しましょう。多店舗経営は日本代表の強化にも繋がるのではないでしょうか?


 「Jリーグが世界トップのリーグになるには、短い時間軸で物事を考えていても現実味がないと思います。ただ、多店舗経営されているクラブで類似性のあるゲームモデルを実践していけば、統一感のある日本のゲームモデルが醸成されていくのではないかなと」


――ゲームモデルの作成を含め、様々な事業に取り組まれていますが、今後の展望と目標を教えてください。


 「スポーツビジネスの本丸ではありますが、まずはおこしやす京都の観客動員数増加にもっと力を入れようと思っています。藤枝MYFC時代に黒字化に成功した実績はあるのですが、観客動員はお金で買えないエリアですよね。サッカークラブはお金で買えるけれど、サポーターはお金では増やせない。クラブ経営のノウハウは徐々に蓄積されてきているのですが、観客動員というエリアへの取り組みはまだまだ足りていない。我々が多店舗経営を展開する時に売り文句にしていたのが『お金がなくても、クラブ経営を可能にします』だったのですが、もしアジアのトップ財閥のように『お金は十分にある』と言われてしまった時に何を提供すべきなのか。そうなると、観客動員数増加が鍵なんじゃないかと」


――世界を周遊されて、最終的に辿り着いたのがクラブの観客動員というのが興味深いですね。最も基本的な要素ですが、ノウハウとして共有しづらいところです。


 「地方が過疎化する中にあって娯楽を提供するという意味でも、サッカークラブの持つ社会的な意義は小さくありません。国内外の大企業がお金を吸い上げてしまうので、地方のエコシステム内でお金が循環しなくなっているという課題もあります。一方、サッカークラブは地方に娯楽を定期的に与える役割を果たしつつ、世界にも繋がっています。例えば、海外の選手が加入すれば、その国からやってくる観光客が増えることもあります。観客動員数を伸ばすことで地方に住む多くの人を楽しませるだけでなく、世界と繋げることで偏見・差別を減らすことも可能になると信じています」

 柔らかな物腰でありつつも、言葉の節々は熱を帯びたように響く。サッカークラブの経営者は世界中に無数に存在するかもしれないが、小山氏のようにサッカークラブを中心に様々な世界を創造しようとしている経営者はほんの一握りだろう。遥かなる夢を求め世界へ勢力圏を広げようと目論んでいる挑戦者から、今後も目が離せない。

Jun KOYAMA
小山 淳

(スポーツX株式会社・代表取締役社長)
1976.10.25(42歳)

静岡県藤枝市出身。幼少時からサッカー選手としての道を歩み、中学生年代から高校生年代まで日本代表に選出された経験を持つ。早稲田大学在学中に負ったケガが原因で選手生命を絶たれた後、IT業界へ転身し02年に株式会社Jプレイヤーズを設立。 09年には藤枝ネルソンCFを母体に株式会社藤枝MYFCを創設し、史上最速で同クラブを都道府県リーグからJ3へ導いた実績を持つ。17年からスポーツX株式会社に社名を変更。現在に至るまで同社の代表取締役社長を務め、スポーツ事業を通じて多店舗展開・経営支援・人材育成を行っている。

Photos: SPORTS X

Profile

結城 康平

1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。