熊本地震とJ3降格を乗り越えて。「お前しかいないだろ」と任されたロアッソ主将、上村周平が背負う生え抜きの矜持
【特集】ワンクラブマンの価値 #7
上村周平(ロアッソ熊本)
移籍ビジネスが加速している昨今のサッカー界で、クラブ一筋のキャリアを築く「ワンクラブマン」は希少な存在になっている。クラブの文化を体現するバンディエラ(旗頭)はロッカールームにとって大きな存在であることはもちろん、クラブとファン・サポーターを結びつける心の拠り所にもなる。あらためて彼らの価値について考えてみたい。
第7回は、熊本県益城町出身の28歳(1995年10月15日生まれ)で、ジュニアユース加入から17年目、トップチームに昇格して11年目の2024シーズン、ロアッソ熊本(J2)の新キャプテンに任命されたMFが、人生の半分以上を一緒に歩んできたクラブのため、大好きな地元のために日々やってきたこと。
カミムラシュウヘイハ アタラシイブキヲテニイレタ
「よっしゃ、キタ!」
5月18日にアウェイの鳴門・大塚スポーツパーク ポカリスエットスタジアムで行われた明治安田J2リーグの第16節、徳島ヴォルティス戦。前半26分、ミドルゾーンでのボール奪取から藤井皓也が運んで倒されてフリーキックを得た瞬間、上村周平はそう思ったという。
「今までのゲームでは、あの場所よりも少し遠い場所から全部ニアに蹴っていたので、相手にはその情報も入っているだろうなと。だから、1回ニアに反応したら、ファーに蹴れば届かないかなと思ったので、あとは枠内に入れることだけ考えていました。いいところに飛んだし、キーパーもニアに反応したことで少し遅れていて、理想通りだったかなと思います」
本来なら直接ネットを揺らすイメージだったが、右足から放たれたボールは「失速してしまって、たまたま」(上村)、GKホセ・アウレリオ・スアレスの手前で一度バウンドし、右のサイドネットへ吸い込まれる。上村の今季初ゴールで先制したロアッソ熊本は、後半立ち上がりにPKで1点を返されたが、74分に大﨑舜のJ初ゴールで勝ち越し。8試合ぶりの勝ち点3をつかんで、7戦勝利なしのトンネルを抜けた。
これまでのサッカー人生の中で「苦手意識があったので、どちらかと言えば避けてきた」フリーキックを自ら進んで蹴るようになったのは、右足で狙える場所でのプレースキックを任されていたルーキーの古長谷千博が負傷離脱したのも理由の一つ。全体練習のあとで繰り返し蹴った成果が実ったことで、「こうやって蹴ってみて、得点やアシストといった数字のところが増えるチャンスだなとも思ったので、これからのサッカー人生でも大事にしていきたい」と口にしている。RPGなら「カミムラシュウヘイハ アタラシイブキヲテニイレタ」と表示され、次のステージに進む状況だろうか。
「監督が求めることを理解して、実行できるのが自分の一番の強み」
小学生の頃はタウンクラブでプレーしていた上村だが、同じチームの友だちがセレクションを受けることを知り、「だったら自分も受けてみようかな」と、熊本ジュニアユースのセレクションに参加。熊本県のトレセンで見たことのある選手もいたことで、「この選手たちと一緒に練習できるなら、レベルアップできるかも」と感じたという。
実際、ジュニアユースでは、「上手い選手も多いし、小手先のテクニックでは通用しないことがわかった」と、ポジショニングや体の向き、パスの出しどころやスピードなど、考えてプレーすることを学んだ。そうしたエッセンスは、少なからずプロとなった今も生かされている。
この3年間の積み重ねの成果の一つが、2010年の夏に行われたデベロップカップの準優勝だ。ネットで検索すると、育成年代を幅広く見ている「党首」こと球技ライターの大島和人氏による同大会決勝戦のレポートを読むことができるが、当時から熊本はアカデミーでもしっかりとボールを握って運ぶことを植え付けており、上村はアンカーとして貢献。のちに、ともにトップ昇格を果たす嶋田慎太郎(現ツエーゲン金沢)、大学を経て熊本でプロとなる池谷友喜(現クリアソン新宿)、坂本広大(現レイラック滋賀)らとともに、アカデミーの歴史を拓く結果を残した。……
Profile
井芹 貴志
1971年、熊本県生まれ。大学卒業後、地元タウン誌の編集に携わったのち、2005年よりフリーとなり、同年発足したロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)の取材を開始。以降、継続的にチームを取材し、専門誌・紙およびwebメディアに寄稿。2017年、母校でもある熊本県立大津高校サッカー部の歴史や総監督を務める平岡和徳氏の指導哲学をまとめた『凡事徹底〜九州の小さな町の公立高校からJリーガーが生まれ続ける理由』(内外出版社)を出版。