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ドクターの尽力でどれほどケガは防げるか。負傷しやすい選手とは?汚染物質が体内で炎症を引き起こす現象とは?【中編】

2024.03.25

【特集】過密日程と強度向上による生存競争。ケガとともに生きる #7

サッカーにケガは付き物。“ともに生きる”術を磨いてきたサッカー界は、近年の過密日程やプレーの強度向上という変化の中で、ケガとどう向き合っているのか。予防や治療を通じて選手たちを心身両面でケアする様々な専門家の取り組みをはじめ、「サッカーとケガ」の最新事情を追う。

7回となる元モナコのチームドクター、フィリップ・クエンツ博士(Dr. Philippe Kuentz)のインタビュー中編は、ケガに対する予防プロトコル、「インビジブル」な対処法、回復や負荷のコントロールなど、メディカルチームの仕事や貢献についてさらに深堀り。

→【前編】モナコの名ドクターが語るメディカルチームの使命、ケガをめぐる「5者」の関係性と“攻防戦” はこちら

最近は選手の健康管理に毛髪分析で毒物検査

――実際、ドクターは常にプレッシャーの下にあるのではないですか?

 「常にプレッシャーにさらされています。ただ、物事がうまくいっている時は、それはアドレナリンにもなります。個人的にはそうしたプレッシャーは嫌いではありません。どのクラブのチームドクターも同じだと思いますよ。コンペティションが好きで、選手の健康を管理して最大限のパフォーマンスを発揮させるというチャレンジが好きなのです」

――現実的には、ドクターたちの尽力でどのくらいケガは防げるものなのでしょうか? 例えば試合中の危険なタックルなど、予期できないシチュエーションもあるわけで……。

 「選手が入団してくると、まずは徹底的に検査を行い、その選手のトータルな診断表を作成します。そこで過去に何度も捻挫をしたから足首が動きやすい、といった特徴がわかれば、リスクを特定して予防策を講じます。

 連日、理学療法士のもとで、バランス、強度、局所治療、刺激を与えて反応を見る、といった検査を行います。それから整骨の専門家のもとへ行き、バランスが崩れていないか、足首はよく動くか、可動域が回復しているか、柔らか過ぎないか、といったチェックをします。もし柔軟性が高過ぎる場合は、エアアンクルを装着し、テーピングを巻いて強化するといった対処を行います。そうした総合評価がすべて終了した時点で、その選手の予防プロトコルはすでに用意されたことになります。

 その後はフィジカルトレーナーと連携を取り、彼らのカリキュラムの中で、そのプロトコルに沿った方向性で進めていくことになります。選手のケガを予防する部分においては、理学療法士とフィジカルトレーナーが協力し合って、とりわけ前所属クラブで負ったケガの再発を防ぐことに注意しながら、トレーニングを進めていきます」

フィリップ・クエンツ博士。スイス国境に近いフランス・ミュルーズ出身の68歳。医学で博士号を取得後、スポーツ外傷学や生物学、スポーツ医学、整形外科医学、手技療法、スポーツポドロジーなど幅広い分野で資格を取得。ASモナコで2019年まで17年間チームドクターとして活躍した他、プロバスケットボールやアイスホッケー、陸上競技でもチームドクターを務めた経験を持ち、多数のチャンピオンを輩出したスポーツ医学の第一人者(Photo: Yukiko Ogawa)

――選手の中には、ケガが多い人というのがいます。例えば、元フランス代表のヨアン・グルキュフですとか。

 「それは事実ですね。3年連続で年10回もケガしました、というような選手もいます。それについては少しは改善も見られているのですが、全体的にはあまり進歩はありません。不運な目に遭ってしまう選手、というのもいます。それから、持って生まれた体質ですね。遺伝的なものです。例えば、筋膜の質や耐久性などです。

 逆に、ほとんどケガをしない、という選手もいます。モナコにいたファビーニョ(現アル・イテハド)は在籍した期間中、年に5、6回、軽い打撲をした程度で、ほとんどケガらしいケガはありませんでした。

 それには、もう1つの要素もあります。試合中の動き方ですね。危険を冒すようなプレーに及ばない。ボールに向かっていっても、他の選手が自分の上にのしかかってきそうなら、そこには足を出さないのです。自然とリスキーな動きをしない感覚が身についている。かと思えば、相手3人が密集している中にあえて足を突っ込んでいこうとする選手もいる。そういう選手は年に20回くらいケガするわけです。

 なのでケガの要因となるのは、もともとの体質、プレースタイル、それからこれはまた別の議論になるところですが、フィジカルトレーニングによるものですね。また、食生活などの生活習慣も影響します。加えて、外部から適切でないアドバイスを受けている場合もあります。

 我われは、先ほども触れた『インビジブル』な対処法を通じて、非常に高度な生物学的評価などにより、選手たちの総合的な健康管理に努めています。ここ最近で徐々に進めているのは、毛髪分析を使った毒物検査です。これはまだ将来的な分野になってきますが、大気汚染やレアアースなどからどのような害を受けているかをチェックするものです。髪の毛が3センチもあれば、過去3カ月間に1800もの有機汚染物質や50のレアアース、汚染物質にさらされていることが容易に判明します。

 こうした検査をすることにより、どのような方向性で汚染にさらされる傾向があるかを知ることができます。一口に汚染といっても、食べ物からかもしれないし、化粧品や家庭内の掃除に使う用品であったりもします。

 選手の場合は、ピッチの芝からくるものもあります。芝には病気を防いだり、美しい状態を保つために化学肥料が使われていますが、選手が倒れた時や手で口元を触った時に体内に取り込まれるのです。まだまだこれからですが、こうした分野にも我われは興味を持ち始めています。……

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。