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予想外だった森島司の名古屋行き、その後のマルコス獲得に込められた意味【2023夏、広島に起こった移籍ドラマ後編】

2023.08.19

サンフレッチェ情熱記 第4回後編

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第4回は、2023年夏に起こった約2週間の濃厚な移籍市場でのドラマをレポートする。後編はJリーグ全体を騒がせた森島司の名古屋行きと、マルコス・ジュニオール獲得の舞台裏に迫る。

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 加藤陸次樹の新加入会見が行われたのが7月24日。だがその後、広島にとっては予期せぬ事態が起きる。

古巣・名古屋からのオファーに揺れる想い

 背番号10を背負った絶対的な中心選手・森島司に対して名古屋が完全移籍でオファーしてきた。しかも、違約金を支払う用意もあるという。マテウス・カストロのサウジリーグ移籍が決定的になったことにより、タイトルを狙う名古屋は緊急で補強の必要が出てきた。そこで白羽の矢を立てたのが、三重県鈴鹿市出身の森島だったのだ。

 この事実が明るみになったのは、7月29日。広島のファン感謝デーが行われた日の朝である。サポーターは誰もが驚き、ファン感の会場には「森島司、ずっとお前と闘いたい」という横断幕も掲出された。伊勢うどんを販売するために店頭にたった森島に対して、サポーターは口々に「移籍しないでください」と語りかけたが、それに対して森島はただ苦笑いを浮かべるだけ。記者の質問に対しても「何も決まっていない」と繰り返すにとどまった。

「ありがとうエディオンスタジアム広島ファン感謝デー2023」での森島司(Photo: Kayo Nakano)

 実は年末、彼に対しては関東のビッグクラブから完全移籍のオファーが届いていたが、森島はこのオファーを断っている。広島への愛着が大きな理由だった。その事実を知っていたから、今回の名古屋からのオファーも彼は断ると思っていた。広島で活躍したいから3年もの長期契約を結んだのだ、とも考えていた。

 しかし、森島は悩んだ。中学生の頃、名古屋ジュニアユースで頑張っていた歴史があったからだ。とはいえ、森島は名古屋ユースに昇格していない。彼自身が「選手権で活躍したい」という気持ちが強く、四日市中央工への進学を望んでジュニアユースを途中で辞めていた。

 その経緯があったから、名古屋への愛着はそれほどでもないと思っていた。ところが、事実は違った。

 森島はプロ2年目、こんな言葉を口にしている。

 「(高校でのプレー時に名古屋の)スカウトの人は見に来てくれていたし、知り合いでもあったから、早く(名古屋の)練習に参加したいと思っていた。でも、全然、声がかからなかった。マジかよ、と(笑)。寮に行けば同じ年代の人もいるし、すごく楽しみやったんですけど、全然呼んでくれなかった。寂しかったです」

 2017年に聞いた彼の想いである。

 名古屋に対する気持ちはまだ、森島の心の中に燻っていた。それが名古屋からのオファーによって、蘇った。だから、悩んだ。

「新スタジアムで躍動してほしい」と必死の慰留

 足立修強化部長は名古屋からの森島へのオファーについて「正直、非常に驚きましたね。ちょっと待ってくださいよ、という感じで」と語った。

 「ただ、移籍の正式オファーが届けば、本人に伝える。それがルールなので、森島に声をかけました。その時、彼は『悩んでいます。(名古屋の)話を聞かせてください』ってことだったんですね。

 もちろん、慰留に努めました。2024年には新スタジアムができる。エディオンさんと彼が結んだアンバサダー契約についても、新スタジアムを盛り上げるために、森島に期待していたからこそ。だからこそ、彼の反応に僕の中では違和感を感じてしまったのは事実です。森島が名古屋のアカデミー出身だってことは、よく理解しています。実際、彼が入団する時に名古屋からオファーがなかったことに対しては、非常に悔しがっていましたしね。ただ彼は名古屋のアカデミー出身ではあっても、我々のホームグロウン選手であることは理解してもらいたい。それは、面談でも伝えていました」……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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