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レージェス、交通事故死の悲劇。各所で追悼の動きと、論争が

2019.06.03

交通事故により35歳の若さで死去した元スペイン代表MFホセ・アントニオ・レージェス

事故の原因はスピードの出し過ぎか

 セビージャ、アーセナル、レアル・マドリー、アトレティコ・マドリー、スペイン代表などで活躍したホセ・アントニオ・レージェスが6月1日、交通事故で亡くなった。35歳、在籍中だった2部のエクストレマドゥーラで練習後、自宅のあるセビージャ市郊外のウトレラ市へ帰る途中だった。

 事故現場の18キロメートル地点は、レージェスが育ったセビージャの練習グラウンドから数百メートルしか離れていない、という悲しい偶然だった。走行中に右側に大きくはみ出し、ガードレール外のコンクリートに当たって横転しながら200メートルほど走って衝突のショックでそのまま炎上。レージェスと同乗の甥1人は即死、もう1人の甥は大火傷を負って重傷。フレームだけを残して大破し、真っ黒に焦げた車体が、事故の悲惨さを物語っている。

 原因はスピードの出し過ぎとみられている。高速376号線は片側2車線で現場はほぼ直線で見通しが良く、よく晴れていた朝に起きた自損事故だったからだ。実際に、その後の調査では、法定速度80キロのところを時速237キロメートルも出していたことがわかっている。事故車はベンツのブラバスというチューニングカーで、彼のベンツとフェラーリ好きは有名だった。過去にはシートベルトをせずフェラーリで走行中に自撮りした写真をSNSに上げ、問題になったこともある。

「プエルタとともにあの世で」……

訃報を受け、CL決勝のキックオフ前には1分間の黙とうが

 反応としては、チャンピオンズリーグのファイナルでの1分間の黙とう、翌2日開催予定だった2部リーグの7試合の延期が決まった他、様々な人々が追悼のメッセージを寄せたが、中でもセビージャのスポーツディレクター、モンチの「プエルタとともにあの世で凄い左サイドを作ってくれるだろう」という言葉が印象に残った。

 左サイドバックが2007年に試合中の心臓発作で亡くなったアントニオ・プエルタで、左ウイングがレージェスというコンビが実現していれば、間違いなく一時代を築いていただろう。私が見たセビージャでの最後の5季のレージェスは、最後の20分間に投入され夢のようなアシストを披露するアーチスト。ハードワークが要求される現代のサッカー界では、絶滅危惧種だった。

 そんな中、あるコメントが論争を起こしている。バレンシアのレジェンドで解説者のカニサーレスは「スピード違反は非難されるべき行為。同乗者も事故で亡くなっている。悲しい出来事ではあるが、レージェスにはヒーローとして扱うオマージュは相応しくない」と述べ、これには「全面的に賛成」、「賛成だが今言うべきことではない」などの声を集めている。

Photos: Getty Images

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セビージャホセ・アントニオ・レージェス

Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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