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「山形人以上に山形人らしい選手」になるまで成長を続けてきた17年の軌跡。山田拓巳とモンテディオ山形が織りなす幸福な関係

2024.06.08

ワンクラブマンの価値 #5
山田拓巳モンテディオ山形

移籍ビジネスが加速している昨今のサッカー界で、クラブ一筋のキャリアを築く「ワンクラブマン」は希少な存在になっている。クラブの文化を体現するバンディエラ(旗頭)はロッカールームにとって大きな存在であることはもちろん、クラブとファン・サポーターを結びつける心の拠り所にもなる。あらためて彼らの価値について考えてみたい。

第5回は、市立船橋高校からルーキーとして加入したモンテディオ山形で、プロ17年目のシーズンを迎えている山田拓巳だ。

2008年。クラブ史上初のJ1を戦うシーズンにルーキーとして加入

 “ミスター・モンテディオ”高橋健二(SC相模原ヘッドコーチ)は山形一筋で13シーズンプレーし、2006年限りで現役引退した。これと同時に、永井篤志(ベガルタ仙台ジュニア監督)や内山俊彦(福島ユナイテッドFCヘッドコーチ)など主力選手も相次いで山形を離れている。

 このシーズンに2度目の山形移籍となり、のちにチームキャプテンを長く務める宮沢克行(浦和レッズジュニア監督)や守護神・清水健太(カマタマーレ讃岐GKコーチ)、山形出身、ユースからの昇格後13シーズンプレーすることになる秋葉勝(モンテディオ山形ユース監督)などは残ることになったが、J2黎明期からのメンバーが一気にチームを離れ、ひとつの時代が終わりを告げた感があった。

 山形一筋17年目の山田拓巳が市立船橋高校から加入したのは、それから1シーズンはさんだ2008年のこと。このシーズンは小林伸二監督が就任。1年でクラブ初のJ1昇格を成し遂げ、2011年まで3シーズン続けてJ1で戦うことになったが、山田がチームに加わったのは、そうした新章の幕開けのタイミングだった。以来、人生の約半分を山形で過ごしている。

 山田はのちにチームキャプテンを任されることになるが、レギュラーの座をつかんだのは6年目の2013年。高卒同期の廣瀬智靖や太田徹郎がチャンスをつかみ、試合に絡んでいくなか、出世は3人のうちでもっとも遅かった。来る日も来る日も、居残り練習でコーチとともに基礎練習を繰り返す姿を見ていたが、この選手がJリーグの舞台で活躍できる選手になるのか、当時は定かではなかった。ただ、この地道で基礎的なメニューに、毎日必死に食らいついていた。この選手が17年経ったいまも山形でプレーを続け、山形の顔になるとは、当時まったく想像もしていなかった。

左から廣瀬智靖、太田徹郎、山田拓巳

 チーム最底辺からのスタートであることは、山田自身も強く認識していただろう。

 高校選手権への出場は叶わなかったが、夏のインターハイで優勝した市立船橋高校からは、山田を含めて3人がJリーグ入りしている。ほかの2人は、浦和レッズに加入した橋本真人、京都サンガF.C.に加入した加藤弘堅。いずれもJ1のビッグクラブだった。山田が当時を振り返る。

 「僕もモンテディオ山形っていうクラブを正直、そのとき知らなかった。注目されるのはそっち2人。一応プロにはなれたけど、そんなキャッキャ言われる感じじゃなかった(笑)」

2013年。プロ6年目で覚醒の時を迎える!

 山形は2006年、鹿島アントラーズでも常務取締役を務めた海保宣生がクラブのトップである理事長に就任(山形は当時、社団法人だった)。その鹿島のスカウトとして辣腕を振るっていた平野勝哉を、スカウトを担当する強化育成アドバイザーとして山形に引き入れた。鹿島と違い、資金力では太刀打ちできない場面が多い。J1クラブや資金力の豊富なクラブと競合せず、しかしいずれクラブにメリットをもたらすような選手をいかに獲得するか。難しいミッションが課されたなか、平野の目に留まったのが山田だった。

 1年目の2008年は2試合にベンチ入りするものの、リーグ戦含む公式戦の出場はなし。山形がJ1でプレーする翌年からの3シーズンでもリーグ戦出場は計10試合。チームがJ2に戻った2012年も9試合にとどまっている。しかも、うち8試合が途中出場だった。2010年3月、健康状態を理由に退任した海保理事長と同時に、平野も職を辞している。いつ契約満了を告げられてもおかしくはない実績だったが、山田は6年目の2013年もチームに残り、ついに殻を破る。……

Profile

佐藤 円

1968年、山形県鶴岡市生まれ。山形のタウン情報誌編集部に在籍中の95年、旧JFLのNEC山形を初取材。その後、チームはモンテディオ山形に改称し、法人設立、J2参入、2度のJ1昇格J2降格と歴史を重ねていくが、その様子を一歩引いたり、踏み込んだりしながら取材を続けている。公式戦のスタジアムより練習場のほうが好きかも。現在はエルゴラッソ山形担当。タグマ「Dio-maga(ディオマガ)」、「月刊山形ZERO☆23」等でも執筆中。