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拡大解釈され続けるアスレティックのフィロソフィ――理想は常に現実に浸食される

2021.01.09

【アスレティックの 「純血主義」は今――異端なる バスクサッカー をたずねて#2】

 バスクで生まれ、または育った者だけで戦う、という崇高な理想の裏には、あまり崇高でない現実がある。

 「生まれ、または育った」というのは、もともとは「生まれ、かつ育った」であり、育ったと言うのは「アスレティックの下部組織(レサマ)で」という意味だった。それが変わったのは1970年代前半。バスク生まれの選手を呼び戻す、いわゆる“呼び戻しオペレーション”でのことである。

 このオペレーションによってアスレティック入りした代表例が、デポルティーボの黄金時代を築いた監督として有名なハビエル・イルレタだ。バスク生まれの彼は19歳で地元クラブのレアル・ウニオンを離れ、アトレティコ・マドリーでプレーしていたが、8年後の1975年、アスレティックに呼ばれた。バスクの下部組織出身ではあるものの、レサマ育ちではない。イルレタ加入は「バスク地方の下部組織育ちであれば良い」という拡大解釈を許すことにもなったわけだ。

 1970年代終わりからは、バスク生まれでない選手の加入も認められることになった。……

Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。